シン・日曜美術館『深読み 夏目漱石の坊っちゃん』⑲「余談 風立ちぬ partⅡ」
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1989年5月某日(日曜)午後
藪蔦屋 りうていの間
『坊っちゃん』を読み解く鍵は『風立ちぬ』にある…
どうやら、おせいさんの虚言妄言というわけではなさそうだな…
うん。僕もそう思う。
木又先生から習った『深読みアート論 堀辰雄の風立ちぬ』を、もう一度よく思い出してみよう。
何か手掛かりがあるかもしれない。
堀辰雄
1904年(明治37)- 1953年(昭和28)
堀辰雄の小説『風立ちぬ』の序章「序曲」は、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの引用から始まる。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
PAUL VALÉRY
ポール・ヴァレリー(1871年 - 1945年)
このフレーズは、劇中で主人公の「私」が、なぜか口にしてしまう不思議な言葉として使われる。
その理由は明らかにされないけど、自然と脳内から湧き上がって来る言葉として。
しかも「私」の口から出て来るのは、冒頭に引用されたフランス語によるものではなく「日本語訳」されたもの。
この小説のタイトルにもなっている、重要なキーワードだ…
風立ちぬ、いざ生きめやも。
ヴァレリーによる原文の後半部分「il faut tenter de vivre」は、英語で言うと「we should try to live」…
つまり「生きようとしなければならない」という意味だ。
しかしこれを堀辰雄は日本語で「いざ生きめやも」と訳した。
現代語にすると「生きるだろうか、いや、生きないだろう」、つまり「死ぬ」という意味に…
多くの人は「いざ生きめやも」を堀辰雄の「誤訳」だと考えた。
本来なら「いざ生かざらめやも」でなければオカシイと。
大野晋や丸谷才一といった文学者や国語学者は、「めやも」が室町時代の一時期に強調の意味でも使われていたことがあると指摘し、堀辰雄が勘違いしたのだろうと結論付けた。
しかし「いざ生きめやも」は「勘違いの誤訳」ではない…
なぜならこの「誤訳」は、堀辰雄の意図的なもの…
この「誤訳」こそが、この小説における最大のトリックであり、核心部分だった…
多くの人が「誤訳」だと感じた「風立ちぬ、いざ生きめやも」とは…
冒頭で引用されたポール・ヴァレリーの詩の元ネタである聖書のフレーズを要約したもの…
ちなみに堀辰雄が『風立ちぬ』を書いた1930年代に流通していた主な日本語訳の聖書は5種類…
①『明治元訳新約聖書』
②『我主イイススハリストスの新約聖書』
③『我主イエズスキリストの新約聖書』
④『大正改訳新約聖書』
⑤『新契約聖書』
①④⑤はプロテスタント、②は正教会、そして③はカトリックの信徒用…
『風立ちぬ』の主人公「私」は「カトリック教会」に通っているから、堀辰雄が愛読していたのは③『我主イエズスキリストの新約聖書』ということになる…
そして『我主イエズスキリストの新約聖書』の中で「風立ちぬ、いざ生きめやも」に相当する部分とは…
「ヨハネ聖福音書」第三章の、第七節と第八節…
3-7 汝等(なんぢら)再び生れざるべからずと我が汝に告げたるを怪しむこと勿(なか)れ。
3-8 風は己(おの)が儘(まま)なる處(ところ)に吹く、汝其(その)聲(こゑ)を聞くと雖(いへど)も、何處(いづこ)より來(きた)りて何處に往(ゆ)くかを知らず、總(すべて)靈(れい)より生れたる者も亦(また)然(しか)り、と。
「いざ生きめやも」は、ヨハネ第三章第七節にある「再び生れざるべからず」を言い換えたもの…
打消しの助動詞「ざり」の連体形+連語「べからず」という二重否定の形になっていて、現代語にすると「再び生まれないということはない」…
つまり「一度死んでから、新たに生まれなければならない」という意味…
ちなみに、この『ヨハネによる福音書』の第三章第七節第八節は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の元ネタでもあった…
つまり『風立ちぬ』と『風の歌を聴け』は、ポール・ヴァレリーの詩から生まれた異母兄弟ということ…
あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風に生きている。
堀辰雄『風立ちぬ』のヒロイン節子のモデル矢野綾子が描いた絵と、村上春樹『風の歌を聴け』の表紙として描かれた佐々木マキの絵にも、奇妙な共通点があった…
『風立ちぬ』冒頭の「節子の風景画」とされる矢野綾子の絵に描かれているのは…
ひとりの人物、3つ並んだ木、その背後に見える家、そして小さな祠…
これは「秋近くの夏の日」の風景だった…
そして佐々木マキの絵に描かれているのは…
ひとりの人物、3つ並んだ倉庫、その背後に見える町、そして灯台と土星…
これは「8月26日」の風景だ…
この2つの絵は元ネタが同じ…
同じ有名絵画を元ネタにして描かれた、異母兄弟のような絵…
その有名絵画とは…
多くの芸術作品の元ネタに使われる…
アンドレア・マンテーニャの『磔刑図』…
『Crucifixion』Andrea Mantegna
矢野綾子の絵の中の「3つ並ぶ木」は、3つの十字架…
その後ろの「三角屋根の家」は、十字架の後ろに見えるエルサレム…
左端の「小さな石の祠」は、石の洞穴の墓場…
そして「木のそばで見上げる人」は、イエス・キリストを見上げる使徒ヨハネ…
佐々木マキの絵の中の「3つ並ぶ倉庫」は、3つの十字架…
その後ろの「三角山の町」は、十字架の後ろに見えるエルサレム…
「埠頭の端で倉庫を見ている人」は、石畳の端でイエス・キリストを見ている使徒ヨハネ…
そして「オレンジの夕焼け空に黄色いライトを照らす灯台」は、ローマ兵が遊んでいるオレンジと黄色の双六ボードで…
「赤い環のあるピンクの土星」は、ローマ兵の赤いモヒカンとイエスの上着だった…
それにしてもミス・キマタは、よくこれを見抜いたよな…
まったくだよ。
いくら「風」つながりでも、普通は『風立ちぬ』の絵と『風の歌を聴け』の絵が同じ絵だなんて発想は思いつかない…
さすが「シン日曜美術館」を名乗るだけはある…
あたくしが、どうかしましたか?
み、ミス・キマタ!
ええっ!? いつからそこに?
今、たまたま通りがかりました。
いったい何の話をしていたのですか?
先週、木又先生の授業で教わった、堀辰雄の『風立ちぬ』です…
おせいさんが『坊っちゃん』を読み解くためには『風立ちぬ』がヒントになると言ったので…
おせいさん? それは誰のことですか?
この蕎麦屋の女中ですよ。「ぞなもし」が口癖の。
ああ… あの仲居さん…
あたくしが2冊の『坊っちゃん』をあなたたちに届けてもらった…
そうです。あの人です。
あの人が『坊っちゃん』を読み解くヒントは『風立ちぬ』だと…
そうですか…
あの仲居さんが、そんなことを…
しかも『風立ちぬ』の熱唱まで聴かされました。
頼んでもいないのに、まったく…
『風立ちぬ』を?
あたくしも、あの歌、大好き…
まあ、確かに名曲には違いありませんが…
だけど、あのおせいさんという人はいつも勝手に…
ああ… 我慢できないわ…
木又、歌わせていただきます…
は?
木又先生…
これは松田聖子の『風立ちぬ』ではなく、荒井由実の『ひこうき雲』ですけど…
いったい、なぜこの歌を?
今はわからない…
他の人にはわからない…
?????
そうそう。こんなことしてる場合じゃなかった。
お花摘みに行くところでしたのに…
ミス・キマタもお花摘みに?
わたくしが先週教えた堀辰雄『風立ちぬ』の深読みを、よく思い出してください…
必ず『坊っちゃん』解読の手掛かりになるヒントがあるはず…
それでは、また後程…
やはりヤマトナデシコは便所に行くことを「お花摘みに行く」と言うんだな。
君の話は本当だった。
そんなこと感心してる場合かよ。今は『風立ちぬ』の話だ。
あの「序曲」には色々重要な仕掛けがあったじゃないか。
そうだったな。
あれは実に興味深いトリックだった…
つづく
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