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脆さを抱いて、ステージに立て!

南カリフォルニアで、世界レベルのジャズ教育を提供する。

そんな熱い想いで2019年に立ち上がった「Socal Jazz Academy(ソーキャル・ジャズ・アカデミー)」は、創業早々にCOVIDの打撃を受けました。

しかし、創業者のカリム・ヤンゼップは不屈の男です。

早々にレッスンをオンラインへ移行。
ウェブサイトでジャズ関連の書籍を販売したり、何故かオリジナルのコーヒーを作って売ったりしながら、急場を凌いでいました。

その後COVID対策を行ない、9月からオンサイトでのレッスンを再開!私は諸々の予定を調整し(といっても、夫のOKをもらっただけですが)、11月から再びアカデミーに通い始めました。

「メイミー、戻ってきてくれて本当に嬉しいよ!」
「どうだ、この会場は!広くて最高だろ!」

州が決めたガイドラインを守るため、体育館のような広大なスペースを新たに手に入れたカリム。さすが、転んでもただでは起きない男です。

広いスペースに「これでもか!」というほどの距離を保って、楽器をセッティング。ドラムやピアノなどのリズム隊はマスク必須。管楽器奏者はベルカバー必須、吹いていないときはマスク必須。

徹底したCOVID対策からは、このレッスンを絶対に止めたくない!というカリムの気迫を感じることができます。

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久しぶりのジャズ。久しぶりのサックス。
そんな緊張もあって、小さくまとまったソロをピロピロと吹く私。

するとカリムが、すかさず言うのです。

「メイミー!もっと、自分の殻から出てこい!」

「自分ができることをやるために、ここに来ているんじゃないんだろ?せっかく仲間でアンサンブルができるんだ。もっと責めて来い!」と。

具体的な指示としては、こちら。

“Get in the faces!”

意味:人にうるさく付きまとう、イライラさせる

普通は、これをすると嫌われるのですが。

自分の音楽を相手の顔にグリグリゴリゴリと押し付け、練り付け、見せつけてやれ!というのです。


いやいや、カリムじゃあるまいし。
人の顔に押し付けるようなソロは、なかなか吹けないっすよ。

そんな心の声が聞こえたのでしょうか。

カリムは、自身の胸中を語り始めます。

ステージの上では、誰もが脆くなる。
Everyone is vulnerable on stage.

この“vulnerable”という単語は、「脆い・傷つきやすい・脆弱」の意味。

イメージとしては、堅い殻が取り外され、ふやふやの柔らかい、今にも壊れそうな半熟卵のような。危うくて、安全じゃない状態です。

鉄のように堅い意志を持ち、己の道を突き進む。ブルドーザーのような男だとばかり思っていた、カリム。

そんな彼から“vulnerable”という単語が出てきたことが意外でした。が、さらに驚くべき話が続きます。

音大でドクターを取得したあと、僕はまったく楽器に触れることができなくなってしまった。3年間も。
怖かったんだ。
そこから少しずつ、少しずつ、楽器に触れるようになって、いま再び音楽と向き合えるようになった。
ステージの上では、人はとても傷つきやすくなる。
わかるだろ?
僕らは楽器と脆さを抱えて、ステージに立つんだ。

脆さを知っている男、カリム。

本当は繊細で傷つきやすい男、カリム。

暗い世界から這い上がった男、カリム。

そんなカリムが言うのです。

丸裸になって、仲間の顔にグイグイと自分自身を押し付けにいけ!と。

自分の脆さを認めること。自分のComfort Zone(安全地帯)から抜け出すこと。その先にのみ進化がある・・・と。


そもそもの話。
いったい私は、アメリカで何をやっているのでしょうか。

子育てのまっただ中に。

プロを目指しているわけでもないのに。

とは、思っています。

せめて周りが喜ぶような、将来役に立ちそうなことに時間を使ったらいいのに・・・というのも、重々わかっています。

でも、どうしても心がステージに向かっていってしまうのです。


カリム流に言うなら、私は楽器と脆さを抱えて人生を歩んできました。

3歳で始めたピアノ教室では、毎年発表会があり、次第にコンクールにも出場するようになります。

ピアノに加えて、小学校ではオーケストラに、中学時代は合唱部に、高校では吹奏楽部に所属。

さらに高校時代は先輩たちとバンドを結成。ロックあり、スカあり、レゲエあり。なかなかの集客をしていました。

大学ではジャズの世界に足を踏み入れ、うっかり「留年」の2文字がチラつくほど、のめり込みました。剣よりも、ペンよりも、サックス。

その流れで、社会人になってからもビッグバンドジャズ、コンボジャズ、サックスアンサンブル・・・と、時間の許す限りにバンド活動をねじ込み。

結婚後は夫婦でバンドを組み、誰もが知っている曲をジャズアレンジするというコンセプトで、何度もステージに立ちました。


そんな年月の中で、いったい何度、悔し涙を流したことか。
いったい何度、夜も眠れないほど恥ずかしい思いをしたことか。

自分の意志でステージに立ち続けているのに、楽しいばかりではない。

それでもやっぱりステージに戻ってきてしまうのは、いったい何故なのでしょうか。


せっかく足を踏み入れた、ジャズの世界。もう少し上の景色を見てみたいと思うから?

脆さをさらけ出した先にだけ存在する「Yeah!な瞬間」に、もう一度触れたいと思ってしまうから?

刺激が欲しいから?成長を感じたいから?

子供たちに自分の頑張っている姿を見せたいから?

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もしかしたら、それっぽい理由なんて必要ないのかもしれない。

ただ、挑戦したいから。
だから今日も私は、楽器と脆さを抱えてステージに立つのです。

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