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今年はソクラテス! (4)

  4

わたしはソクラテスには分かりやすい面と分かりにくい
面とがあると感じています。

これを二つの事柄でそれぞれに説明してみます。

ひとつはソクラテスが人に突っ掛かって行く(ご本人は
あくまで「問いかけている」だけであって「突っ掛かっ
て」などいない! とおっしゃるでしょう、きっと)
ときの子供っぽさと執拗さに関してです。

まずここが、わたしにとって一見分かりやすいものと分
かりにくものとが同居していると感じられる一点です。

分かりやすいのは、知能が発達していく過程で子供がや
たらに理屈っぽくなって、大人が
(こいつ、小生意気なことを言う!)
と思いながらも
(一理あるな……)
という気もして無視も出来ず、意外に手こずってしまう、
そういう場面を思い浮かべると

ソクラテスのやっていることはこうした少年期の終わり
頃の特徴丸出しの
(この時期は大人や、大人たちが当然としている論法に
突っ掛かって行かずにいられないムズムズに支配されて
いる段階)
を感じさせる、あの態度そのものではないかということ
です。

ソクラテスは西洋の哲学の出発点(に近いところ)にい
て、たいていの人がふだん自分は当然分かっていると思
っているそのことが、実は怪しいのだと指摘した……な
どと説明され
「無知の知」
という言葉でくくられると、うっかり
(なるほど)
と思ってしまいがちだ。

たしかにわたしたちには、それまで
(これはこれでイイのだ)
と思ってきた事柄が急に怪しく感じられることがあり、
(いくら世間が常識と認めていたって、よく考えりゃ怪
しいことはあるんだよなあ)
などと思ったりしますから、そういう気持にさせられる
指摘が往々にして青少年からむき出しの形で出てきやす

(ソクラテスって、あの時期のスピリットを持ち続けた
人なんだな)
と思えば、分かりやすいのです。

けれども一方で、わたしたち日本人の多くは決してソク
ラテスのようには相手に問いかけ相手の答えから相手の
誤りを明らかにして見せるといった方法を取らないか、
部分的に取ったとしてもそれだけで決着が着くとは考え
ないでしょう。これが
「ソクラテスの分かりにくさ」
の方です。

つまり人間に普遍的な精神の発達段階が、洋の東西を問
わずに認められるのだ……という前提だけでソクラテスの
振る舞いを考えれば何も難しいことはないのに
(やっぱりそこにはコテコテの西洋人らしさがあるなあ)
と気づけば、ソクラテスってそもそも日本人の手に負え
るのか? という疑問で立ちすくんでしまう。

〈続く〉


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