シン・日曜美術館「トム・ウェイツのTom Traubert's Blues」(深読み プリンス⑨)
前回はコチラ
1989年5月某日(日曜)午後
藪蔦屋 りうていの間
なんてこった…
すごいなトム・ウェイツは…
ははは。感心するのはまだ早い。
4番もすごいぞ。
Now I've lost my Saint Christopher,
and now that I've kissed her
君の名前のルーツ、キリストを背負った男クリストファーの登場だな。
『幼子のキリストを背負うクリストフォロス』
Hieronymus Bosch(ヒエロニムス・ボス)
この絵を見ると、昨年公開されたジブリ映画『火垂るの墓』のポスター「幼子の節子を背負う清太」を思い出す。
そう言われてみれば、よく似てるな…
背後の地形も神戸や西宮っぽいし、歩いてる場所が貯水池だし…
おそらく原作者の野坂昭如は、聖クリストファー伝説の舞台を日本の戦国時代の京阪地域に移し替えた芥川龍之介の小説『きりしとほろ上人伝』にヒントを得て、名作『火垂るの墓』を生み出したのだろう。
なるほど。確かに『火垂るの墓』に通じるものがある…
まあ、こんなことはどうでもいい。
重要なのはトム・ウェイツが「失った聖クリストファー」を「her」と言っていることだ。
聖クリストファーも福音記者ヨハネみたいに、女性として描かれるほどの美形だったってこと?
いいや。聖クリストファーは美形に描かれることはない。
むしろ中世の時代は「犬」の頭をした人として描かれていた。
『Χριστόφορος(Christóforos)』
犬の頭?
まるで古代エジプトの「dog-headed god」アヌビスじゃないか。
聖クリストファーが「犬人間」になった原因は「誤訳」だ。
昔々、ラテン語で書かれた聖クリストファーの文献を翻訳していた人物が、「カナン(Canaan)の人」を意味するラテン語「Cananeus」を「Caninus」と読み間違えてしまった。
「Caninus」とは英語で言うところの「canine」つまり「イヌ属・犬のような」という意味。
この誤訳がそのまま流通してしまい、聖クリストファーは「犬」の頭をした聖人になってしまったんだ。
そんな馬鹿な…
普通に考えれば「何かの間違いだ」ってわかるだろう?
約束の地に住むカナン人が犬人間のわけがない。
そんなことを言ったら聖書の登場人物のほとんどが犬人間になってしまう。
そりゃあ誰だってこんなことが間違いだとはわかる。
しかしこの「勘違い・言い間違い」が当時の人々のツボに入ったんだろうな。
正確さよりも面白さを取ったというわけだ。
君にも経験があるだろう?
小学生の時に何気なく言い間違えた言葉がクラスで大ウケして、しばらくその言葉で呼ばれ続けたことが…
そういえば、僕じゃないけど…
都を移す「せんと(遷都)」を「セイント」と言って、あだ名が「星矢」になった奴がいたな…
ちなみに芥川龍之介の『南京の基督(キリスト)』も「カナン」の勘違いから生まれた物語だ。
南京は長江の南岸にある町、つまり「カナン(河南)」だからな。
それはそうと、なぜトム・ウェイツは「失った聖クリストファー」を「her」と言ったんだ?
「セント・クリストファー」とは「旅人のお守り」のことを指す。
「May the Christ be with you(キリストと共にあらんことを)」という願掛けが込められたネックレスやペンダントとして、今でも旅行者の間では根強い人気を誇るアイテムなんだ。
日本で言うところの「同行二人(どうぎょうににん)」みたいなものか?
そうだな。
そして『トム・トラバーツ・ブルース』の元ネタ『ワルチング・マチルダ』において「旅人のお守り」といえば「マチルダ」のことを指す。
つまり「セント・クリストファー」とは「マチルダ」のこと。
だからトム・ウェイツは「her」と歌ったわけだ。
その「マチルダ」とは、羊のために自ら命を絶った放浪者が背負っていた「荷物袋」…
つまり、人類の原罪のためにイエス・キリストが背負った重荷「十字架」…
そういうことだ。
イエスは十字架から降ろされて埋葬された。
だから「俺」は「セント・クリストファーを失った」というわけだ。
そして「失われたセント・クリストファー」を知っているのは「片腕の盗賊」だと歌われる。
And the one-armed bandit knows
「one-armed bandit(片腕の盗賊)」とは「SLOT(スロットマシン)」のことだな。
1本のレバーで操作し、同じ絵が3つ並ぶと大当たりだが、そんなことは滅多に起きないので、大抵は金を奪われてしまう。
なぜトム・ウェイツは「失われた十字架」のことを「スロットマシンは知っている」なんて歌ったんだろう?
イエスが銀貨30枚で売られたからか?
それとも「同じ絵が3つ並ぶ」を「三位一体」に重ねたとか?
ふふふ。「失われた十字架」のことを「スロット」が知っているのは当然だ。
そもそもトム・ウェイツは「スロット」に行って、この歌を着想したのだから。
トム・ウェイツはこの歌をスロットに行った時に着想した?
ちょっと待てよ。
トム・ウェイツがこの歌を着想した場所はコペンハーゲンのカジノじゃなくて、カール・ブロッホの絵が収蔵されているコペンハーゲン郊外の古城にある美術館だったよな?
君はそう言っただろ? あれは嘘だったのか?
やれやれ。少し落ち着きたまえ。
トム・ウェイツは、こう歌っているんだぞ。
And the maverick Chinaman,
and the cold-blooded signs,
And the girls down by the strip-tease shows
マーベリック・チャイナマン?
無所属で異端者の中国人?
「maverick」の本来の意味は「焼き印を押されていない子牛」という。
つまり「傷のつけられていない」とか、生殖行為を行っていない「童貞」の牛という意味だな。
それって、まるで律法に定められた「生贄の子羊」のことみたいじゃんか。
確か「傷もなく汚れもない子羊」でないといけないんだよな。
その通り。つまり「Chinaman」とは「カナン人」のことだ。
は?
イエスはユダヤ人にとっての約束の地カナン(Canaan)の人だから「Canaanman」だ。
「カナン人」は「Chananean」とも書く。
これを語呂合わせにしてトム・ウェイツは「Chinaman」と言ったわけだな。
じゃあ次の「the cold-blooded signs」…
「血の気が引く掲示文」とは…
決まってるだろう。
ヘブライ語・ギリシャ語・ラテン語で書かれ、十字架の上に掲示されたイエスの罪状「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」だ。
あれはまさに「血の気が引くサイン」に他ならない。
『The Crucifixion』
Carl Heinrich Bloch
そういえば「INRI」って中国系の人の名前っぽく聞こえないか?
「Ying Lee(イン・リー)さん」って実際にいるもんな…
そっちの語呂合わせの可能性もあるな。
「Ang Lee(アン・リー)さん」や「Wang Lee(ワン・リー)さん」など中国系の人の名前には「〇ンリ」が多いから。
そして最後に「And the girls down by the strip-tease shows」と来る。
「裸にされた人の見世物」の下で「倒れていた女性たち」といえば?
カール・ブロッホの『磔刑図』で、十字架の描かれている聖母マリアとマグダラのマリア…
その通り。
ここまで来れば「失われた十字架についてスロットは知っている」の意味もわかるだろう?
トム・ウェイツの言う「スロット」とは?
うーむ…
トム・ウェイツがこの歌を着想したのは、コペンハーゲンのカジノじゃなくて、カール・ブロッホの『磔刑図』が展示されているコペンハーゲン郊外のフレデリクスボー城だったはず…
なぜ「スロット」なんだ?
いつになったら気が付くんだ?
君は「答え」を言っているじゃないか。
え?
カール・ブロッホの『磔刑図』が展示されているのはフレデリクスボー城…
デンマーク語では「Frederiksborg Slot」という。
スロット?
「slot」とは「城」という意味だ。
おそらくトム・ウェイツはデンマークで「Frederiksborg Slot」という表記を初めて見た時に、「フレデリクスボルグのスロットマシン?」と思ったのだろう。
そんな、まさか…
しかも「Frederiksborg Slot」には、歴代デンマーク王の肖像画も展示されている。
トム・ウェイツはその肖像画も見たに違いない。
だから「Frederiksborg Slot」を「one-armed bandit」としたんだよ。
どういうことだ?
「Frederiksborg Slot」とは、歴代の多くのデンマーク王が名乗った由緒ある名「Frederik(フレゼリク)」を冠した城。
そこに飾られている初代フレゼリク1世の肖像画は、こうなっている…
『King Frederick I of Denmark』
Jacob Binck
マジかよ… 「one-armed」じゃんか…
しかも、その片腕でペンダントを大切そうに持っている…
あれは「セント・クリストファー」に見えないか?
ああっ!確かに!
4番の歌詞はトム・ウェイツが「Frederiksborg Slot」で見た2つの絵から作られている…
カール・ブロッホの『磔刑図』と、フレゼリク1世の肖像画から…
よっぽど印象深かったんだろうな。
よし。それじゃあ次は5番だ。
今度こそ僕が読み解いてみせるぞ。
ははは。そいつは楽しみだな。
それでは5番を見てみよう…
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?