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年収が上がりすぎると新しい挑戦をしずらくなる話

年収は高ければ高いほどいい。ちょっと前まではそう思っていた。給料がたくさんあれば生活が豊かになる。良い家に住めるし、高級なご飯屋さんに行けるし、旅行も頻繁にできる。

いいことばかりのようにも思うけれど、ちょっと注意しておかないとマズいこともある。

先日、知り合いの経営者と飲んでいるときに人材採用と年収の話になった。僕は、優秀な人を獲得するためになら多めに給料を払ってもいいと考えていた。それで優秀な人が来てくれるなら嬉しいことじゃないかと。けれども、彼はちょっと違う考え方をしていて印象に残った。

僕「高めの年収で人を引き抜いたりしないんですか?」

経営者「やらない。いまの実力に見合わない年収を渡すべきじゃない。最終的には、本人が不幸になるから。」

僕「どういうことですか?」

経営者「高すぎる給料をもらってしまうと、身動きがとりずらくなるし、環境に甘んじてダメになってしまう人も多い。」

僕「なるほど」

経営者「市場価値に見合った年収をもらっておくのが一番いい。経営者はコストを抑えられるし、従業員は新しいチャレンジをしやすくなる。大事なのは、納得感だと思う。」

そういう考え方もあるのか、と感じた。

確かに高すぎる年収は環境に甘んじて動かない人材を量産するリスクはある。外資系企業で、いつでも人をクビにできるのであれば気にする必要はない。だけど、日本企業で解雇を自由にできないなら、そこそこの年収で抑えておく方が合理的な気もする。

年収は基本的には、相場で決まる。スーパーで売っている野菜やお魚の値段と考え方は同じだ。収穫量が多ければ値段は安くなるし、逆に少なければ値段は高くなる。需要と供給で成り立っているのだ。

できる人が少なく、役に立つスキルを持っている人ほど高い年収で雇われる。このような需要と供給のバランスで決まる人の価値を市場価値と呼んでいる。

経営者は、市場価値よりも高い年収を従業員に支払うことで優秀な人材を囲い込むことができる。相場より高い値段で、叩き買いするわけだ。

従業員側からすれば、相場より高い給料で雇われているので転職したら給料が下がってしまう。そのため、他の会社には行きづらい。もし年収に合わせて生活レベルも上げてしまっていれば、尚更だ。

身動きがとりずらくなる、ということは新しいチャレンジの幅も狭まるということだ。基本的に、所属している組織の方針のみに依存することになる。しかし、この状態は危険だとも思う。

まず1つに、年収が下がるから、という理由で特定の環境で何年何十年働いていると、持っているスキルがその環境でしか通用しなくなってしまうことが起こりうる。そうなると、ますます他の環境に移れなくなってしまう。最終的には、会社にしがみつくしかなくなる。会社が潰れずに、待遇も変わらなければいいけれど、いまのような変化の激しい時代には何が起こるかわからない。会社への依存度を高めてしまうことはリスクだと思う。

また、年収は相場で決まると先に書いたけれど、相場は変わるものだ。今は希少性が高いスキルでも、数年後にはどうなっているかわからない。時間の経過で、無価値なスキルになってしまう可能性もありうるのだ。この場合も、年収と市場価値の間に乖離が広がり、身動きがとれなくなってしまう。会社側からしても、価値に見合わない年収をもらっている人は邪魔な存在だ。給料がどんどん下がり、お払い箱になる未来は悲劇だろう。

高すぎる年収は、暮らしを豊かにしてくれる一方で、環境の硬直性を生み挑戦したくてもなかなか動けないという状況を生みだしかねないのだ…。

まず自分の市場価値を認識しておく

いまの自分の仕事内容で年収が市場価値よりも高いのか、低いのか。求人情報を見たり、転職エージェントに聞けば、いまの自分がどの程度の年収が適正なのかがわかるだろう。もし、市場価値よりも低い年収なのであれば、伸びしろがあるということで、あまり心配することはない。

一方で、市場価値よりも高い年収をもらっているようであれば、注意した方がいいかもしれない。少なくともできることは、生活レベルを相場の年収以上に上げてしまわないこと。一度あがってしまった生活レベルを下げるのは、本当に大変。固定費は特に。

逆に言えば、生活レベルをコントロールしておくことができれば、ある程度の貯蓄や資産も作れるので、金銭的な心配ごとが減るはずだ。新しい挑戦をするときの足かせが少なくなる。

現在の自分の価値は相対的で、どんどん変わっていくものである。そのことを自覚して、身動きしやすい自分でいることが、大事なのだと感じる。


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