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歳時記を旅する35〔猫の恋〕中*主の声聞こえぬふりの恋の猫

佐野  聰
(平成八年作、『春日』)

歳時記を旅する35〔猫の恋〕前*恋猫や文字蛍光の置時計から続きます。

 芭蕉が絶賛する恋猫の句でも、当の猫自身の見方はまた違うようだ。
猫に了見を訊いてみようとした小説がある。

「越人の句ぐらいのことなら吾輩だって心得ている。いかにも吾輩はつい前夜まで、いささか御狂乱の体でもあった。一日中喚きとおし、そこいら中を駆けずり廻ること毎日毎夜、かぞえても見ぬが一週間の余にもなったかもしれない。だがあれが恋というものか。ばかばかしい。(略)恋などということは所詮人間の問題であって、猫の関することではない。思いきるとかきらぬとか、万事に屈託のない猫にとっては、嘘ほどの値打ちもありはしない。」(高田保『吾輩も猫である』一九五二年)

 句のとおり、恋に一心不乱と見える猫でも、存外に冷静であって、人間のことをお見通しなのかもしれない。

(岡田 耕)

(俳句雑誌『風友』令和五年一月号「風の軌跡ー重次俳句の系譜ー」)

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