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宮崎県椎葉村に行ってきた(1)

未踏の地・宮崎へ

空の旅とカレー

思い返せば初日も台風が接近する、バリバリの悪天候だった。

9月5日。久しぶりのANA機で羽田から宮崎空港へと降り立った。これが初宮崎。と同時に、九州全制覇。よし。47都道府県制覇をもくろむ人間としては大変喜ばしいことだ。
宮崎空港では乗る予定のJRまで1時間ほどの余裕があったため、腹ごしらえに走った。旅先、それも初めて来る場所ではケチらないことをポリシーにしている僕は宮崎牛のカレーを頬張った。肉のボリュームをケチってない感じが、九州に来たという実感へと変わっていった。文句なしに美味かった。

少し前から薄々感づいてはいたが、飲食店におけるコロナ対応は東京など都会に比べ地方の方が初期の名残なのか、厳しい。店にもよるだろうし形骸化している感も否めないが、カレーを食らったお店では、各テーブルにどこから来たかを答えるアンケートのようなものが置いてあった気がした。強制ではなかったから、本当に名残かもしれない。正直、県外・県内の別をいちいち出入りの激しいであろう空港内のお店でやってもなあと感じてしまった。
テーブルの向かい合える席にはアクリル板が鎮座していた。1人だったらいいものの、あれはなかなかに邪魔なのだ。大学の学食でどれほど会話が聞こえなかったことか。大学のはガチガチに設置しすぎなのだ。東京は一歩学外に出れば、最低限の対策のみを講じた「リラックスできる」飲食店が山ほどあるのに。もう学食に足をのばす機会も減ってしまったが、今学期はどうなっているだろうか?
コロナにかかり、9月1日まで自宅療養をしていた身としては、のちに医療非常事態宣言なるものが宮崎県に出ていたことを知ったが(21日解除)、そうした地域に足を運ぶのにも変な話だが、気が楽だった。

「再会」と鉄路の旅

さて、余談が過ぎた。
カレーを食べたあと、宮崎空港駅から日向市駅を目指し延岡行きの電車に乗った。宮崎空港駅に自動改札機が設置されていなかったことには少々驚いたが、駅員さんに切符を見せいざホームへ。お目当ての電車が停車しているのとは反対側に見覚えのある車両が止まっていた。そう、14、5年前に福岡に住んでいたころ家族で乗った「リレーつばめ」の車両そのものだったのだ。思わずスマホを取り出しパシャリ。

宮崎空港駅にて。2022年9月5日、筆者撮影。

あれはどこへ行くときだったのか思い出せないが、家族で乗車し、写真も撮ったはずだ。実家をくまなく探せば出てくるはず。車内が綺麗だった印象があるが、他の何かと間違っているかもしれない。

調べてみると、九州新幹線の全線開通に伴い、「リレーつばめ」としての任務は終えたよう。今は「にちりん」などの名前で活躍しているそうだ。別に鉄オタというわけではないが、かつて九州に住んでいたことを証明してくれているようで、この「再会」は嬉しかった。

またもや脱線した(いや、JR九州は日々安全運転をしている)。
この787系ではない車両に乗り、日向市駅を目指した。平日の午後2時前後という時間帯だったが、やけに学生の姿が目立った。あれはまだ2学期が始まったばかりで下校時間が早いということだったのだろうか。それにしても多かった。そして、そのうちの多くの人が宮崎駅から乗車して、すぐには下りなかった。それだけ遠くから通っているのであろう。思いがけず、賑わいを見せる電車を体験できた。この頃はまだ、雨は降っていなかった。

日向市駅舎&日向の車窓から

日向市駅は非常に綺麗で落ち着きのある駅舎であった。ここでもやはり自動改札機はなく、切符は窓口にて回収された。だが、日向市駅はそれで全然いい。あの空間に自動改札機は似合わない。木を贅沢に使った作りで、ただ者が手掛けてねえなと思ったら、案の定だった。

どうも図書館の勉強をするようになってから、この辺の嗅覚も磨かれてきた気がする…(笑)

駅舎を一歩出ると、ジョニー黒木と青木宣親の手形がありヤクルトファンの友人のためにパシャリ。全く知らなかった。青木の出身地だったとは。小学生時代、青木モデルの金属バットを使っていた僕としては感慨深かった。

青木宣親選手の手形。2022年9月5日、筆者撮影。

そうこうしているうちに、椎葉村へと向かうバスに乗る時間となった。制服姿の男子が2人、その他の利用者が数人といった程度。まあ、そのくらいだよなと思いながら、よそ者ですとアピールせんばかりのスーツケースを抱えて乗車した。整理券台やICカードのタッチ台が設置されているすぐ後ろの席に陣取った。バス自体は古かったが、ふと反対側の壁に貼られた案内に驚いた。全国共通ICカードが使えるというのだ。地元宮崎、よくて九州のICカードだけだろうと端から諦めていたからビックリ。だが、乗車時にピッとかざしていないので現金払いに備えるしかなかった。偏見で物事を見てはいけない。

日向市内、中心部を走行中になんとなく人口予想をした。最近のマイブームだ。蛙亭イワクラさんの「宮崎よかとこチャンネル」で紹介されていた小林市(たしか)の映像でも同じことをやったらほぼドンピシャだったのだ。自分で自分が恐ろしい。人口規模をちょっとした町並みを見るだけで当てているのだから。
日向市は10万人は絶対いない。かつて自分が住んでいた2万人規模よりもはるかに都会。とすると駅前の感じと、この車窓からして…5万人じゃ少ないか?7万いるかな…いやちょっと多いような。

ググってみると、答えは6万人。
いや、またほぼ当てちゃったし。おそろしや、おそろしや。

中心部を抜け、田舎の風景へと移り変わってゆく。この辺はまだ序の口だ。案外乗り合わせた高校生がすぐ下りなかったことに驚いた。毎日通うのは大変だろうなと勝手に老婆心をのぞかせていた。

30分ほど経ったころか、日向市東郷町の道の駅とうごうに5分ほど停車した。まだこの辺りは街であった。乗客もまだ他に数人いた。

一人、また一人と降りてゆき、早々に最後部席に座っていたじいちゃんと僕だけになった。それに運転手さん。道のりは長かった。この頃だったろうか、雨が降り出したのは。

諸塚からが本番の椎葉への道

段々と目に入る緑の割合が増え、気づけば高い山々が周りを囲うようになっていた。道路は狭くなり、ところどころ木々が鬱蒼と生い茂っていた。心なしか、冷房に加えてあたりの気温も低くなった気がした。山に入り始めたのだなと痛感する。諸塚村の中心部で最後部席のじいちゃんが下りた。完全に乗客一人となった。諸塚の休憩所(バス停留所)で用を足し、運転手さんに上椎葉まで行くのかと聞かれ、役場前までですと言葉を交わした。そんな停留所があるかどうかもよくわかっていないのに。
運転手さんがあと1時間ちょっとかかりますと教えてくださった。発車しますの声も僕1人に向けて。僕は大きくうなずく。事実上タクシーの旅が始まったのだが、ここからの道がすごかった。

曲がり道に次ぐ曲がり道。右へ大きく曲がったかと思うと、今度は左へ。時々開けた場所に出て飛び込んでくる景色に、標高の高さを思い知らされる。集落と集落の間隔が広くなり、どんどんと山の奥へと進んでいった。山の奥と形容するのは、地元の人に対し些か失礼なのかもしれない。だが、行く道すべてに感嘆の声をあげてしまうほどだった。何よりもこの道でバスを運転するドライバーの技術に驚きを隠せなかった。次第に雨足が強くなっていった。

椎葉村に入った。看板でその瞬間を悟った。険しい道が続く。だが、ふと見える景色は秘境そのものだった。日本三大秘境は伊達じゃない。どこか引き込まれる麗しさを湛えていた。来村前にAmazonプライムビデオで『ポツンと一軒家』の椎葉が取り上げられた回を見て予習していたが、実際に目に入ってくる景色はもっと迫力があり、もっとスケールが大きかった。その分、常に道の険しさも続いてはいたが…。

椎葉の中心部に近づくにつれ、いくつものトンネルがあった。だが、バスはそのほとんどを通らず脇に用意された細い迂回路へと進んでいく。もはやどこに連れていかれるのだろうという気持ちも芽生えだしたこの頃には、トンネル通ってくれよ!!としか思えなかったが、それだけトンネルが通る区間にも集落はあるということのようだ。長らく誰も使っていないバス停が静かにたたずむ様子を見た。これでもかというほどにくねくねして、迂回路と幹線道路を交互に進む。そして、Googleマップが指し示す到着時刻が迫ってきた。本当に到着するのかという一抹の不安を覚えながら、容赦なく降り続ける雨模様の中をバスは進んでいった。

椎葉村中心部へ

狭い道へ入った。どうやら商店街のようだった。対向車もにわかに増える。バスとすれ違ってはいけない道幅に見えた。だが、どちらの運転手もなんなくこなす。これがこの地の日常なのだ。いよいよ降りる地点が近づいてきた。もう運転手さんは僕がどこで降りるか知っている。乗り過ごす不安はない。やっぱりタクシーじゃないか。

バスが止まる。
いそいそと前方へと移動し、金額を確認する。現金払いだから財布の中を引っ掻き回す。お礼を言い、役場の方向を確認の意味で尋ね、頼りない折り畳み傘を広げてその地に降り立った。

役場はすぐそばで明るい雰囲気が感じられる綺麗な建物だった。僕が歩いて着くと同時に、担当の方がお出迎えしてくれた。お手洗いを済ませ、18時までのAコープへと駆け込んだ。Aコープがあるんだという驚きを見せる暇もなく、促されるがままに店内へと入っていった。食料や飲み物を買わなくてはならない。この日は、台風接近に伴い宿泊予定だった宿に数日前に断られてしまっていたのだ(のちにこの判断の正しさを思い知らされる)。そのため、急遽他のインターンの学生が使っている古民家シェアハウスにお世話になることにしたのだ。

愉快な虫たちと台風と孤独との戦い

あまり詳しいことを聞いていなかったので、されるがままに車でその場所まで運んでもらった。その場所は、初宮崎・初椎葉の人間にとっては十分すぎるほどに「ポツンと一軒家」だった。周りに家はなく、街灯なんてハイカラなものも見当たらなかった。道も細く、あっという間に坂を上っていった。建物自体は案外キレイで、内装も手を加えた箇所があり、古民家としては十分すぎるほどのクオリティであった。

だが、問題が生じた。一つは、シェアハウスなのに5日は一人だったことである。僕より前から来ているインターンの同居人が、たまたまその日不在だったのだ。これは夜が深まってから感じたが、めちゃくちゃ心細かった。まして地名もよくわからないポツンと一軒家である。かなり堪えた。

もう一つは、しっかりと山の中であることが関係している。虫たちの住処なのだ。二十数年の人生で一番デカい蜘蛛と出会った。見ちゃいけないものを見た気分だった。天井付近を飛び回る虫もいた。アリさんもいた。蚊も一応いたと思う。小さい蜘蛛が集団でトイレにいたのには参った。せっかくの水洗トイレが台無しだった。だが、のちに蜘蛛は益虫だから殺したらダメ、なんなら感謝せんといけんよと地元の皆さんに言われ、山のなかでの暮らしの知恵を見た。単に僕が無知なだけだったのかもしれないが。
デカい蜘蛛は少なくとも3匹はいたのではないだろうか。何が厄介かというと、一人にはあまりに空間が広すぎたのだ。部屋から部屋へ移動するときには蜘蛛がいないかを隅々まで見渡してそそくさと歩いたものだ。情けないなと思いながら、自分がいかに都会人か思い知らされた気分だった。常に神経をとがらせる時間の始まりだった。

何とか夕飯を食べ、何とかシャワーを浴び、何とか布団に入った。この日ばかりはこの当たり前を誰かに褒めてほしい気分だった。
雨風が強まっていた。台風のお出ましだ。布団に入ったのはたしかに入った。だが、いつどこから来るともしれぬ虫と、雨風にさらされ音を立てる建物に恐怖が募っていくばかりだった。しっかりと眠ることはできなかった。疲れが勝って深い眠りに誘われるかと思っていたが、そうでもなかった。寝ては起き、また寝ては起きを繰り返した。

嵐が去った。朝が来た。村内無線放送(?)の爆音で目が覚めた。ラジオ体操が流れていた。いろいろと案内も流れていた。結構、長かった。Aコープで買ったパンを頬張った。虫(というか巨大蜘蛛)におびえながら。

とにもかくにも朝を迎えることができた。この日から本格的な僕の地域おこし協力隊のインターンが始まったのだ。

つづく。(このペースじゃ終わらない)


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