2021年8月3日のはなし【命と場所はいきつづける】

まだ、どこかにいるような気がする

祖母の話である。

いま

祖母の家の片付けをしている

祖母は去年の4月
亡くなった。

去年の2月

癌が発覚して
そこから
緩和ケアに切り替えたら
コロナ禍になってしまい
面会禁止になり
最期がみれなかった

1回目の緊急事態宣言下もあり
葬儀には出れなかった。
お線香をあげにいけたのは
仕事とかも落ち着いた
9月のことだった。

それでも
祖母の遺影は
元々 祖母本人が決めてたもので
実感がわかなかった。

また、お墓の墓石に名前が
入っていても
なんだが実感が
わかなかった。



でも、いま
祖母の家を片付けている。
祖母の家という場所が
なくなることで
ようやく祖母が亡くなってきたんだなと
感じた。

僕は小学校から東京にいるが
僕は大学の2年間が
北海道だったので
必ず隔週土日は
札幌に帰省していた。

祖母はかなり喜んでくれたみたいだ。

美味しいご飯もたくさん
食べさせてくれたし

大学の友達も
よく泊まらせてくれた。


そんな思い入れのある
場所が
なくなる。

ようやく実感が湧いた。

でも、その思い出が
なくなることはない。

残さられた僕の
心の中で
場所と命は
生き続けれるのだか

余談ではあるが、
亡くなる3日前
祖母と電話をした。
もう危ないと言われてる中
奇跡的に電話が繋がったのだ
(他の人はかけても
意識がなく対応できなかったみたいだが、
自分がかけた時は
奇跡的に意識があり、
看護師さんが
受け取ってくれた)

多分これが
最期の会話だなと思った。

そう思うと
最期の会話ができた僕は
幸せ者だとおもう。

そのとき
ドラマの助監督になりたての時で
自分が担当したドラマの話を少しした。
でも、祖母は
無理をするな無理をするなと
すごく言ってた

結果
無理をして倒れた。

祖母は見抜いてた

でも、頑張らないわけにはいかない
頑張る
無理をしない範囲で


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?