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私が上京した本当の理由

新春歌会始のために、初歌を詠みました。

それぞれの初歌のお話するにあたって、なんで東京に出てきたかを思い出していました。

初歌は、前にもご紹介したこの歌です。

金富士に 心を映す 水鏡(みずかがみ)
想い和となれ 龍翔凰舞(りゅうしょうおうぶ

水鏡/新川ありさ

大蔵湯様に銭湯の和風ランドリーへ飾る絵を描くという大役をいただきましたおかげで、作家としても人間的にも大きくなることができました。
ありがとうございます🕊🌈

皆様の応援に心から感謝しております🌸

龍のように飛翔し、鳳凰のように舞う!
そんな年にしたいと思っています。


ここまで来られたんだということが感慨深く、過去を振り返りました。


私は物心ついたばかりの頃からずっと、生きることが本当に辛かったです。

心から自分を好きになれたのは、ここ数年のこと。完全に抜けたのは2年ぐらい前かな。

最近のことでした。


なんでみんな幸せそうなんだろう、って思っていました。

何故生きることは、こんなにも辛いのか。

役に立つどころか、私がいることで人を苦しめることだってあった。

居場所がなかった。

なんでこんなにも私はポンコツなんだろう。

当たり前のことが、できないんだろう。

自信を持ちようもない。どんどん疲弊していった。

笑うことも少なくなった。

悩みばかりで笑いたくなんかないのに、偽って笑っていた。

いつも自分に嘘をついていた。

普通に生きたかった。普通になりたかった。


人間に、なりたかった。

自分のことを人間に化けた狸みたいだと思った。


なんでこんなにも地獄みたいに感じるというのに生きているんだろうと思ったけれど、私がいなくなったら弟が悲しむことがわかっているから、命を捨てる選択を試みたことは一度もありませんでした。

弟がいることは、私にとっては救いでした。


会社に入っても、絶望しました。

すれ違う人混みのなかの人人人。みんな死んだ魚のような目をしていた。

同じようにまるで死んだ魚のような目で、私は会社の行き帰りだけをする人生なのかな、って思った。

これでは、ニーチェのいうおしまいの人間だ。

必要とされていないのに、此処に居続けて、適当に生きて、適当に笑って。

なんの成長もない。

誰か周りの人が困っていても、自分の保身を第一にしてしまう。そんな大人になっていくのかな。

嫌だなって、思った。

そうやって生きていくのは、嫌だなって思った。

そんな格好悪い生き様を晒すくらいなら、死んだほうがマシだとさえ思った。


仕事が絶望的に向いてなくて、居場所がなかったからっていうのも大いにあるけれど、2年半勤めたあとに思い切って辞めました。

社会人として教育していただき、此処で学ばせていただいた技術や礼儀作法は今も役立っていて、感謝しています。

素敵な先輩は中にはいらっしゃいましたが、環境に合わなかったのです。


辞めてから就いた仕事は、科学館の実験ショーのお姉さん。

楽しかったけれど、やっぱり近場で実家から通っていて、保身に走ってしまった気がしていました。

やっぱり飛び出す勇気が持てなくて、無難な道を選んでしまったのだと思います。


前よりも断然向いている仕事ではあって、みんなを楽しませるパフォーマンスができて、充実感はありました。

でも、子どもたちと向き合ったときに、「夢を持ってね!」って心の底から言ってあげたいのに、嘘をついてしまっている気がしてしまいました。


だって、自分が夢を諦めてしまっているのに。


夢なんか叶わないかもって思ってしまっているのに。


キラキラした瞳でお姉さんみたいになりたいって言ってもらったけれど、当時の私は受け取ることができなかったのです。

悲しかった。

キラキラと子どもたちが楽しむ裏側では、私の心は晴れないままでした。

そのコントラストが、より残酷にさえ思えました。

全力のパフォーマンスで楽しませようとしていたけれど、常にいっぱいいっぱいでした。


素敵な仕事でしたし、素敵な場所だけれど、あのときの私にとって大切なことは、ひとりで勇気を持って挑戦することでした。

何にだろう。

自分に。人生に。夢に。


私は「夢を持ってね!」「夢を叶えてね!」って心から子どもたちに伝えられる人間にただなりたかった。

夢を持つ小さかった頃の私にも「夢は願えば叶うなんて皆言っていたけれど、それは嘘だったんだよ」
なんてことは、言いたくなかったのです。


自分に嘘をつきすぎて、自分の好きなものも夢や願いもわからなくなってきてしまっていたけれど、家を出たい。一人暮らしがしたい。上京してみたいという小さな願いが私の中にあることに気が付きました。

それをまず叶えることにしました。

小さな願いを叶えていって、たくさん芸術に触れて、自分を取り戻していきました。


そうやって、泥のなかを這いながらも、我夢者羅に進んできました。


何度も否定されたけれど、自分自身を何度も責めてたけれど、自分のことを諦めたくはなかった。

全部が、ポンコツなわけじゃない。

向き不向きの差は激しくても、向いていることはあるはずだから。


人間、適材適所。


自分の力を活かしてあげたい。

みんなが活かせたらいいのに。

みんなが自分の長所を活かし合える世の中だったらどんなに素敵だろう。


失敗を繰り返しながら、自分の向いていることがわかってきて、自分のことも少しずつみえてきました。

愛菜さんと最初のお仕事で出会ってからずっと、近くで励まし合いながら歩んできたおかげで、変わるきっかけがたくさんありました。

ガラリと私が変わったのは、やっぱり岡さんにギャラリー運営をしないかとお声掛けいただいてからでした。


もう一度、絵を描きたいと思ったところで声を掛けていただいて、自分という存在を認めてもらえたのが嬉しかったんです。

頑張ってきたことが報われたように感じ、無条件に自分を受け入れられるようになってきました。

完璧な理想じゃない等身大の自分のことを。

ギャラリーでは、たくさんの方と触れ合う機会があって、私の心は満たされていきました。


信じてくれて、ありがとうございます。

応援してくれて、ありがとうございます。


おかげで、今日の私があります。

育ててくれて、
ありがとうございます。


私は私の感受性の豊かさを信じています。


自分のことを信じています。

がんばってきた自分のことを誇りに思います。

表現者として力を認めてもらえたこと、本当に嬉しく思っています。

今この瞬間、夢を叶えています。


「夢を持ってね!」って子どもたちに心から伝えられる人に、私はなりました。

人生は大変だけれど、楽しいよ。


素敵なところを伸ばしていこう。


みんなにそう言いたい。


たくさんの人に想いを届けたい。

穏やかな心を

祈りを


愛を


私だからできる表現があるから。

表現方法は様々。

表現するって、愛。


昔は気づかなかったけれど、日々の中にたくさんの祝福を感じています。

日常のなかに、よろこびや幸せは溢れているんだよ。


1/17の阪神・淡路大震災の日に振り返るきっかけがあって運命のようなものを感じました。


これからも、私はこの命を信じて、できる限りの愛を選択します。

全部必要な経験でした。


すべての恵と御縁に感謝。


果てない夢/新川ありさ

この絵は、果てない夢。
たくさんの可能性や夢や希望が降り注いでいて、それを受け取っているんです。


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