見出し画像

キャリアカウンセリングについて、先日様々な団体の定義を参照してまとめたところです。

「相談者に寄り添ってお話を伺い、悩みや苦しみや揺らぎを受け止め、ご自身のありたい姿を明確にしながら、これからの幸せな生き方や充実した働き方をともに考えていく関わり」ということが、総じて言えそうです。

キャリアカウンセリングは、わたしにとって生業であり、生き方であり、あり方であると書きました。
というのは、まるで身体の一部・人生の一部であるかのように、ごく当たり前のものとして活用していると感じているからです。
少々大げさな言い方をすれば、「わたしの生き様がキャリアカウンセリングそのもの」というイメージを抱いています。それくらい、日常的に人と接する際に、学んだ知識と実践してきた経験をフル動員して関わっていると実感しています。


そうすると、例えば授業で学生たちに向かって話すときも、教員同士でミーティングを行うときも、noteで記事を書くときも、お風呂に入って一人でのんびりしているときも、すべての場面でキャリアカウンセリングが活かされていると感じられるようになってくるんですね。

例えば、個人であれ集団であれ、「○○とは何か?」「○○と感じるのはなぜか?」「なにがそう考えさせるのか」というように、自問自答を促すような問いかけを、好んで使うようになりました。

いまこうして書いている記事も、自分が伝えるだけでなく、読み手に考えてもらうような問いかけをところどころに入れたりしています。

【無条件の肯定的関心】【好意的関心】【共感的理解】といったカウンセリングの基本が、見えない相手や対集団においても活かせることを経験から学んだからなのでしょう。

結果として、最近は特に「キャリアカウンセリングは対個人の相談業務だけではない」と明確に意識するようになりました。


「国家資格キャリアコンサルタントの資格を取っても仕事がない」
「キャリアカウンセリングを行いたくても相手がいない」
そんな声が少なからず聞こえてきます。

でも、わざわざカウンセリングルームで、1対1で、60分のフルセッションを行う場面がいったいどれくらい存在するのでしょうか?
まして自分からそういう機会を作ろうとしない限り、どこからか依頼が舞い込んできて、お膳立てされた状態でカウンセリングをすることは難しいのではないでしょうか?

だったら、そもそもの定義を考え直してみることも大切ですよね。
例えば地域で様々な年代の方々に対してお話しをすることだって、問いかけ次第では「集団へのキャリアカウンセリング」になりませんか?
部下との面談だって、評価やフィードバックだけで終えず、本人に自問自答をする機会を与える問いかけを使って「職場内キャリアカウンセリング」へと転換することもできるのではないでしょうか?

『わたしが発する言葉や関わりそのものが、キャリアカウンセリングに通じている』と意識して行動すれば、それはもうキャリアカウンセリングの一つの形として考えらえれるわけです。

それが、わたしの定義した「生業であり、生き方であり、あり方である」という言葉に込めた意味です。


いかがでしょう?

自身が発する言葉や書き記した文字のすべて、一挙手一投足に至るまでの行動のすべてが「キャリアコンサルタントとしての関わり」だと捉え、常にプロ意識を持って振舞うことは、とても大変なことに感じますか?

でも……少なくともわたしは、こんな生き方が楽しくて仕方ありません(笑)
自分の生き様が他者に影響を与えるなんて、そうそう経験できることではないですからね。しかも“国家資格”として、国が認めてくれているわけですから(もちろん厳しい倫理規定があり、遵守することが求められますが)。

もしあなたも同じキャリコンなら、こんな考え方をしてみるのも面白いですよ!




#明日も佳き日でありますように
#生き様
#生き方
#あり方
#対個人
#対集団
#キャリアカウンセリングの定義


#毎日note
#おかちんnote
#キャリアカウンセラー
#キャリアコンサルタント
#キャリアカウンセリング
#キャリアコンサルティング
#キャリア
#キャリコン
#CDA
#コミュニケーション
#コミュニケーションファシリテーター
#コミュファシ
#アートマインドコーチング
#AMC
#対話型アート鑑賞
#JEARA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?