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今年はソクラテス! (10)

  10

ソクラテスが信じて疑わなかった普遍性追求の正義……
どこに住むどんな人間であろうと当てはまる善い生き方
(政治的な行動などには直接関わらずに、しかし市民と
して恥じるところのない暮らし方と言うべきもの)の指
針、すなわち知恵=徳とは、実は中味としてあるもので
はなく指向性として存在するものだったと言うべきでし
ょう。

問題はこの指向性が哲学それ自身の問題としてソクラテ
ス個人が発見した訳ではない、ということです。ソクラ
テスはこの指向性の原型を見事に体現して見せたかも知
れませんが、そうした普遍性追求の必然は本来どこにあ
るのかと言えば、人間の肉体と精神の関係が踏んで行く
ステップにあります。


言い換えると、人間意識は発達のある段階で、ある条件
を満たせば、必ず善い生き方、正しい他人(集団として
の他者ではなく、ひとりひとりの他者です)との関わり
方を普遍性を持つものとして追求しようとする(少なく
とも集団の中で相当数がそれを共有する)、とわたしは
考えています。


ここでいきなり自分自身の経験を引き合いに出すのは唐
突かも知れませんし、また経験の中味としても、ソクラ
テスと比べたら
(ほんのポーズだけ、それも一年と続かずに終わってし
まったもの)
と言えるのですが、それでも
(普遍性のわずかな痕跡が認められる事柄)
として、わたしが十三、四歳の頃に経験したことについ
て書かせてもらいます。

もしここに普遍性のカケラもないということが明らかな
らば、ここに書き続けている論考そのものが無意味にな
ります。

わたしはその頃、通っていた中学の仲間たちに対して
(自分はどうしてもっと公平に振る舞えないのか?)
(なぜ相手によって自分の態度はこんなにも違ってしま
うのか?)
としばしば真剣に自問して、おのれを責めることを繰り
返していました。逆に言えば当時わたしは毎日のように
(今日こそ誰に対しても同じ態度をとって、グラつかな
い自分を示して見せよう)
と決心して家を出るのに、帰りは必ず
(今日もダメだった。Aに対しては程よい距離を守って
向こうの言うこともよく聞き、こちらからは言いたいこ
ともきちんと言えたのに、そこへBがやって来ると、な
ぜか自分は少し浮かれたようになり距離感も守れなくな
り、ついにはどうでもイイような話に熱を上げ浮かれて
しまった。何なんだ、あの態度は!)
とうなだれ、自分に落胆して帰宅していました。

思い返すとこの時期、わたしは十一、二歳の小学生の精
神世界から次のステップに進もうとしていたような気が
します。十一、二歳までのわたしは、大人たちの正義・
不正義に関して、それらを感じ取るセンスはだんだんに
育ってきていたが、友人たちと過ごす子供社会にはまた
子供社会のルールや倫理らしきものがあって、二つの世
界を同時に生きながら、格別両者の関係……ズレとか矛
盾とか……について悩んだり深く自覚することはない、といった世界を生きていました。

それが中学に入ると、小学生時代と比べればやや地縁か
ら切れ、家庭で両親のコントロールから脱する場面も増
え、学校生活もトータルには縛りがキツくなっていなが
ら形の上では自主性、自立性を求められるようになりま
す。

こうした変化は、大げさに響くかも知れませんが人類史
的に例えることが可能なものです。かなり雑なもの、ボ
ンヤリとしたものと言えばその通りでもありますが、こ
れがどういう例えかと言うと、外界(人間社会も含めた
外界)を受け止めるのに、意識的なものと人間を越えた
自然的なものとのバランスが逆転し始める時期に重なる
だろう、ということです。

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