日の名残り第65話1

「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」~『夜想曲集』#2~カズオ・イシグロ徹底解剖・第65話

しかし驚いたな。

イシグロが短編『降っても晴れても』の中に潜ませた『スペイン革のブーツ』に、あんな意味があったなんて…

しかもそれだけではなく、松本隆のパクリ疑惑まで晴らすとは…

お前ら大丈夫か?

あくまでオッサンの「推測」に過ぎんハナシやで?

このシリーズ全般に言えることやけど、何でも鵜吞みにしたらアカン。

どの口が言うんだ?

ナンボクの言う通り、すべては僕の推測に過ぎないかもしれない…

本当の答えは、風に吹かれているんだよ…

そうゆうのも要らん。イラっとするわ。

お前が一番黙っとけ。

さて、チャーリーはレイモンドに「秘伝のレシピ」を電話越しに口頭で説明した。

1パイントの水を沸かし、固形ビーフスープの素を2個、クミン大さじ半分、パプリカ大さじ1、酢を大さじ2杯、ベイリーフをたっぷり…

この特製スープの中で古い革ブーツを煮込んで「犬臭」を発生させ、あたかも狂犬ヘンドリックスが部屋の中で暴れ回ったかのように「偽装」する。

この「秘伝のレシピ」は、チャーリーの古い友人「トニー・バートン」が考案したものをチャーリーがアレンジしたものだった。

誰のことなんだろう、トニー・バートンって?

この人だよ。

Tim Burton(1958 - )

ティム・バートン!?

「秘伝スープ」のネタは、きっとこの映画のこのシーンからだと思う。

The Nightmare Before Christmas (1993)

ええ~!?

『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』が元ネタ!?

イシグロがこの映画を引用したと言うのか?

しかしなぜ?何のために?

駄洒落だよ。

『夜想曲集』第2話『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』は、「クリスマス」が「裏の舞台」になっているんだ。

前に説明した通り、チャーリーとは「イエス」のことだった。

そして、チャーリーのドイツ出張とは「処女懐胎」を意味していた。

ノートの走り書き「マチルダに電話を!」というのは『受胎告知』のことだね。

つまり、チャーリーのフライトとは、天界から地上世界へ「出張」するために聖母マリアの胎内へ向かった「フライト」のことだったんだ。

おお~!

フランクフルト空港には着いたけれど、チャーリーは荷物出口で足止めを喰らう。

まだマリアの胎内から出られない状態なんだ。

だからイシグロはこんな描写を入れた。

チャーリーは電話をポケットに入れたに違いない。子宮内の赤ん坊に届くような物音が数分間つづいた。やがてチャーリーの声が戻ってきた。
「もう行かなきゃならん…」

いよいよ出産ってことか!

だね。イエスの生誕、クリスマスなんだよ。

かたや主人公のレイモンドはロンドンで「悪夢」に襲われていた。

エミリの個人的なノートを覗き見して、自分への「悪口」を発見し、怒りに我を忘れ、それをクシャクシャにしてしまったから。

バレたら大変なことになる。

まさに「クリスマス前夜の悪夢」だったわけだ。

ナイトメアー・ビフォア・クリスマス!

ちなみにこの映画、ティム・バートンの企画をいったんはディズニーがボツにした。道徳上・宗教上、好ましくない内容だということで。

しかし紆余曲折を経て映画化されることになった。だがティム・バートンは『バットマン・リターンズ』で忙しく、代わりにヘンリー・セリックが監督をすることになったのだ。

ボツ!?こんな超ウルトラ傑作ストーリーなのに!

バートンは商業映画としての監督デビュー作も、ディズニーにボツにされた過去がある。

1984年の『フランケンウィニー』だ。

内容が「反キリスト教的」だということで「PG指定」されてしまい、急遽ディズニーは公開を取り止めたのだ。

Frankenweenie(1984)

2012年に同じ名前のストップモーションアニメが公開されたやんけ!

実写版もあったんか!

ちなみに主人公ヴィクター少年の仲良しグループのひとりである少女を演じていたのは、『The Beguiled/ビガイルド欲望のめざめ』でカンヌの監督賞を獲得したソフィア・コッポラだよ。

わお!やっぱりガーリー!

さて、チャーリーが空港から「出発」することになったので、レイモンドは指示通りに作業を始めようとする。

でもエミリの帰宅時間が気になり、念のため確認の電話を入れることにした。

エミリは「会議」が「深刻な局面」にあり、あと1時間半は帰れないと告げる。

どんな非常事態だったんだろ?

空気読めや。

マリアは「極めて異例」な妊娠と出産やったんやで。

狭い産道をくぐり抜けるのは、神といえども困難が伴うものだということか…

ワープして出て来るわけにはいかないしな…

安心したレイモンドは、さっそく「調理」を始める。

チャーリーの指示通り「特性スープ」を完成させ、階段下の物入れから、古いブーツを取り出した。

それは、くたびれきった代物で「踵の縁」には「古い古い泥の塊」がこびりついていた…

かかと?

しかも何で「古い古い泥の塊」なんて強調するんだ?

ボブ・ディランの『スペイン革のブーツ』では、「ブーツ」は「イタリア半島」を意味していた。

「イタリア半島」にも「踵」があるよな?

そこに「古い古い泥」が付いているというんだ。

へ?どゆこと?

イタリア半島の「足首」から下の部分は、かつて東ローマ帝国領で、イスラムの影響が強い地域だったんだ。

東ローマ帝国は地域柄、宗教的宥和政策をとっていて、イスラム教徒やユダヤ教徒も差別されることなく暮らしていたという。

だから「かかと」や「つま先」そしてシチリアあたりには、交易商人などによる多くのアラブ人街があったんだよね。

確かに「踵に古い泥の塊」だ!

だけど11世紀から12世紀にかけて、フランスのノルマンディーからノルマン人が大挙して移住してきて、南イタリアはノルマン朝シチリア王国となった。

これによりイタリア半島からイスラム勢力は一掃される。

第1話『老歌手』の舞台やったベネチアも東ローマ帝国やったんやな。

そうだよ。

東ローマ帝国における重要な商業・交易拠点だったんだ。

そして東ローマの力が衰えてからは、独立国家として繁栄を極めた。

だからベネチアには昔から多くのユダヤ人が住んでいた。だけどキリスト教徒との軋轢が深刻化し、16世紀に大きなユダヤ人居住区が作られる。そこの地名がユダヤ人街「ゲットー」の名前として世界に広まったんだよね。

『ベニスの商人』や『ベニスに死す』など、ベネチアを舞台にした物語でユダヤ人がテーマとして描かれたのには、こういう背景があるんだ。

なるほどな!

ぐつぐつブーツを煮込んでいると、チャーリーから電話がかかってきた。

チャーリーは、出張先で用意された「ホテル」が「三つ星ホテル」で、「部屋が狭くて汚い」と文句をたれる。

あんな大会社なのにケチくさいと…

確かに臭いぞ!

さっき「産道」を通ったから、その後は…

飼い葉桶や(笑)

狭くて汚いのは諦めんとイカンな。イエスが大豪邸で生まれたら美談にならへん。

《Adoration of the Shepherds》
Gerard van Honthorst

しかし桶だけに、OKとは行かないよな。

そしてチャーリーは突然、告白を始める。

「女」の存在を隠していたことをレイモンドに詫びるんだ。

肉体のあるイエスとして誕生し、「天の父」と別の存在になって、やっと話せるようになったんだね。

きっとそうだろうね。だからそれまで「不自然」なシーンがあったんだ。

レイモンドと会話しながら急に涙を流したり…

あれは「一人二役」の状態だったからなんだ。

そうなると、「女」とは「人間イエス」のことだな。

に、人間椅子!?

肉体のある人間としてのイエスのことだよ。

多くの宗派ではイエスの「肉体」と「神性」を別のものとして考える。肉体自体は人間であったとね。

チャーリーはこんな風に「女」を説明する。

「三十ちょっと越えたところ」で…

「発展途上国の教育問題とフェアトレードに感心を持ってる人」で…

「一点の曇りもない理想主義者」だとね。

ナザレのイエスそっくりじゃんか(笑)

イシグロは、チャーリーにこんな「リップサービス」までさせる。

「彼女といると、昔の自分を思い出す」

二千年前の自分か…

その発言にレイモンドは突っ込む…

「というか、君はいつでも利己的で快楽主義だったと思う」

ユダが言うと重いな。

レイモンドの突っ込みをチャーリーは否定できなかった。

でも、こんな言い訳をする。

「だが、おれの中にはいつも別のもう1人がいて、外に出たがっていた。そいつが、おれの注意を彼女に向けたんだ」

ボブ・ディランか!

 Bob Dylan《The Man In Me》
by Joe Reeves & Friends

よっぽど好きなんだろうな、イシグロはボブ・ディランのことが。

チャーリーは女との肉体関係を否定する。

彼女は歯医者で、ただひたすら通い続けているだけだと。

だけどそれにエミリが気付く。チャーリーがあまりにも「デンタルフロス」を使い過ぎるので、エミリは怪しんでいたんだね。

「そんなにデンタルフロスを使う人、見たことない」とエミリに指摘されたことを回想するチャーリーは、次第に感情を高ぶらせ声を荒げていく…

なんだ?この会話。

なんか奥歯に物が挟まったような描写やな。

どうせ比喩や語呂合わせで他のこと言うとるんやろ。

その通り。

ここはサイモンとガーファンクルの『エミリー・エミリー』のパロディなんだよね。

Simon & Garfunkel《For Emily Whenever I May Find Her》
by Glenn Willow

パロディ?どういうことだ?

歌詞の中に「frost」という単語が出てくるから、それとデンタル「フロス」をかけているんだよ…

エミリーのことを思いながら感情を高ぶらせ声を荒げるのも、『エミリー・エミリー』と一緒なんだ。

確かに「frost」という単語が出て来るけど、たったそれだけの理由で?

いくら何でも「こじつけ」じゃない?


そんなことはないよ。

実はポール・サイモンの歌詞の世界では、「エミリー」と「フロスト」はセットになってるんだ。

「エミリー」という名が出できたら「フロスト」も登場するんだよね。

たとえば『ダングリング・カンバセーション』の2番とか…

Paul Simon《The Dangling Conversation》
by Rick Hale and Paul Garns

確かに「エミリー・ディキンソン」のあとに「ロバート・フロスト」が出てくるな…

イシグロが「エミリ」に「そんなにデンタルフロスを使う人、見たことない」と言わせたのは、ポール・サイモンへのジョークだったんだね。

「そんなに歌詞の中でエミリーとフロストを使う人、聞いたことない!」

イシグロはポール・サイモンも大好きなんだな、きっと。

しかしどんだけ駄洒落と語呂合わせ好きなんだよイシグロは!

動揺しているチャーリーを、レイモンドは「しっかりしてくれ」と励ます。

自分は言われた通りに「犬の件」もやるし「与えられた役目」もちゃんと果たすと。

「犬」とか「役目」とか、それ「裏切り者」ってことですから!

二千年経っても相変わらずのお人好しだな。

利用されていることも知らないで。

レイモンドはすっかり「人助け」をしていることに酔いしれてしまう。

エミリに自分のダメさを見せつけ、チャーリーがいかに特別かをわからせると鼻息を荒くするんだ。

そして「チャーリーは僕らとは所属リーグが違う」とまで言う。

だけどチャーリーは「そんな言い方は不自然だ」とダメ出しを入れる。

そりゃ、ただの人間であるユダと、聖霊が宿る神の子イエスじゃ「所属リーグ」が違うのは当たり前だよね!

あっちはリアル・ジャスティスリーグだから!

電話を切ったレイモンドは「広めのテラス」へ新鮮な空気を吸いに行く。

この家は建物の3階4階部分にあるテラスハウスで、テラスは他の一軒家より「やや高い」場所にあり、「壁」の向こうにロンドンの街並みが見える…

これは簡単や!

「神殿の丘」と「嘆きの壁」のことやろ!

リフレッシュしたレイモンドは、室内に戻り居間をチェックする。

そして計画の盲点に気付く。

「偽装工作」に「犬」の観点が欠けていたんだ。

レイモンドは、もっと「犬」の気持ちにならなければと考える…

ああ、ドツボだな…

レイモンドは四つん這いなり「犬」になりきってファッション雑誌を噛む。

あの「ヘンドリックス」が噛んだように見えるようにするには、どうすればいいか試行錯誤するんだ。

そして「あの技が近いかな」と気付く。

水に浮かべたリンゴを、手を使わずに噛みつく競争ゲームだ。

パン食い競争みたいなもんか?

そうだな。

ちなみにこの「偽装工作」には預言者エリシャのネタが多く使われている。

エリシャ?

あの偉大なる預言者エリヤの弟子だよ。

Elisha

エリシャは数多くの奇跡を行ったことで知られている。

その奇跡のいくつかが、レイモンドの「偽装工作」のネタになっているんだ。

たとえば…

「砂糖をぶちまける」は、塩をぶちまけて水源を清めた奇跡…

「鍋から異臭を発する」は、鍋に入れられた毒物を察知し清めた奇跡…

「浮かぶリンゴ」は、水中に沈んだ斧を浮かび上がらせた奇跡…

なるほどね~!

毎回のことだけど、よく気付くよな!

せっかく調子が出てきたレイモンドの「犬ごっこ」だったけど、あえなく終了させられる。

いつの間にかエミリが帰ってきてて、四つん這いで本を噛んでいるレイモンドを見つめていたんだ…

いよいよラストの2曲だな。

お手並み拝見と行こうか。


——つづく——



『夜想曲集』(@Amazon)
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?