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アメリカに住む、ドイツ人のパパと、日本人だけどカナダ生まれのママと、4人の子供たち

継承される人(子)の視点、継承する人の(親)の視点

「今年48歳です。今はアメリカのニュージャージー州に住んでいて、ここへ来てから12年になります。子供は今、10歳、12歳、15歳、16歳です。1番上と下がアメリカ生まれで、真ん中2人は日本生まれです。夫はドイツ生まれのドイツ人です。私はカナダ生まれです。ここまでいうとややこしいんですけどね。」

と、笑って自己紹介してくれたユリさん。カナダで生まれ、小学校2年生の時に日本へ帰国。中学3年生の時に再び渡米し、大学を卒業してからもしばらくアメリカに滞在。そして大学で出会ったドイツからの留学生と結婚。1人目の子供が生まれてから3年半ほど一家で日本に暮らしたものの、日本に住んだ期間は全部合わせて人生の1/4以下。今も日本との関わりはほとんどない生活をしている。

自分たちは日本人だと思っていたのに

日本での体験

夫のアメリカ滞在ビザが切れた時、2人目の子供を妊娠中だった。行ける先はドイツか日本。ドイツ語ができないユリさんのために、一家は日本へ行くことにした。無事に長男は生まれ、長女も幼稚園へ行くようになり、そのうち次女も生まれ、日本での生活はスムーズにいっていた。

「だけど、学校をどうするかという問題にぶつかったんです。というのは、自分たちは子供たちのことを日本人だと思っていたし、それほど日本人離れした顔をしてるわけじゃないと思っていたのに、公園へ行ってもどこへ行っても珍しがられる。それほど珍しいわけじゃないんでしょうけど、変わった目でみられた。長女が幼稚園へ行き始めた時も、子供たちが、子供はハーフって言葉は使わないんですよ、でも英語人って呼ぶんです。それで、娘を囲んで『英語人、英語人、英語しゃべってみろ。』って。でもその時点で、家では日本語とドイツ語しか使ってなかったんですよ。私と主人の共通語は英語なんですけど、子供たちはドイツ語と日本語しかわかリませんでした。長女には多少は英語を教えるというか、1 番上の子は実験台なので、アルファベットを教えたりとかしましたけど、基本的には日本語が1番強かった。例えば、ドイツ語を話している時、娘が最初よくやっていたことは、単語がわからないと日本語をドイツ語風に発音して文章に入れて話していたんです。3歳、4 歳くらいの時ですね。それで、学校のことを考えた時に、常に変わった目でみられて馴染まないでいるのもどうなんだろう、と思ったんです。でも、ドイツへ行っても同じことなんですよね。ドイツへ行ってもやっぱり変な目で見られるだろうし。それで、アメリカの方がいいんじゃないか、ということになって、長女が小学校に上がる前くらいを目処にって、アメリカへの転勤リクエストを入れたんです。そしたら結構あっさり決まってしまって、それで引っ越すことになりました。」

日本語を全くしゃべらなくなってしまった長男

4 歳半、3 歳、そして生後 3 ヶ月の子供を連れて、アメリカのニュージャージー州へ。日本語とドイツ語しか話せなかった子供たちは、日系のプリスクールに編入させてもらった。キンダーガーテンに上がれば、E S L (English as a Second Language)クラスのサポートがあるが、プリスクールにはなかったので、まだキンダーガーテンには通えない長男のために、日系にこだわったユリさん。でも、長男は最初の 6 ヶ月いたこのプリスクールでは、一言も言葉を発さず、その次に入れた、近所にあった日本人がやっているモンテッソーリのプリスクールでも、あまりしゃべらなかった。

「でも性格かなと思い、放っておいたんです。家ではわいわい騒いでいたので。それで、長女が日本では小学校1年生のとき、長男と2人、近くにある日本語の補習校に、週に1回土曜日にに、トライしてみようかと言って行かせたんですよ。ひらがな、カタカナ読めるといいし、と思って、2 人を入れてみたんです。。。。ところが、幼児部の年長さんに入った長男は、お遊戯ばかりだったんですけど、見事に全く日本語をしゃべらなくなったんです。どうしてこんな楽しいことばっかりやっているのにしゃべらなくなるの?って思うくらい全く日本語をしゃべらなくなったんです。」

外だけではなく、家で姉妹たちとも、ユリさんとも日本語を全く使わなくなってしまった。日本のおじいちゃん、おばあちゃんとは日本語で話すし、いざとなったら何とかなる程度に言葉が出てくるのに。

「それで 3 人目の次女が 3 歳になって、プリスクールを選ぶときに日系のにするか悩んだんですけど、長男も日本語を全く使わなくなってしまったし、次女もそうなってしまっては困るので、日系とかにこだわらずに、近所のプリスクールに入れることにしました。それからはもうあまり無理矢理日系の何かっていうのをやらなくなったんですね。」

日本語力不足でサポートしきれないと感じさせられた補習校

ユリさんがカナダで育った頃、駐在員の子供は日本語補習校へ通うのが当たり前だった。駐在員ではないけど、自分の子供も日本語を身につけさせたいなら、とりあえず文部省公認の補習校だろうと思って入学させてみたものの、授業のペースの速さに驚く。そのペースについていくための宿題のサポートも相当必要で、小さい子供を 3 人抱えたユリさんにとって、かなりの負担になってしまった。それに加えて、日本社会の延長のような補習校と関わるには、自分の日本語力と日本における社会経験が足りないことを感じさせられた。

「私の日本語の語学力が足りないということを見事に思い知らされました。学校からくる手紙や通知も、読んでだいたい内容はわかるんですけど、どうやってこれに返事をしたらいいか、わかりませんでした。私も帰国子女で、日本に帰った時点(当時小学校 2 年生)からちょっと日本語は遅れていたんですよね、多分。それで勉強嫌いもあり、お友達もあまりできなかったというのもあって、何となく常に変人扱いされている気持ちがありました。それで(再び 14 歳の時に)日本を離れた時は、全く日本語の勉強をしなかったんです。補習校も行かなかったし、他の駐在員の子供は塾に通って日本の大学を受験する準備とかしていたのに対して、私は全く何もしなかったんです。だから、読むのはできるし、理解はできるけど、書こうと思った時やフォーマルな場に出た時に、日本語が上手に出ない。会話は普通にできるけど、社会に出て何かやらなきゃいけない、例えば銀行の手続きをしなきゃいけない時などに、また自分がいかに日本語ができないかを思い知らされるんです。夫と子供と一緒に日本に住んでいた時も、お役所とかに行った時に手続きなどがスムーズにいかないんですよ。もちろん夫が外国人だから手続きが多かったというのもあるんですけど、システムがわからないというだけではなく、語学力がやっぱり足りなかったんですよね。結局いつも母についてきてもらって手伝ってもらっていました。漢字などは何となく意味は分かっても正しい読み方はわからなかったし。そういう経験もあって、補習校で役員とかが回ってきたらどうしようとか、思っていました。実際に、年長さんのイヤーブックを作るので手伝いをしてほしいと言われ、参加はしたものの、最初に、自分はメールとかの返信をどう書いたらいいかわからないことがあるので、返信が遅くても怒らないでくださいって説明をしました。じゃないと、送られてくるものがすごくフォーマルで、返信にすごく困ってしまうんですよ。そんな状況で子供たちに日本語をやって、と言ってもどこまで手伝えるか自信がなかったし、それと同時に現地校では英語を習い始めてたし、その上に長男は日本語をしゃべらなくなっちゃった、というので結局1年で辞めてしまいました。」

4番目は不利

アメリカへ再び引っ越してから 1 年半後、4 人目の三女が生まれた。他の子供たちも英語の環境に慣れ始めると、もう家の中で日本語を頑張り続けることに無理が出てきた。

「子供たちの会話がついていかなくなった。子供達同士での日本語の会話がなくなっていったって感じですね。たぶん子供達の話したいことを表す、日本語の単語を知らなかったんだと思う。それでも、ドイツ語でディズニーのアニメ見ながら日本語で会話してることがあったり、ごちゃまぜで会話してたりというのが、しばらく結構ありました。でも、大きくなるにつれてお友達のこととかを話したい時に、無理に日本語っていうと語彙が足りなくてしゃべれなくなっちゃうんですよね。そうなってきた時に、私も無理に日本語で一生懸命話すのも、だんだん不自然になってきて。私も英語ばかりの環境にいるわけだし、特に他の日本人と積極的に関わろうともしなかったし。そういう意味でも日本語とのつながり、日本との繋がりが、私自身が薄いから、子供達に繋げるのは難しいですね。」

日本へ一時帰国する時が唯一日本語にどっぷり浸かる環境だったが、それも4 人目にはなかなか日本へいくチャンスを与えられなかった。

「人数が増えるにつれて帰国が大変になったんです。それで、4 人目の三女が生まれてからは 3 年くらい帰ってなかったのかな。そのせいで彼女は日本語が 1 番弱いですね。状況的にも、長女が学校へ行き始めた時に生まれて、みんなどんどん英語ばかりの生活に入っていってた時期だったので、家では日本語でやろうと思っても、やっぱりみんな帰ってきたらワイワイ英語でしゃべり出しちゃって。なので、三女が 1 番日本語もわからない、ドイツ語も(色々あって)薄れちゃったという意味では、1 番不利かな。」

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ドイツ語

ドイツ語に関しては、話せて理解ができるようにと、お父さんが頑張っている。日本にいる時から、夜の食事は家族と一緒にできるように(そしてドイツ語で話せるように)と必ず6時に帰宅していた。そして、それはアメリカへ引っ越しても続けている。アメリカへ引っ越してしばらくは、お父さんと子供たちはドイツ語の教会へ毎週日曜日に通っていた。それでも、お父さんもユリさんと同じように、最近は、英語でのやりとりの方が多くなってしまっているとのこと。

「最近ちょっと子供たちに聞いてみたんですよ。もっと日本語使った方がいい?って。そしたら、三女は嫌だって言いました。長女はいいよ、その方がいいかもしれない。次女はどっちでもいいって感じで、長男は、シラーんって。それで、どうも夫も最近気が付いたのか、もうすこしドイツ語を話すようにしてますね。」

日本語はおじいちゃんとおばあちゃんの言葉

子供達の日本語との関わり方

英語の環境に慣れ、日本語とのつながりが薄れていく中で、日本に住むおじいちゃんとおばあちゃんの存在は、子供たちにプレッシャーなく日本語を使う機会となっている。海外に20年近く住んで英語の通じるユリさんの両親相手なら、単語を知らなければ英語で言えば通じるので、子供たちも安心して会話ができる。

「ある意味緊張しないっていうか、おじいちゃんおばあちゃんの周りで。わからなくなったら英語でも大丈夫という安心感がある、逆に言ったら、日本語じゃないといけないっていう危機感がない。そういう意味では、三女もドイツよりは日本のほうが安心していけるみたい。(ドイツのおじいさん、おばあさんは英語が通じなかった)」

日本のアニメも最近は Netflix で見れるようになっているので、子供たちは英語の字幕をつけて見ている。よくわからないながらも日本語で見て拒否反応は示していないので、それでもいいかな、と思っているユリさん。

「前は、おじいちゃんが次々と DVD に(日本のアニメ番組を)落として送ってきてくれていたんですけど、自分たちから見たいって言わない限り、見せていても結局消しちゃうんですよ。面白くないって言って。それと字幕がないと会話が早すぎてわからないと。だから、サザエさんみたいな単純なのはわかりやすくて好きです。あと、ドラえもんも好き。最近見ているものは、 Netflix にポンポンって出てくるものから、子供たちが自分でこれ見てみようって選んでいます。」

日本での経験から、自分たちは白人だと思っていたのに

アメリカでの体験


常に変わったもの扱いされては子供たちがかわいそうと思ってアメリカへ引っ越したユリさん一家。アメリカへ来てからの体験を聞いてみると、期待していたほどスムーズではなかったようだ。

「自分の体験もそうでしたけど、カナダから日本に引っ越した時に私は変人扱いされました。日本人じゃないって。それは自分が帰国子女だったというのもあるのかもしれないけれども、私たちの家族の文化がそれほど日本的ではなかったって言うのもあるんですよね。それで自分は日本人じゃないみたいな扱いを受けたから、アメリカに行った時に自分はもっと受け入れられると思ったんです。ところが、アメリカに来てみると『あなたは日本人です』と言われてしまった。それと同じで、子供達も日本で英語人英語人って言われたから自分たちが白人だと思ってたんですよ。だけどアメリカで学校に行ってみたら白人じゃないと言われた。なので、アイデンティティとしては、多分最初は白人だと思っていたのに、今ではどちらかと言うとアジア人だと思っていると思います。そのマイノリティのアイデンティティが強くなってしまうのは、多分そこを指摘されるからなのよね。目に見える部分ばかりを。文化的には、うちは特に日本的なこともしなければドイツ的なこともしてない。クリスマスの習慣がちょっとよそとは違うちょっとドイツ風とか、ドイツとの宗教的な繋がりはあっても、いわゆるトラディショナルな何かというのはしてません。お正月だっておせち料理なんてほとんど食べたこともありません。作り方も知らないし、誰もどうせ食べないだろうし。」

What are you?という質問に対してシンプルに答えられない子供たち

Ethnicityだと、Asianか、または、Mixed up。国籍で言うと、さらに複雑である

「問題としては、長女と三女はアメリカ生まれだからアメリカ人で通じるんです。だけど、次女と長男はアメリカ国籍がないから、お前は何なんだ?
って言われた時に、大抵は、『日本人』って言ってると思います。パスポートも日本のパスポートで動いているから。」

アイデンティティの話になると、見た目やステレオタイプに基づいて「」に入れられ、偏見がつきまとうアメリカの厳しい現実が浮かび上がってくる。

「(ドイツと日本の組み合わせを主張してみたとしたら)そうするとね、下手するとね、第二次世界大戦出されるからねー。肩身せまいよー。」
「難しいですよね。学校へ行ったり、何か手伝いとかで行くと結局私が(東洋人だから)目立ってしまうんです。みんな、あ、トモのお母さんだってわかる。夫が他のお父さんとうろうろしていても目立たないわけじゃないですか。そういう意味でも、よく子供達が言われるのは、『お母さん厳しいでしょ。アジア人だから。』って。(ニュージャージーとはいえ)この町全体ではアジア系の人は10%いるかいないか。その大半はインド人なんですけど。でも、アジア系の子はみんなお友達に言われます。成績悪い点とったら、あ、お母ちゃんに怒られるでしょって。長女なんかは、勉強がよくできるんですけど、いい点数とると、『君はアジア人だからね。アジア系だから頭がいいんだ』って言われます。逆に、長男が悪い点取ると、『お前どうしたんだ(アジア人のくせに)、数学できるはずだろ、頭いいはずだろ』って。」

そのような体験談を持ち帰ってくる子供たちと話し合う時、ユリさんは一緒に笑い飛ばすようにしている。

「成績とかにうるさいのはどちらかというとパパで、私じゃないので、そのステレオタイプは合ってる?って聞けば子供達が、イヤイヤあれは全然違うね、となります。でも、説明しても誰も信じてくれないからそのまま放っておくって、子供は言います。だけどそういうステレオタイプを投げかけられたことによって、自分達がいわゆる『アメリカ人』としてアクセプトされてないって言うのは、なんとなくどこかに引っかかっているんですよね。」

トランプ大統領になって以来このような偏見を躊躇なく口に出す人、相手に面と向かって人種差別的なことを言う人が増えたとも言えるが、外国人やマイノリティに対するステレオタイプや根強い偏見は、前からあったという。例えば、お友達のブルガリア人家族は、子供をブルガリア語の塾に通わせているけれど、表立ってそのことを言うことはないらしい。

「長女達の世代は、いろんなひどいことを言っても基本的には暗黙の了解で誰も本気にしてはいけないというのがあるみたいですね。長男も結構ひどいことを言ったりしていて、そんなこと言っちゃダメでしょうと言うと、いや、みんな冗談だってわかってるからって言うんです。でも、冗談でも傷つく子がいるし、冗談ですっていつもごまかせないから、言っていい事、言ってはいけないこと、それは相手によって違うわけだから。よく気の知れている子ならば、アホな事言っても多少は許されるだろうけれども、あなたのよく知らない人が聞いてたら、何て思う?周りがまったくあなたの言ってることを聞いてないと思っちゃいけない。どこにでも耳があると思いなさい。、と、一応言ってあるんですけど。」
このようなデリケートな会話は、当然英語で行われる。

親心+周りからのプレッシャー

アメリカへ行って、日本語を忘れないように日系のプリスクールや補習校や公文など色々トライしてみた理由を改めて聞くと、ユリさんはあっさりと「(私が)欲張りだった」と答えた。

「色々できたほうがいいなと思って。親心なんだろうけど、子供にできるだけアドバンテージを何でも与えたいと思うじゃないですか。だから日本語もできてドイツ語もできて、英語もできたら、すごいじゃん、みたいな。だから子供達が小さかったときは習い事いっぱいさせました。どれも今はしていません。ほとんど続いていません。結局、自分たちでやりたいって思わない限り何も続かないんです。当たり前だけど。親がガミガミ言ってやる習い事って面白くないじゃないですか。それでも子供達が小さかった時は欲張って、言語が全部できればすごい、将来的にもいい、と思って頑張っていました。それが子供達にとって、どれだけの重荷になるのかってあまり考えずに。それと、周りからのプレッシャーって言うか、いいことばっかり聞くじゃないですか。いろんな言語を知ってて、それですごくて、サクセスフルでどうのこうのって。ポジティブなことばかり聞くじゃないですか、ソーシャルメディアでもどこでも。そうすると、それをしなきゃいけないというプレッシャーを感じてしまうんですよ。これは親として、私もやらないといけないことなのかなと。それで長女は特に 1 人目だから、実験台のように色々やらせてみたんです。彼女はすごく物事の覚えも早いし、とても吸収が早いので、それを見て面白くなってついつい、たくさんやらせてみました。どの子供にも。でも、同時にストレスも多かったですね。私も子供達も楽しい時もあればそんなに楽しくない時もあるし。送り迎えとかもあるし、お金もかかってるし、先生達はそれぞれの習い事しか見てないから、子供が 5 つもやっていいても関係ナシに宿題やら何やらだしてくる。それで達成感よりも、ストレスの方が多くなってしまった時に、これは子供のためにやっているのではなく、私のエゴだったんだな、と気づきました。環境を与えることは悪くないけれども、それを頑張らなきゃいけないっていうプレッシャーを外からも感じて、自分でも自分にかけて、同時に面白いから、ついついやらせたい、もっとやろうやろうという欲。でも、究極のブレーキがかかったのは三女( 4 人目)です。彼女は他の 3 人と性格がちょっと違って、何もやりたくない人なんです。無理矢理引っ張っていかないと、楽しいこともやりたがらない。学校もお友達と遊ぶのも、お友達と遊ぶ予定立てたでしょ、行きなさいと言っても「嫌だ嫌だ」って言って、強引に連れていかないと遊びにも行かないって言う人なんです。無理に続けても拒否反応ばかりおきてしまうのを見て、欲張らなくてもいいのかなと思いようになりました。どこかにきっかけを植え込んでおけば、そのうち自分たちでやりたくなった時に、できるようになるかな、と。」

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4 人の子どもたち

何々人やルーツに縛られずに、それぞれ自分に自信を持って欲しい


最後に子供の未来像、日本というアイデンティティについて聞いてみた。

「私も自分がなに人でどうこうというアイデンティティみたいなものがあまり意識としてないから、特定の文化とか言語にこだわることも、はっきりいってあまりないです。どこでも OK みたいなところがあって。基本的には地球人であると。だから、子供達も、どこでもいいから自分たちで開拓したところに、収まればいいんじゃないかと思います。世界は広いなっていうのは、自分たちの経験で分かっているだろうから。それを活かして世界中へ飛んで欲しいとかではなく、箱にいれられずに、自分に自信を持って生きていってほしいなと思っています。
自分がなに人だからこうしなきゃいけないっていうのに、こだわらなければいいかなと。そもそも、なに人かっていうのもわからないから。わたしも自分がなに人かわからないし。パスポートの色で決めるなら、日本人だけど、そうでなければ、私はわたしだし(笑)。日本人じゃないかも?
私自身も、日本人であるっていう自信がない。人種は日本人だけど、文化は日本人かって言われると、はっきりそうだと言える自信がない。日本のことだってほとんど知らないし。興味がないというわけではないけど、やっぱりどこからスタートしたらいいかわからないし。そう考えたら、それを子供達に求めるって言うのもおかしな話かな。やっぱり思うのは、それが必要なものなのかどうか。家庭ごとに作り上げた、自分の家族の文化があるじゃないですか、それで十分なのではないだろうかと。自分の家族の文化がどこから来たかと言う説明が必要なのか?そして何か次の世代に繋げて欲しいのか?わたしはそんな繋げるほどのものもないから、自分たちで自分の家族の文化をつくればいいかなと思います。その家族や国のトラディションがある人たちは、それを引き継いで繋いで、そこにこだわりがあるだろうけど、わたしも夫もあまりそういうことにこだわらないので。そういう意味では子供達も自分たちで何か作っていかなきゃいけないんじゃないかな。」


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*このインタビューは、2020年度東芝国際交流財団助成プログラムの日本語教育を振興する事業として支援を受け実現したプロジェクトです。



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