人生とは(っぽい人生論)
コーヒータイム
人生とはコーヒータイムのためにある。
働いて一息いれる、コーヒータイム。
なあんにも考えてないと、ふわっとアイデアの浮かぶ。
コーヒータイム。ちなみに私はコーヒーがドクターストップされている。
掃除
人生とは掃除である。
余計なものを沢山抱えていると身動きが取らなくなるからね。
忘れるとは脳の掃除。
疲れたとは活動の掃除。
悲しみとはうぬぼれの掃除。
喜びとは不安の掃除。
人生とは掃除である。そういえば机の隅に埃がたまっている。
無
人生とは無である。
無限と言い換えても良い。
生きる意味を探し、見つけられず、っぽいものにすがって生きる。
気がつくと、笑いあえるなにかの幸せ(?)に包まれていることに、やっと気がつく。
有ると思っていた何かは見つからなかったけれども、思いもつかなかった素晴らしい何かに生かされていることに気づいたとき。
そこには、有る、というよりも、無。
いや、無とは、すべてが有る、無限と言い換えても良い。
すべてが有るのだが、なにか固有の有る、ということは無なのだ。
いや、なにか固有の有るだらけで無限、と言い換えてもいい。
とにかく、無なのだ。ところで私の幸せとは、ここに 有る よん。
深夜
人生とは、深夜である。
眠るものの中に、働くものがある。
それは心臓であり、呼吸であり、星であり、深夜に働く人々であり、地球の裏側である。
人生とは、深夜のようにほとんど眠っている夢である。
ところが、この夢を支えている世界は想像以上にある。
しかも、この世界を支えているのは、深夜に見ている夢なのである。
深夜の夢。ところで、私の深夜のコーヒーは、君の夢にどのように作用するのであろうか。
でたらめ
人生とは、でたらめである。
ところで、この文章、人生とは(っぽい人生論)も、でたらめであります。
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