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アフターバブル近代資本主義は延命できるか

おはようございます。アルキメデス岡本です。

さて、緊急事態宣言から早くも1ヶ月が経過しようとしていますが、個人的にはコロナウイルスの感染ピークは3月まで続きそうな予感がします。

にも関わらず、コロナ対策で金融緩和が続く中、日経平均がバブル崩壊後の新高値を更新している。果たして、このコロナ・バブルはどこまで続くのか?

今回は、「今後の日本と資本主義」について考えたいと思います。

■失われた30年

この30年、政治は一時的に政権を明け渡したものの、バブル崩壊の原因を作った自民党がいまだに日本の政治を牛耳っており、日本のあらゆる価値観やシステムの中に深く入り込んでいる。

バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた。自民党政権がやってきたことを簡単に総括すると、景気が落ち込んだときには財政出動によって意図的に景気を引き上げてリスクを回避し、その反面で膨らむ一方の財政赤字を埋めるために消費税率を引き上げ、再び景気を悪化させる……。そんな政治の繰り返しだったと言っていい。

2012年からスタートしたアベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開してきた。政府に逆らえない中央銀行総裁が登場したのも、日本経済の「失われた20年、30年」と無縁ではないだろう。

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実際に、近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある。

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生産能力は低下する一方であり、加えて少子高齢化が顕著になってきている。新しい価値観をなかなか受け入れない国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎたいま、日本はこれから失われた40年、あるいは失われた50年を歩き始めているのかもしれない。

■アフターバブル近代資本主義は延命できるか

さらに重要なことに、バブルがついに今年2021年、崩壊する可能性が高まっている事である。

私は、当初、バブル崩壊は日本発なら2023年、アメリカ発なら2022年と思っていた。それは、それぞれの国で中央銀行総裁が交代するからである。

2023年は黒田東彦総裁が代われば、日本銀行のスタンスは変わらざるを得ない。あるいは、投資家たちが「そうなるのでは?」と疑心暗鬼になり、些細なことで、日本国債バブルを背景に、為替と株が暴落、財政破綻の恐れが高まる。私は、実際に、実質的な財政破綻が小さく起こると思っているが、こうしたリスクシナリオが現実味を帯びてきている。

またアメリカの中央銀行FRB(連邦準備制度理事会)議長であるジェローム・パウエル氏が退任したらどうなるか。パウエル氏以上のハト派の議長、株式相場を重視する議長は考えにくいため、アメリカの株式バブルも崩壊するシナリオの可能性が高まっている。

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■2021年はどうなる

2021年はどうやら「最悪の年」になるだろう。2021年が暗くなる理由はさらに2つある。第1に、「アフター・コロナ」にならないことである。

欧州は第2波が襲い、再度のロックダウンが各国で行われ、アメリカは、トランプ政権のコロナ対応の不徹底から、感染拡大がいつまでも止まらず、死者は増え続けている。

そして、日本は、欧米に比べればましだというが、インドを除くアジアでは最悪で、所得水準も医療レベル、カバレッジも最高レベルであるにもかかわらず、死者の増加ペースが加速している。

なぜ、アジアが欧米、南米に比べてましなのかは、理由はいまのところはっきりしない。だが、少なくとも日本は、その恵まれた状況にもかかわらず、無駄に感染を拡大し、無駄に犠牲者を出している。それは、政治、政策の混乱というよりは稚拙さであり、悲観的な見通しを持たざるを得ない。

また、日本では4月の第1回目の非常事態宣言時の経験を活かせないどころか、事態を大きく悪化させてしまっている。

なぜなら、人々の恐怖心から来る自粛に頼った解決をしたために、2度目となるとどんなに自粛を求めても効果が限られる。

■思考停止社会日本

「経済と命の比較がすべてを狂わせる」の章で、日本は欧米に比べて感染者、死亡者ともに少ないのに欧米並みに自粛が行われたのは、「経済と感染対策のバランスをとるべきという議論はタブーだった」、それは日本が「比較できない経済と命を比較しているから」とし、日本では「非合理であっても」「矛盾があっても」「妥当でなくても」、逆効果であっても許される、「思考停止」社会であると断じています。

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最終的に、著者は現在の社会システム、経済システムを断罪しています。資源配分が適切にできない、配分の誤りを修正できない、意思決定が適切にできない、適切に必要な情報を入手し適切な判断ができないと。そして、その欠陥が、人間が論理的でないこと、経済成長を必要とすることとし、自給自足に回帰することを提言しています。

■自給自足時代へ

コロナ禍で国民の価値観の変容が起きて、『不要不急は”不要”』と気付き、贅沢品の消費は戻らない。

これからは「自給自足の生活」が加速するでしょう。

私はコロナの影響によって変化した生活様式、意外に気に入っているんです。全体的に贅沢品の消費が減少した。それは『見栄』を張る必要が無くなったから。人と会う機会も減り余計な出費も減った。

すると、生きるために本当に必要なことや、心の豊かさに目を向けるようになる。毎日、朝起きて近所の公園を散歩するようになり、綺麗な空気を吸ってゆっくりと身体をストレッチしてます。

昼飯はスーパーで買った喜多方ラーメンをアレンジして、食費も圧倒的に減りましたw

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そして、以前よりも人生や社会について考えるようになった。今までの成長ありきの社会ではなく、スローライフありきの社会。

何でもかんでも上を見る必要はない。自分のペースでもっと自由に生きるべきだとね。

どの道このパンデミックは避けられなかった、資本主義社会の崩壊は将来的に起こるはずだった変化が、コロナによって早まっただけ。

■資本論の未来

資本論を書いたマルクスも最後には、資本主義に代わる新たな社会システムを構想していました。

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最近、にわかに注目されているマルクス。驚いたことに、アメリカでも、マルクスの名前が、若者たちのあいだで肯定的に使われるようになっています。アメリカの若者たちは、日本の若者たちと同様に、大学のローンを背負って社会にでても安定した仕事がなく、気候変動が深刻化する未来に不安を募らせています。

そうした中で、資本主義では問題は解決しない、もっと抜本的改革が必要だとして、新たな社会像を考えるためのヒントをマルクスの思想に求め始めています。

また、バルセロナ等の都市では、住宅や水、エネルギーといったコモン(共有財)を、利潤のみを追求し続ける大企業から市民の手に取り戻し、自分たちの力で水平的に共同管理していこうという試みも始まっています。それは、マルクスが「資本論」で「アソシエーション」と呼んだ仕組みに極めて近いあり方といえます。

先日、放送された「100分de名著」でもこの資本論が扱われました。

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■哲学とは何か

かつて、哲学者ジル・ドゥルーズは、哲学の定義を「概念を創造すること」と述べました。

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概念を創造し、今までみえなかった現実をみえるようにすること。

哲学とは「概念」の提供であり、概念はすでにそこにある真理ではなく、真理へのアプローチの仕方、真理への光の当て方にある。「概念は考察され制作されなければならない、いやむしろ、概念は創作されなければならない..」。概念は一つの全体であり、一個の断片的な総体である。多くの知識やセオリーを総括して一つの概念=世界観=平面を創り上げる。

ここに本書の根本的なエッセンスが詰まっている。シュルレアリスム、抽象表現主義、ミニマリズム、Pop、これらはみな美術において視覚効果からそれぞれの全く違った平面を提供する概念の発明である。だからドゥルーズとガタリにとって芸術は哲学その物なのである。

人は日常生活の中で概念から概念へと渡り歩く。多彩な種類の、友人、洋服、音楽、景色、それらの多様性に嬉々とし、また新たな概念との邂逅に触発され、その度ごとに強烈な恍惚感に浸りこみ、平凡で空っぽで退屈な日常を楽しめるように。

絶対的な一個を求めるのではなくて、種々様々な促成の平面の延長線上に、自分なりの日常への光の当て方を開発する。それは芸術家が学者が哲学者が日夜じっと待ち続けている瞬間であるが、個人レベルでも自分の人生に新しいバリューを探す際にこの上ない基本だ。

あなたはあなたを楽しむ新しい方法を発見するのだ。「考え方を変える」のではなく、まったく新しい見方を見つけるという行為なのだ。

ドゥルーズ、ガタリによれば、それは自分自身でしかできない行為である。何故なら「自分」という立ち居地がすでに誰とも違う平面だからである。間違った哲学はないのであり、その概念の「面白さ」や「斬新さ」を疑うことにあるという。しかしここに綴られていることを理解する人ならば、促成の世界観からの脱出の難しさは痛いほど知っているだろう。

時代は変わり始めています。


新しい光をみつけよう。


ほなまたお会いしましょう。バイバイ~♪


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