「処女の泉③ことばを疑うことから始める」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
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2019年9月19日 夜
スナックふかよみ
ねえねえ、岡江クン…
「山羊泥棒の兄弟は娘を殺していない」って話も詳しく教えて。
下女インゲリの目撃証言は本当に全部嘘なの?
OK。
それでは解説しようか…
まずは『処女の泉』登場人物の整理をしておこう。
殺された娘の父。一家の主(あるじ)だね。
使用人や居候の神父の前では敬虔なクリスチャンを装っているが、妻と二人っきりの時は祈りの最中もあくびをし、十字架のイエス像にも無関心だった。
後半で見せる様々な儀式からも、彼の信仰は土着の神に向けられていることが見て取れる。
そして娘との距離感が尋常ではなかった。二人の関係を怪しんでしまうほどベタベタする姿が描かれていたよね。
かなり前から妻との関係は冷え切っていたようだ。
そして下女インゲリに手をつけ、孕ませた。
家の主は、神ヤハウェが投影されたキャラでしたね。
その通り。
監督のイングマール・ベルイマンは、それを隠すために北欧神話の神オーディンで巧みに偽装した。
神ヤハウェもキリスト教が誕生するまでは、パレスチナ地方に住むユダヤ人の土着の神に過ぎなかったわけだから。
それをヤン・マーテルとアン・リー監督が『ライフ・オブ・パイ』で踏襲したってわけね。
そういうこと。
『処女の泉』における「北欧神話とオーディン」という偽装が、『ライフ・オブ・パイ』では「ヒンドゥーとクリシュナ」に置き換えられたというわけだ。
そしてそれ暗示させるために「Pondicherry(ポンディシェリ)」という町を舞台にした。
「Pondicherry」は「cherry」の「pond」…
つまり「処女の泉」の駄洒落になっている。
ホントおもしろい、このお店…
あたし、クセになっちゃいそう(笑)
次は、殺された娘の母。主の妻について。
映画冒頭、彼女はイエス・キリストを真似て熱いロウを手のひらに垂らす自傷行為を行い、夫をドン引きさせていた。
事件が起こる以前から、彼女は精神的に不安定だったことがわかる。
その原因は、自分に対する夫の愛が冷めてしまっていたこと。
だから彼女は夫の前で居候の神父に対し、これ見よがしに手を差し出してキスをさせていた。自分に関心を向けて欲しいから。
そして彼女は、下女インゲリのお腹の子の父親が、夫であることに気付いていた…
家の跡継ぎである男の子を産めなかった彼女は、それを黙って受け入れるしかなかったんだね。
あまりにも受け入れがたい現実を…
このドロドロとした状況を、説明的なセリフや描写を排除してイングマール・ベルイマンは描き切った…
嵐の前の不気味な静けさを…
さすが巨匠と呼ばれるだけあります。
そして下女インゲリ…
「浅黒い肌」と「黒髪」をもつ彼女は、この家に拾われて下女として働いていた身寄りのない流れ者。
彼女が一心不乱に祈りを捧げる神オーディーンとは、もちろん神ヤハウェのこと。
彼女は近所の農夫と肉体関係をもっていたが、しばらく前に捨てられていた。彼女が自分以外の男とも肉体関係をもち、その上に妊娠までしたからだろう。
下女という身分でありながら妊娠した彼女が暇を出されなかったのは、お腹の子の父親が家の主だったからとしか考えられない。
当然彼女には、次なる欲望が芽生える。
それは、家の主の寵愛を、自分とお腹の子が受けること…
一人娘カリンが独占している寵愛の座を奪うこと…
悲劇における王道の舞台設定ね。
正妻の子が殺されるフラグ立ちまくり。
そして山羊泥棒の三兄弟…
実は彼らは娘殺しには関わっていない。
「ひとり娘カリンを強姦して殺した」とされる兄二人に至っては…
もしかしたら、娘の存在すら知らないかもしれないんだ…
え? 娘の存在を知らない?
考えてみてほしい…
もし深代ママが泥棒兄弟の立場だとしたら…
娘を殺害した現場からさほど離れていない家に行って、娘の死体から脱がした服を見せたりするかな?
あ…
しないわ…
ふつうなら遠くの町にでも行って、足がつかないように売りさばくよね?
しかも殺害の直前、娘は彼らが連れてる山羊の顔を見て「〇〇さんとこの山羊だわ」と見抜いていた。
山羊ですら所有者がわかるほどのド田舎なんだよ。
それなのになぜ娘の血が付いた服を、近くの家に売りに行くかな?
確かにそうだけど…
でも彼らは、あの家の中で挙動不審だったわ…
「事件のことは言うな」みたいなことを末っ子に言ってた気がする…
それは彼らを犯人だと決めつけて見ていたからだよ。
彼らは娘や事件のことなど一言も話していない。
挙動不審だったのは、単純に彼らが泥棒だったからだ。
でも家の主が復讐した時も、言い訳や反論をしてなかったわ。
認めてたじゃない。
認めてなんかいない。
あの時も父親は、娘のことなど一言も口に出してなかった。
無言でいきなり襲いかかったんだ。
泥棒兄弟は、これが「娘の仇討ち」だとは知らぬまま、殺されてしまったんだよ。
じゃあなぜ彼らは娘の服を持ってたの?
下女インゲリから手に入れたんだろう。
え?
この映画を読み解くポイントは、家に来てからの泥棒兄弟と、帰宅していた下女インゲリの行動にある。
下女インゲリは、帰宅したにもかかわらず、なぜか身を隠していた。
本来なら「山羊泥棒に襲われてお嬢様が殺された!」と報告すべきなのに…
だけど彼女はそうしなかった。
理由は1つしかない。
犯人に仕立て上げるはずだった山羊泥棒が家の中にいたから、隠れるしかなかったんだ…
まさか…
さぞかし驚いたでしょうね、インゲリちゃんは。
なんでここにいるの!?って…
ずっと隠れていた彼女が姿を見せるのは、泥棒兄弟の寝所としてあてがわれた建物の入口に鍵がかけられてからだった。
妻から血の付いた娘の服を見せられた主は、事情を訊ねるために泥棒兄弟のいる建物へ向かおうとした。
下女インゲリは、そのタイミングで姿を現す。
彼らの口から「この服は薄汚い黒髪の女から手に入れた」などと白状されたら、まずい事態になってしまうから…
ここで彼女は迫真の演技を見せた。
でっち上げた嘘の話で、主の復讐の炎を激しく燃やすことに成功したんだ。
泥棒兄弟たちが問答無用で処刑されるような状況を作り出したんだね…
確かに下女インゲリは、あの家で泥棒兄弟たちと顔を合わせていなかったわ…
泥棒兄弟たちが閉じ込められてからというタイミングでの登場も、かなりアヤシイ…
おそらく下女インゲリは、ひとり娘カリンと二人でピクニックランチをしていた際に、彼女を殺害したに違いない。
ひとり娘カリンは泥棒兄弟とランチしてたんじゃないってこと?
あれは嘘だ。あの場に泥棒兄弟はいなかった。
カリンとインゲラは二人でランチしてたんだよ。
おそらくこんな出来事だったに違いない…
パンの間からカエルが飛び出し、それに驚いたカリンが大騒ぎして「早く殺して!」とわめきたてた…
インゲリは石を手にし、なぜかカエルではなくカリンの頭へ投げつけてしまった…
故意か偶然かはわからないが、インゲラはカリンを殺してしまったんだ。
ホントかしら?
その証拠に「殺害シーン」の映像で、インゲラの手から離れた石が、なぜかコロコロと転がって、最後は小川に落ちるという描写があった。
あの描写と、カリンの遺体の頭部が置かれていた場所から泉が湧いて小川になるという描写はリンクしている。
なるほど。もう一回見てみないと。
カリンを殺してしまったインゲラは、カリンの服を脱がせ、途中で見かけた山羊泥棒に渡すことを思い付く。
そして適当な嘘をついて、血の付いた服を彼らに渡した…
彼らは泥棒だから、もし娘殺しの容疑者として捕まったとしても、誰も彼らの話を信用しないだろう。
それを見越した作戦だったわけだ。
彼らが家に来てしまうことはインゲラにとって全くの想定外だったけど…
なるほど…
しかし泥棒兄弟の末っ子が挙動不審だったわけは?
あの末っ子だけが、カリンの死体を見たんだ。
おそらく下女インゲリがカリンの服を脱がしていた時、あの末っ子が森の中からふらりと現れた…
末っ子はカリンの死体を見て激しく動揺したが、それを兄たちにはうまく伝えられなかった…
きちんと伝えていれば、兄たちもあの家で血の付いた服を出さなかっただろう…
そういうことか…
しかし、そもそもなぜインゲリはカエルをパンの間に入れたんでしょう?
弁当を作った自分の仕業だとバレてしまうのに。
あれは娘カリンが殺されるフラグの役割を果たしている。
え?
『出エジプト記』で神はエジプト人に「10の災い」を与えた。
10番目は有名な「長子を撃つ」つまり「その家に最初に生まれた子を殺す」だね。
カエルは2番目の災いなんだよ。
辺り一面、カエルだらけにしてしまうという災い。
ああ、そうでした…
他にもイナゴの大群とかありましたね…
ちなみに福音書の中のイエスの言動は、この「10の災い」を踏襲しているんだ。
最後に「神の長子」である自分が殺されて、旧約の預言が再現されるという仕組み。
『ライフ・オブ・パイ』でも「10の災い」ネタを使っていたわよね…
クラゲやトビウオの大群を使って(笑)
ああ!
あれはそうだったのね!
クラゲがカエルで、トビウオがイナゴ(笑)
これで『処女の泉』が「嘘だらけ」の物語であることが、よくわかってもらえたかと思う。
下女インゲリが見たという「娘殺し」も嘘だったし、父親も母親もさまざまな嘘をついていた。
これは監督のイングマール・ベルイマンも公言していたように、『処女の泉』という映画の元ネタが、黒澤明の『羅生門』だからなんだよね…
無法者、美しい女、その殺された夫…
殺人事件の当事者三人の語る話が、それぞれ全く異なる内容で、すべて嘘だったというストーリーですね。
人のことばを無条件に信じちゃいけない…
人を信じることは大切だけど、ことばは嘘をつくものだから…
ちなみに映画『羅生門』の元ネタは、芥川龍之介の『藪の中』。
そういえば『ライフ・オブ・パイ』のトラも、最後は「藪の中」へ消えてったけど…
偶然かしら?(笑)
どうでしょうね。
あれ?またお客さんが来たみたいです…
カランカラン♫
(ドアの開く音)
あら、良介山ママ…
繝弱ヶ縺上s謌サ縺」縺ヲ縺阪◆?
は?
繝弱ヶ縺上s謌サ縺」縺ヲ縺阪◆!
興奮し過ぎて言葉がゲシュタルト崩壊してるわ…
ちょっと落ち着いて…
アンタの耳がおかしいんじゃない?!
アタシはさっきから「ノブくん戻ってきたでしょ?」って言ってるけど!
良介山ママ…
残念だけど、ヒロノブさんは戻ってきてないわ…
嘘よ!
ほら!そこ!奥にいるのはノブくんでしょ?!
ノブくん!なんでアタシから隠れてるの!?
私のことでしょうか?
なんだ、違うじゃん…
てゆうか誰よ、あんた。
のぶのぶです。
のぶのぶゥ?
こちらアキノブさん。今日が初めてのお客さん。
何がのぶのぶよ!紛らわしい!
ヒロノブさん…
もう遅いし、今夜は戻って来ないんじゃないかな…
そんなはずない!
ノブくんは絶対に約束を守る人なの!
「2時間以内に戻ってくる」って言ったんだから、ノブくんは絶対に戻ってくる!
ヒロノブさん、そんなこと言ってたっけ?
アンタも頭おかしいんじゃない?!
ノブくんは確かに言ってたわよ!
そうだったかなあ…
アタシ、ノブくんのことばを信じてる!
深読み探偵十ヶ条、その三「ことばを疑うことから始めよ」
ムキー!アンタまでこのアタシをコケにする気!?
い、いえ… ほんの参考までに言っただけで…
なにが参考よ!聞いた風なことぬかさないで!
アンタ!アタシと勝負する気?かかって来なさいよ!
ちょっと落ち着いてちょうだい、良介山ママ…
ほら、これを見て!
そんなこと言われなくてもアタシは落ち着いてるわよ!
バカにしないで!
女には本当に損な時がある。
男に良くしてやって、
愛していることを見せれば見せるほど、
それだけ早く、男は飽きてしまうのだから…
ハァ?
ヘミングウェイ。深いわよね。
なにがヘミングウェイよ!
このアタシがノブくんに飽きられたとでも言いたいわけ!?
そんなこと100万年たっても有り得ないんだから!
たとえナイアガラ瀑布の水が干上がっても有り得ない!
でも実際…
良介山ママの愛って、ちょっと重いと思うわ…
メールとかも凄く長文でしょ?
あれが毎日送られてくると思うと…
ヒロノブさんが少し距離をおきたくなるのもわかる気がする…
アンタ、ホンキでそんなこと言ってんの?
アンタにアタシとノブくんの何がわかるっていうのよ!
まるで、ヨコハマ・ホンキートンク・ブルースね…
へ?
場末の店でよくありがちな哀しい恋の歌…
そ、それがどうしたのよ!
切ない時は、切ない歌を、聴けばいい…
無理して強がってみても、後からもっと自分が傷つくだけ…
ゴクリ…
べ、別にアタシ… 無理なんか…
あたしが歌ってあげる。
思いっきり泣いたらいいわ。涙が枯れるほど泣いて、スッキリするまで…
・・・・・
そして笑うのよ。思いっきり、ね…
つづく
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