「共犯者」惑われやすい社会から抜け出す方法
おはようございます。アルキメデス岡本です。
さて、森会長の失言はまだまだ炎上中ですが、果たして森会長は本当に悪かったんでしょうか?
森会長の失言癖は昔からだし、マスゴミが格好の炎上ネタに飛びついて、またお祭り騒ぎしてるだけかも知れません。
本当の事なんて当の本人にしか分からないのに、マスゴミの情報に惑わされてネタに飛びつく人、そういう人が増えてしまっているのももうひとつの真実じゃないでしょうか?
そもそも、国内の五輪マフィアは、旧森派(清和会)で固められています。森さんが辞任したところで何が変わるんでしょうか?
結局、誰かを悪者にして魔女狩りを楽しんでいるだけ、マスゴミなんて所詮そんなもんです。その流れに乗っかって、知らず知らずの内にあなたも共犯者になっているかもしれません。あっ、言っておきますが森さんを守りたい訳ではありません。
そこで今回は、惑わされやすい社会からの脱出方法を考えたいと思います。
■人惑を受けざらんことを要す
人惑(にんわく)を受けざらんことを要すとは、禅文化研究所刊行の山田無文老師が提唱された『臨済録』にある言葉です。
その本の帯に、「臨済がみんなに求めるところは、人にだまされるなということだ。」と書かれています。
更に「学問にだまされるな、社会の地位や名誉にだまされるな。外界のものにだまされるな。何ものにもだまされぬ人になれ、それだけだ。」と記されています。
『臨済録』の示衆のはじめのほうに、
「山僧が人に指示する処の如きは、ただ你が人惑を受けざらんことを要す」とあります。
「いま私が君たちに言い含めたいのは、ただ他人の言葉に惑わされるなということだけだ」という意味です。
この「人惑を受けるな」という言葉が、無文老師の本の帯に説かれているのです。
遠くさかのぼれば、仏陀が『カーラーマスッタ』という経典の中で、「人から聞いたこと、古い言い伝え、世間の常識、あるいは文字になっているもの、そういうものを鵜呑みにしてはいけない。想像、推測、外見、可能性、あるいは師の意見、そういうもので教えが真理であると決めつけてはいけない。」と説かれています。
人の言葉に惑わされるな、振り回されるなと言われて、なるほど、その通りだ、人の言葉に惑わされていてはいけないと思った時点で、それは「人の言葉に振り回されるな」という言葉に、すでに振り回されているのです。
なるほど、惑わされてはいけないと思って、惑わされないようにしているのは、既に惑わされているのです。
ですから、惑わされないようにしようと思っているのと、惑わされない状態というのは、異なるのです。わずかの違いかもしれませんが、これが大きな差を生じます。
ありのままということも同じで、ありのままでいいのだ、ありのままでいようと思っているのと、ありままの状態とは異なるのです。
この違いを知らなければ、間違いをおかしてしまいます。
■必要なのは価値転換
では具体的にどうしたら、他人や社会に惑わされてしまう心理から抜け出すことができるのでしょうか?
必要なのは価値転換です。
・善意も利己心も含め”自分は大切“な存在である
・自分が十分に健康なときにだけ、他人を助けられる
・他人の問題は、自分は解決しなくていい
このような心持ちになれるよう、自分の行動を変えていくことがポイントです。
■惑われやすい社会から抜け出す5つのこと
人は多かれ少なかれ、無意識にバイアスが掛かっている共依存のマインドを持っています。
テレビ、ネット、SNS、オンラインサロン、有名人など、複数の共依存に支配され自分の意見は元を辿れば誰かの意見です。残念ながら、ほとんどその人にオリジナリティはない。世間から詐欺師と呼ばれる人はその隙を虎視眈々と狙っていますw
まずは、共依存タイプを知る。
1他人の面倒を見たがる
2自己の価値を低く見る
3抑圧的である
4強迫観念にとらわれやすい
5相手をコントロールしたがる
6現実を直視できない
7何かに依存せずにはいられない
8コミュニケーション能力に乏しい
9他人との境界があいまいである
10信頼感を喪失している
11怒りの感情が正常に働かない
12セックスが楽しめない
13行動が両極端である
自分で真実を確かめていなくても、自分の信じたい情報や人物のバイアスがかかっており、共依存の状態にあるのです。共依存のマインドセットを変えていくために必要なことのなかから、効果的だと感じたものを5つほどピックアップしてみます。
01
セルフケアのきっかけを作る(自分のことを鏡で見る)
他人に振り回されやすいとき、人は自分をかえりみていないことが多いです。自分が見えていないので、自分を優先すべきかどうか、そもそも判断材料を持っていないことすらあります。客観的に自分がどのような状態か、他人のことを支える余裕がある状態なのか把握するクセをつけましょう。
02
怒りは解決策ではなく、解決するためのエネルギー
怒ることは悪いことではありません。
怒りは自分を守るための、瞬間的な強いエネルギーです。怒りを覚えたときは、自分主体で問題を解決するために、怒りを冷静に使うといいでしょう。
03
境界線をきちんと定義する
このとき、境界線は、「あくまで自分のため」に引きます。
他人にいいように振り回されていると強く感じるとき、あなたは境界の持ちかたを相手に有利にし過ぎている可能性があります。自分の器の限界を考えず、負荷をかけ過ぎているのです。
自分のペースで境界線を引きましょう。
04
ほめてくれる人を見つける
共依存者はまた、賛辞(ポジティブ・ストローク)を受けるのが苦手である。しかし、何も自分が性格的にすぐれた人間だという事実に抵抗を感じる必要はない。
共依存者と言わずとも、ほめられると人は、「自分は賛辞を受けるほどの人間ではない」と謙遜からつい否定しがちです。
しかし、ほめられること(そしてそれを嬉しく思うこと)は心理的に非常に重要です
ほめてもらったときに素直に喜ぶことで、脳内にエンドルフィンというホルモンが分泌されます。
幸福ホルモンと言われ、苦痛をやわらげ、刺激を少なくし、全身の健康を促進する働きのあるものです。他者に貢献した素晴らしさをほめられたのなら、素直に喜び(エンドルフィンを分泌させ)、自分の努力や苦労を報いてあげる方が健康的なのです。
05
自分の期待には自分が責任を持つ
他人に振り回される心理をもつ人は、相手へ期待をもったときに、行動責任を、自分ではなく相手に委ねてしまう傾向があります。
何かをしてほしいとき、「〇〇してほしい」と相手に頼まず、遠回しに愛想を良くする。
何かを嫌だと感じたとき、「私は〇〇が嫌」と言わず、自分と関係のない理由で相手の行動をコントトールしようとする。
こういった行動をしても、他人が自分の期待通りに動くことは、ほとんどなく、いつも期待を裏切られたような感覚を抱く原因になります。期待や理想は、誰もが抱くものですし、それを他人に向けることもほとんどの人が考えることです。しかし、他人を自分の期待通りに誘導しようと躍起になるのは控えましょう。
大切なことは、自分の期待に自分で責任をとることだと思う。なにも抑えつけることはない。むしろ明るみに出して、正当なものかどうか検討してみよう。だれかに話してみるのもいい。よほど失礼な内容でない限りは期待を悪いことと思わず、ありのままに打診してみましょう。
相手がそれを受け入れるか、受け入れないかは、あなたの問題ではなく相手の問題です。
オープンに期待を打診し、そして、相手が自分の期待に「NO」を示したとしても素直に受け入れる。それが自分の期待に自分で責任をもつことです。
初めから相手のNOを恐れて、「相手が期待通りに動かなかったら嫌だな」と、アレコレ作戦を練るのをやめるだけでも他人に振り回されやすい心理をかなり解消することができるでしょう。
■共依存から自立した共存の世界へ
大きな視野でこの地球を想うと、この世界はある意味では、人類共依存関係で成り立っているのではないか?と感じています。
私たち人類は、人と人とが助け合って生きているはずです。それどころか、助け合わなければ生きていけないとも言えますね。そこにこそ、共依存で悩む原因があるのかもしれません。
相手を助けているつもりが、実は、一方的に相手からあらゆるエネルギーを搾取していることに気づいていない。それが当たり前の世の中だから、誰もそこに気づきもしない。相手に対する行動を、ほんの少し振り返る気持ちがあれば…きっと、この世界も変わっていけると思います。それには、自分の行動や言動に対する責任を、常に考え客観性を持つ必要が出てきます。
森さんの話に戻りますが、森さんが会長しているオリンピック組織委員会というのは、まさにこの共依存関係にあるのです。
もっと分かりやすく言うと、共依存ビジネスです。
ですので、関係者が共依存状態で持ちつ持たれつのズブズブ関係なので、森さんをそう簡単には辞めさせられないのです。まあ、政治の世界は人間関係が何重にも絡み合っていますからね。事実上、日本の政治は清和会に牛耳られています。だから、関係者はいつの間にか共犯者になっているのです。
まあいわゆる、派閥のしがらみってやつです。
私たちの目指す理想的な世界は、支配・被支配という構図の【共依存】から、お互いがそれぞれ自立し助け合い認め合う【自立した共存】へ、各々が自ら移行していくことで築かれていく必要があります。
あなたが見事にこの【共依存】関係から解放され、本当の自由と自立を手に入れる事を願っています。
ほなまたお会いしましょう。バイバイ~♪
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