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サドルシューズと、ツバメノートと、万年筆と、いつも機嫌が良くない青いクマ。

私が日記を書き始めたのは、小学校1年生の時。母が鍵付きのすっごくかっこいい日記帳をプレゼントしてくれたから。そうして、それは鍵付きにもかかわらず、お母さんとの交換日記になった。

うちの両親は、なぜか自分の好きなデザインのものを私にくれていた。だから、日記帳も大人っぽい革のデザインのもので、父が初めてくれた誕生日プレゼントは、木でできた、蓋にカメオがついている開くタイプのオルゴール。幼稚園生。今も大切に持っているけれど、なんの違和感もない。ちなみに父はそれからも誕生日には、何故かいろんな種類のオルゴールをプレゼントしてくれた。なぜだろう。

だから、キャラクターものの靴とか文房具とかは一切持ってなくて、小学校に入った時、他の子の靴に何がしらのキャラクターがついていたのに驚いた。靴に漫画みたいな絵がついてる!
私の靴はサドルシューズで、逆にものすごく浮いていた。お母さんが学年主任の先生に「もっと運動しやすい靴を履かせてください。」みたいなことを言われて、挙句、「学校によそ行きの服を着せてこないでください。」とまで言われる始末。
お母さんにも私にも「よそ行きの服」という言葉が通じず、何も変わることなく小学生生活は終わりを告げることになる。(だって、体育の時は体育の服に着替えるから、なにが問題なのかわからない。)
おばあちゃんが買ってくれたランドセルも、当時は珍しいワインカラーの革のもので、張り切ってオーダーしてくれたものだった。もちろん浮いていた。

ぬいぐるみがたくさん置いてあるお店の中で、こんな顔して並んでいたこいつ。
なんだか、誰も買ってくれない気がして、うちに来た。名前はニールにした。

なんだかんだ言って、そういう子供はとりあえず休み時間は一人ぼっち。そしてそれが全く苦にならないから余計タチが悪い。給食も美味しくないものは食べれません。(給食を作ってくれていた方、本当に申し訳ありません。)という生意気な態度で、よくある、食べるまでお昼休みは、みたいなこともなんてこともなくスルー。昼休みに興味はなかった。この頃は今にもまして、人前でものを食べることが苦手だった。

ある日、男の子たちから「〇〇は、生意気で可愛くない。」と言われた。「だから?」と思ったけど、一応そのことを日記に書いてみた。そうしたらお母さんが返事を書いてくれて、「〇〇ちゃんは、ムスッとしてたら可愛くないかもしれないけれど、笑った時は世界で一番可愛いと、お母さんは思ってる。」と書いてあった。なるほど、そうなのか。お母さん、いくらなんでも世界で一番って。でも、図々しく今でも宝物の言葉。

確かに学校で笑うことはほとんどなかった。だって、面白くなかったし、一人でいる方が楽だったし、映画音楽とジャズが好きだと話せば、「えーーー何それ、大人みたい。」と訳のわからない批評を受けるし、テレビの話はついていけないし、コミュニケーションの接点がほとんどないから、笑う以前の問題だったのだ。

一年生の半分以上を入院生活で過ごしていた私に、本好きの私を面白がって、担任の先生が、まず1年生の教科書。「読み終わったの?」じゃあ2年生の教科書。「また、読み終わったの?」じゃあ3年生。というふうに、どんどん教科書を持ってきてくれて、退院する時には6年生の教科書まで読み散らかしていたこともあって、復学した時の授業で、クラスのみんなが、一年生の教科書をワラワラと声を出して学んでいるのをみて、思いっきり冷めてしまったことも「生意気で可愛くない。」と言われた一つの要因でもある。

それでも母の返事に「なるほど」と思ったわけだから、少し、やってみることにした。もう、音楽の話も本の話も、「人は死んだらどうなると思う?」とも聞かないで、自分らしさを封印しながら、少しだけアイドルの勉強もした。でも、キャラクターの靴とか文具はどうしても持てなかった。私にとってはカッコよくなかったから。
それでも、休み時間、お話しするときにちらっと笑顔を見せるようになった。

海の遊歩道にあった植栽。
誰がどんな思いでこんな形に刈り込んだんだろう。

そうしたら、どうでしょう。これがまた結構モテるようになった。(すみません。笑い飛ばしながら読んでください。小学校の時にモテるなんて、大概訳のわからない理由ですから。)おおっ。お母さん、あなたはすごい。あの、「〇〇は、生意気で可愛くない。」と言っていた男の子たちまで、なんだか寄ってくる始末。

そうか、そうなんだ。人間関係っていうのはこういう事なのか。と思い、その時読んでいた、太宰治の斜陽の中にある、直治の遺書の件を引き合いに出し読書感想文を書いたら、また、お母さんが先生に呼ばれてしまった。それがこの部分。

僕が早熟を装って見せたら、人々をは僕を早熟だと噂した。僕がなまけものの振りをして見せたら、人々は僕をなまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。

太宰治 斜陽より

「こういう本を読ませるのは、まだ早いと思います。おまけに自分が思う人間関係が、この部分に全て書かれてあるみたいな共感の感想も、早熟すぎると思います。」みたいなことを言われたらしい。「まだ、人生経験を積んでいないのに、こういう固定観念があると、生きていく上で、本人が困ると思います。」と。

こういう本扱いされた 斜陽。

あえて言う、別に困ってはいない。
担任の先生は素敵な人で仲良くしていたけれど、どうもこの学年主任とは気が合わなかった私ん家。もちろん母がそのことで私に何を言うでもなく、感想文を読んでくれて、いい出来だと褒めてくれた。

この本を読んで、その時の私はあることに気付かされた。それからは笑顔の振り(母のおかげで練習したからか、人前でも自然と笑えるようになった。)をすることをやめたし、興味のないアイドルの勉強もやめた。ジャズが好きだし映画音楽が好きだし、クラシックが好きだ。図書館が好きだし、一人でどこにでも行けるし、その頃デザインが好きだったツバメノートしか使わないし、大人が使うような鉛筆だとかなんとか言われても鉛筆はユニだ。そして入学式の時におじいちゃんがくれた万年筆も、隣の席の坊主に「先生、〇〇さんが大人みたいなペンを使ってます。」とくだらないご注進をされても、どうして自分の趣味を、「僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。」としか言わない人たちに合わせる必要がある?おまけになぜこいつらはすぐ「大人みたい」という言葉を使いたがるんだ。そして「大人みたい」って何を指す言葉で、それのどこがいけないんだ。いつまでも子供でいたいって言うのは、テイのいい言い訳で、甘えだ!
一人で結構、ロンリーウルフだ!と、自分の生きる道を確定させてしまった。そしてこんな私でもいいよ。という人と話をしよう。

これが不思議。なのに、小学校6年生の時、男の子たちが非公式で選ぶ、ミス〇〇小学校に選ばれた。本当に美人だった女の子を差し置いて。重ねて言うが、この頃のそういうものは、決して美人とかそういうことではない。多分、時々見せる笑顔が少しだけ可愛くて、ちょっと訳のわからないことを言う、先生に全く媚びない、得体の知れないロンリーウルフだったからだけの事。

海はいつみても、キラキラしてて広くていい。

昨日、海に行ったらビーチバレーをしている若者たちがいた。結構暑い日なのに、なんて事ないように楽しげにボールを打ち合っていた。
仲良さげに、キャッキャと砂を巻き上げながら。
誰かが苦しさに思わず呻いた時、少しでもそっと寄り添ってあげれるといいな。
そんな仲間であればいいな。


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