「戦後民主主義」山本昭宏(著)
・戦後史は個人の印象が先行して語られているのではないか
敗戦後の日本の歴史を「戦後」として日本は現在に至るまで引きずっている。この言葉を使用する人の頭の中にはどこか歴史の区切りとして先の戦争を意識していることは間違いない。
日本には元号という歴史区分が存在するが、その区分を一貫しているのも「戦後」というものである。本書はまさにその戦後を概観し、政治・文化など多様な側面から日本戦後社会の歴史を学べる一冊だ。
戦後は自分の政治思想によって「良いもの」「悪いもの」と認識にズレが生じるように感じるが本書はどちらかに与しているわけではない。
戦後は日本国憲法について語られる部分が多い故必然的に右派を自称する人々には不安に思う部分もあるだろうが、私はこの本は事実を中心としており、ゆえに戦後史を中立の視点知りたい読者諸君には最適な本だと考える。
どうしても直近の歴史であるがゆえに印象や認識が先走りがちになる戦後史を左右両方の主張を紹介しつつ、その時々のオピニオンリーダーや流行した言説に着目して分析していく様はおもしろく、知らない主張が多く存在したことも知った。
直近の歴史であれど、知った気になっていることは多く、やはり情報に対して謙虚な姿勢が必要なことも十分に学んだ一冊でもある。前に戦後の右派に焦点を当てた倉山満氏の「保守とネトウヨの近現代史」を紹介したが、合わせて読むとさらに面白いだろう。
・戦後に引きずられている
これを読んで真っ先に感じたことは「戦後に引きずられている」ということだ。これは成長を放棄したともいえる。なぜ戦後という言葉からも脱却できないのか。それは戦後を区切らずに引きずってるからだ。
憲法問題においても1946年の施行から今に至るまで、何度も改正の議論は行われてきた。日本は日本国憲法という枠組みを原因とする議論が継続的に行われており、経済も高度経済成長、バブル経済などを経てその名残を今でも懐かしむばかりで再び実現することに後ろ向きな意見は複数存在している。
政治においても戦後という言葉は多様されるが、要は戦後から抜け出す気がないから戦後という言葉が使われ続けるのではないだろうか。どこかで引きずられることで楽をしている部分があるように感じた。
語られる新たな問題点も幾度となく過去に論じられてきたにも関わらず、時間と共に忘れ、なかったかのようにまた同じ話をし始める。末期の酔っ払いのような状況を続けているのが今の日本のように感じた。
先延ばしが常態化して解決を本気で目指さない。将来世代と口では言うが、結局刹那的に今だけに焦点を当てた話ばかり、「歴史は繰り返す」というがこの国は偶発的に「繰り返す」のではなく必然的に「繰り返している」のである。
戦後民主主義の歩みを丁寧につづる本書は日本の論壇・社会問わず語られる問題の本質が対して変わっていないという日本の停滞を読者に語り掛けているように感じる一冊だった。
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