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ブログやツイッターに書いた文章を修正し、こちらにまとめようと始めた note でしたが…

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ブログやツイッターに書いた文章を修正し、こちらにまとめようと始めた note でしたが、今ではただ書きたいものを、書きたくなったときこちらに載せています。近日中に占星術(ホロスコープ読み)のテキストを載せます。有料ですが「はじめに」の部分は読めますので、どうぞよろしく。

最近の記事

更年期宣言祭2023に投稿(二回目)

更年期宣言祭2023 俳句の部門に投稿します。 「俳句で応募」 さらに思いつきで3句。 ●大いばり年季入った更年期 ●あちこちを撫でてさすって更年期 ●更年期また言い訳にされ (怒)(泣)(怒)

    • 更年期宣言祭2023に投稿

      更年期宣言祭2023 俳句の部門に投稿します。 「俳句で応募」 まずは思いつきで3句。 このおれが野菜食ってる更年期 灰色でまだらピンクの更年期 耕運機聞き違えるか?更年期

      • 今年はソクラテス! (10)

          10 ソクラテスが信じて疑わなかった普遍性追求の正義…… どこに住むどんな人間であろうと当てはまる善い生き方 (政治的な行動などには直接関わらずに、しかし市民と して恥じるところのない暮らし方と言うべきもの)の指 針、すなわち知恵=徳とは、実は中味としてあるもので はなく指向性として存在するものだったと言うべきでし ょう。 問題はこの指向性が哲学それ自身の問題としてソクラテ ス個人が発見した訳ではない、ということです。ソクラ テスはこの指向性の原型を見事に体現して見せ

        • 今年はソクラテス! (9)

            9 前節で考えてみたような疑問は、生と死の断絶よりもソ クラテスにとって大事だったはずの 「知恵とは何か」 「勇気とは何か」 「友愛とは何か」 などについても、同様に考えてみなければならないでし ょう。 しかしこれらは、わたしの手元にある例の文庫本『ソー クラテースの弁明』だけでは推理が出来そうもないので、図書館から借りてきた根無一信(ねむ・かずのぶ)さんという方がお書きになった 『ソクラテスからの質問』(2022年8月刊 名古屋外国語大学出版会) というご本で学んだ

        更年期宣言祭2023に投稿(二回目)

          今年はソクラテス! (8)

            8 ソクラテスが大抵の者たち(当時のギリシア語を話す人人の多く)を唸らせたと思われる、明解で、いかにもこれは正しいと聞く者に響いた論法……というのは、どういうものか? 古代ギリシアの言葉を一度も学んだことのないわたしが推測するのも無謀でおこがましいけれど、たとえば以下の論じ方などは、2500年後にこれを読むわたしにさえまったく明解だと感じられます。 これは『ソークラテースの弁明』の〈29A〉に出てくる断定、死を恐れるのは知恵がないのに知恵があると思っていることだ、と

          今年はソクラテス! (8)

          今年はソクラテス! (7)

            7 ソクラテスは法廷で、自分の告発者であるメレートスに 反問します。君は年下の諸君が善くなってくれることが 大切だと思っているのか? と。 『そうだ』 という答えを得てソクラテスはさらに問う。では善い方 へ導くのは何ものなのか、それを言ってくれと。 すると初め黙っていたメレートスはやがて 『法律だ』 と答え、ソクラテスがこう応じる。 「いや、しかしそれは、僕のきいていることではないの だよ、君。むしろ人間をきいているのだ。その法律とい うものを、直接、初め知るのは、誰

          今年はソクラテス! (7)

          今年はソクラテス! (6)

            6 引用から始めます。 「つまりこの人は、他の多くの人たちに、知恵のある人物だと思われているらしく、また特に自分自身でも、そう思いこんでいるらしいけれども、実はそうではないのだと、わたしには思われるようになったのです。そしてそうなったときに、わたしは彼に、君は知恵があると思っているけれども、そうではないのだということを、はっきりわからせてやろうと努めたのです。すると、その結果、わたしはその男にも、またその場にいた多くの者にも、にくまれることになったのです」 『ソークラ

          今年はソクラテス! (6)

          今年はソクラテス! (5)

            5 (前節からの続き) つまりわたしたちから見ると (そこまでやる必要はないでしょう) と言いたくなるものがソクラテスには満ち満ちている。 あなたみたいなやり方では相手を怒らせ恨みを抱かれるのも無理はなく、『ソークラテースの弁明』に書かれているのが実際にあなたの言った通りであれば、あなた自身も十分にそれを自覚しているのだから、なぜもう少し別のやり方を工夫しないのか? わたしたち日本人には、あなたが懇切丁寧な説明を重ねれば重ねるほど (結局は傲慢、少なくとも異様に頑固

          今年はソクラテス! (5)

          今年はソクラテス! (4)

            4 わたしはソクラテスには分かりやすい面と分かりにくい 面とがあると感じています。 これを二つの事柄でそれぞれに説明してみます。 ひとつはソクラテスが人に突っ掛かって行く(ご本人は あくまで「問いかけている」だけであって「突っ掛かっ て」などいない! とおっしゃるでしょう、きっと) ときの子供っぽさと執拗さに関してです。 まずここが、わたしにとって一見分かりやすいものと分 かりにくものとが同居していると感じられる一点です。 分かりやすいのは、知能が発達していく過

          今年はソクラテス! (4)

          今年はソクラテス! (3)

            3 わたしは前節でこう書きました。 「ソクラテスとプラトンという師弟の一対についてボンヤリ考えているときに、云々」 しかしこれだと、わたしにはボンヤリ考えられるだけの知識がそれなりに備わっているみたいですが、そういうことはありません。 わたしは古代ギリシアの古典にこれまで特別の関心を持ったことはなく、読んだ本(もちろん日本語訳)もプラトンの『饗宴』と『ソクラテスの弁明』、それにソフォクレスの『オイディプス王』だけです。いずれも十代の終わり頃に背伸びの気分で無理やり

          今年はソクラテス! (3)

          今年はソクラテス! (2)

                    2 ちなみに、反対語を考えるとその事柄の本質に近づける ……ということがありますが 「エラソー光線とは逆のもの」 とは何か。 単に、誰かの見かけの感じが良いとか悪いとかいう印象 の話なら 「へりくだった態度」 とか 「謙虚な姿勢」 とかが反対語でしょう。 けれど、すべての人間ではないにしても、相当な割合の 人々がどうしてもエラソーなものに憧れたり踊らされた り また反感を持っていても、ついついその光線の前で縮こ まったりしてしまう。それはなぜなのか

          今年はソクラテス! (2)

          今年はソクラテス!

          なぜソクラテスか?           1 2023年はソクラテスを勉強したい……などと書くと (そんなにおベンキョが好きなんですか!) で終わってしまいそうです。 (どうぞご勝手に) って。 実際それで終わってもイイというか当然なワケですが、 それでもここは往生際悪く理由を説明したい。 それというのも (おれはもう、哲学をベンキョーしてエラソー光線を振 りまきたい訳じゃないんだ!) という気持ちがあるからです。実際四十年近くまえはエ ラソーなものになりたくてなりたく

          今年はソクラテス!

          二題噺

          【 キーワード 「尺度」と「入る」】 「4マスのひらめき」 わたしの会社員時代の話です。昭和の終盤というか1980年代でした。 勤めていた会社では年に一度「年末特別研修会」という名目で関東一円の営業所の職員が、温泉のある町に招待されていました。これは実質の慰労会というか宴会がメインの催しです。 まだ会社に内部留保が沢山あり、われわれ営業マンも (このくらいのことしてもらって当然だよ) と思っていた時代でした。 酒には弱いくせに宴会好きなわたしは二三合の日本酒で、いま

          ホルンの話

           1 楽器のホルンではなく子供の頃(1960年代)、 実家で飼っていたネコの話。 初めてネコを飼ったときの嬉しさは忘れられ ない。兄と二人で 「ネコ欲しい、ネコ飼いたい」 とねだり続け、ついにある日両親が (しょうがない) と根負けした。その代わりネコのトイレに使 う砂をどっさり準備しろと言われ、わたしと ニ歳年上の兄は大喜びで夜中に河原へ向かっ た。砂泥棒である。 わたしが十歳、兄が十二歳で下着にシャツ一 枚という格好で夜8時すぎに家を出ても風邪 など引かなかった……

          ホルンの話

          註6の2

          (註6の2)政治とは何か、人間支配とは何か 一方には天上との交通であり神がかりから占いにまで通じているシンボル思考があり、他方には地上の論理であり政治(人間支配)と社会適応(被支配順応)を支えている事実認識がある。 この両者の綱引きが相対的に早い段階でほぼ安定する社会もあるが、そうした社会は、より長くに渡って激しく綱引きを繰り返してきた社会に接すると、どちらにおいても(というのは神がかりの方面でも、事実認識の方面でも、ということだが)圧倒されてしまう。 神がかり(シンボ

          註6の1

          (註6の1)政治とは何か、人間支配とは何か 神がかりや神降ろしが集団の成員を畏れさせ、これらに関して権威者がいても、それだけではこの集団に政治はない。政治というのは、ある程度まで地上の暮らしの知恵が蓄積して天上に対する自律性が高まり 「案外地上のことは地上でやれる」 という自覚が、神がかりや神降ろしをほんのわずかでもおのれ(利害調整)に都合よく利用しようとし始めたときに生ずる。それがわたしの政治の定義である。 政治を生み出すこうした意識は、蓄積された地上の暮らしの知恵(少

          註6の1