見出し画像

日本新聞博物館へ行く、沖縄復帰前後の広告は一見の価値あり

横浜の日本新聞博物館へ行った。企画展は2つあり、1つは「近代日本のメディアに見る怪異」もう1つは「沖縄復帰50年と1972」だった。個人的に「これはここでしか見られないわ!」と思ったのが後者だった。

「沖縄復帰50年と1972」は、今年5月15日に沖縄の日本復帰50年を迎えるにあたり、沖縄タイムスと琉球新報を中心に地元紙が復帰をどう伝えたか、当時の紙面と写真で紹介します。沖縄戦、米軍統治、復帰以降の沖縄をめぐる報道も取り上げます。

出典:日本新聞博物館サイト

新聞縮刷版は好きでよく見ているけれど、図書館にあるのは東京版ばかりで地方ニュースはなかなか読めない。地方紙自体の昔の記事はおそらく現地の図書館や新聞社へ行かなければ出合えない。

でも今回は「沖縄復帰」をキーワードに『沖縄タイムス』『琉球新報』『八重山毎日新聞』などを見ることができた。それも1972年の。おおお。

地元紙の論調はとにかく「不安」

政治的な面からいえば、どの地元紙も「不安」が前面に出ている論調だった。確かに復帰はめでたいし式典も大々的に行われた。でも暮らしの中にある基地問題や米軍の振る舞いについてはほとんど解決していない。このままで大丈夫か、という話はどの新聞も押し出していた。

たぶん東京ベースの報道だと「めでたい」のが先に出て、地元の不安までは掬い切れていなかったと思う。ひょっとしたらあえて目をつぶっていた部分があったかもしれない。

自分も地方紙の中で働いていたことがあるので、他地域から見える「ここ」と足元にある「ここ」のギャップには心当たりがある。沖縄の地元紙ならではの生の声が載っているのだろう。

記事は日々の情報なので生々しい。復帰後にドル円交換が進められたけれど「復帰1日目は雨で出足が鈍かった」なんて話は読むまで知らなかった。

1972年5月15日前後の広告たち

実際の紙面を見て貴重だと思ったのは広告だった。記事のテキストはデータベースで探せば得られるかもしれない。でも広告情報が分かるのは実際の紙面だけだ。仮にデータベースに収録されたとしてもそれは東京版だけの可能性が高い。その日、沖縄の人が目にした広告は紙で見るしかない。

1972年5月14日の『沖縄タイムス』1面にあったのは商工中金の「明日から那覇で営業します」という広告だった。そうか、復帰したらそういうところから全部変わっていくのか。

そう思って他の紙面もチェックしてみると、本土と同じような学研の広告があったかと思えば、この日の沖縄ならではの広告もたくさんある。例えば第一法規は『日本の民族』というシリーズ本を刊行していて「㊼沖縄」の巻をプッシュする広告を載せている。

5月15日の『琉球新報』には複数の出版社が合同で全面広告を出した。キャッチコピーは「日本の書物を円で買う」。うああ、そうだよな。今まではドルでしか買えなかったのだから。

『沖縄タイムス』では日本石油がやっぱり「これからは沖縄でも営業します」という全面広告と地図を出している。それまでは米国資本のカルテックスが強かったらしい。

たばこ・塩についても、これから日本の専売公社が事業を譲り受けるという広告がある。本当に生活基盤が全部オセロのように入れ替わっていく状態だったんだな。

やっぱり広告は面白い

その日そのときの人の興味を惹くために全力で制作される広告はやっぱり面白い。時代を反映しているので何十年も寝かせると不思議な味わいになる。今日当たり前に見ていたものでも、時間が経てば絶対「違うもの」になる。

こういった展覧会では、テーマに沿って集中して見せてもらえるのでお得だ。普段は目にしない沖縄の広告は特に貴重だった。同時に、沖縄復帰の意味やこれからも考えるきっかけになった。記事よりも広告で実感するほうが自分に近く思えるかもしれない。


よろしければサポートお願いします!いただいたお金はnote内での記事購入やクリエイターとしての活動費にあてさせていただきます。