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深読み 米津玄師の『BOOTLEG』最終章『灰色と青(+菅田将暉)』⑧恵比寿南二公園


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米津玄師は本当に面白い… 天才だ…


ふふふ。だよな(笑)

そもそも、もう1つのロケ地に「恵比寿」を選ぶなんて、米津玄師にしか思いつかないだろう。

普通の人間では「横浜市の京急本線子安駅」のあとに「渋谷区の恵比寿南二公園」へ行こうと思わない。



このチョイスも完璧です…

完璧に清少納言『枕草子』の「大路近なる所にて聞けば」をオマージュしている…


なぜ米津玄師は「恵比寿南二公園」を選んだのか?

公園などいくらでもあるのに、なぜ「恵比寿南二公園」でなければならなかったのか?


その答えは清少納言『枕草子』の「大路近なる所にて聞けば」で二人の男が歌っていた漢詩にある…

米津玄師は「遊子猶行於残月」を「夜明け前の児童公園」で再現し…

「函谷鶏鳴」を「恵比寿南二」で再現した…


遊子猶行於残月
函谷鶏鳴

遊子は猶も行く
朝日が昇る前の欠けた月の下
函谷に鶏が鳴く


なぜ米津玄師は、この漢詩から「恵比寿南二公園」を想起したのか?


『枕草子』で清少納言が何度も引用した「函谷鶏鳴」とは、『史記』の中に描かれた孟嘗君のエピソード…

米津玄師は、この「孟嘗君」という名前に着目した…


その通り。

「孟嘗君」という名前は、とても美味しそうな名前だからな(笑)


孟嘗君の「孟」は…

「子」に「皿」と書く…


そして孟嘗君の「嘗」は…

「神の気配がする家屋の中で匙を口にして味わう」という意味…



だから米津玄師は「恵比寿南二公園」を選んだ…

あそこは別名「ブタ公園」と呼ばれているけど、ブタよりもニワトリと縁が深い…


まず1つは「函谷関」だ。

鶏で有名な函谷関(かんこくかん)と、参鶏湯で有名な「韓国館」の駄洒落だな(笑)


恵比寿南二公園のすぐ近くには…

参鶏湯(サムゲタン)が名物の韓国料理店「韓国食堂 入ル 坂上ル」がある…



大阪の鶴橋にあった伝説の韓国料理店「韓味一」の味を受け継ぐ「韓国食堂 入ル」…

高校卒業後に大阪で暮らしていた米津玄師と、大阪生まれ大阪育ちの菅田将暉が、この店を知らないはずはない。



しかも「入ル 坂上ル」という店名は、まるで「京都の住所」のよう…

京都は「大路」が碁盤の目のように縦横に走っているため、住所を表す際に「○○通」から東や西に行く際は「東入ル・西入ル」、北や南に行く際は「上ル・下ル」と呼ぶ…



清少納言の「大路近なる所にて聞けば」を再現するにはピッタリの店名だな。


そしてもう1つのニワトリ…

恵比寿南二公園のすぐ近くには、ニワトリの看板が目印の鶏卵専門店「トキワ卵の会」がある…



トキワ卵の特徴は、飼育するニワトリに輸入トウモロコシではなく、国産の「玄米」を与えること。

玄米を食べて育ったニワトリが産む「玄米玉子」には、輸入飼料に含まれる余計な成分が入っておらず、タマゴがもつ本来の味が楽しめる。



米津玄師はファンから「玄米先生」とか「玄米法師」とか「玄米王子」と呼ばれている…

だから米津玄師は、恵比寿南二公園の近くにあるトキワ養鶏の「玄米玉子」を知っていた…


恵比寿南二公園ほど「函谷鶏鳴」に相応しい場所はない。

素性法師(良岑玄利)の歌「今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」とインド映画『きっと、うまくいく』から「9月」を…

そして清少納言『枕草子』の「大路近なる所にて聞けば」から「朝日が昇る前の欠けた月を見ながら歌う2人の遊子」を…

米津玄師は天才だな。


『灰色と青』に菅田将暉を起用したのも本当に天才的です。



菅田将暉の本名は大将。

「もうしょう(猛将)君」と「たいしょう(大将)君」だな。


そして米津玄師には、どうしても『BOOTLEG』に菅田将暉を起用する理由があった…

音楽サイト「ナタリー」のインタビューで、こんなことを語っている…


彼は自分にとってすごく気になる存在だったんです。初めて観たのは「そこのみにて光輝く」で、「デストラクション・ベイビーズ」「溺れるナイフ」そして「何者」と、知り合いの監督だったり自分の関わっている作品に出演していて、人生のタイムラインにたびたび顔を出す、無視できない存在で。どこかで「同じような何かを持ってるんじゃないか」って、勝手に思っていて。菅田くんとであれば、奇跡的な瞬間と「キッズ・リターン」のような表現、両方が生まれるんじゃないかと思った。それで声をかけました。

音楽ナタリー「米津玄師『BOOTLEG』インタビュー」


インタビューで米津玄師は菅田将暉の代表作をいくつか挙げた。

まずは『そこのみにて光輝く』…



そして『デストラクション・ベイビーズ』…



そして『溺れるナイフ』と『何者』…



他の曲の説明もそうでしたが、米津玄師はカモフラージュ、誘導が本当に上手い…

『BOOTLEG』と『灰色と青』に最も影響を与えた作品の名前を巧みに伏せている…

どう考えても「あの作品」の名前を出さないのは不自然なのに…


だよな。

菅田将暉が出演している映画で『キッズ・リターン』を想起させるものといえば「あの作品」しかない。

『灰色と青』というタイトルも「あの作品」そっくりなのに(笑)


だから米津玄師はインタビューでこう続けた…


確実に菅田くんとじゃないと成立しなかった。彼とは似てる部分があると勝手に思ってるんですけど、育ってきた環境は全然違うし、そもそも俺は音楽家で、向こうは俳優だから表現方法も全然違う。それでも、やっぱりどこかに共通した何かを感じる。そのバランス感が本当にちょうどよかった。9月にレコーディングしたんですけど、2017年の夏から秋にかけての曖昧な時期、本当にその一瞬にしか成立しなかった曲だと思います。

音楽ナタリー「米津玄師『BOOTLEG』インタビュー」


ポイントは「9月にレコーディングしたんですけど、2017年の夏から秋にかけての曖昧な時期、本当にその一瞬にしか成立しなかった曲だと思います」という説明だな。

『灰色と青』に大きな影響を与えた菅田将暉の「あの作品」は、「夏から秋にかけての曖昧な時期」と深い関係がある。


菅田将暉が出演した「あの作品」には「夏から秋にかけての曖昧な時期」を描いた物語が重要なキーワードとして登場する…

それは四季の物語を集めたスティーブン・キングの中編集『Different Seasons(邦題:恐怖の四季)』の中の「秋」の物語『The Body(死体)』を映画化した『Stand by Me(スタンド・バイ・ミー)』…



つまり、インタビューで米津玄師が巧みに伏せた「あの作品」とは?


加藤シゲアキ原作、行定勲監督作品…

『ピンクとグレー』です…



この作品はまさに『キッズ・リターン』といえる。

『灰色と青』を説明するのに、この作品の名前を出さないのは、どう考えても不自然だ。

不自然どころか、米津玄師はこの映画『ピンクとグレー』を見て、アルバム『BOOTLEG』のアイデアを得たかもしれないというのに…


僕もそう思います…

米津玄師は映画『ピンクとグレー』を観て、アルバム『BOOTLEG』のコンセプトを思いついた…

だから『灰色と青』という曲を作り、共演者として菅田将暉を起用した…



つまり米津玄師は『ピンクとグレー』の「色の意味」を見抜いていたわけだ。

なぜ「ピンクとグレー」なのか?

なぜ映画版は映像が「カラーとモノクロ」で分かれているのか?



ここに知恵が必要である…

賢い人は「ピンクとグレー」の色にどのような意味があるかを考えるがよい…


色は「人物」と「建物」を指している…

「ピンクとグレー」の数字は「325」である…



つづく




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