【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】No.38
巡礼31日目
メリデ(Melide) ~ サンタ・イレーネ(Santa Irene)
厳しい時にこそ、人の繋がりや暖かな言葉が助けてくれる。ゴールを明日に控えた一番体力的に辛い時、気付かされたのはそんなシンプルなことだった。
■【髭の人】との約束
朝出発しようアルベルゲを出ると、入り口で【髭の人】に会った。彼が話しかけてきた。
「おはよう。昨日は良く眠れたかい?」
「お陰さまで良く寝られたよ。教えてくれて、本当に有り難う」僕はそう答えた。
「良いんだ。俺たちは仲間だからな」
実は彼とは今日が初めての会話だった。今までずっと顔は合わせてきたが、ただそれだけの関係だった。
【髭の人】の名は、スティーブと言った。ドイツから来た消防士だった。彼もまた、仕事やら何やら全てをリセットして歩く巡礼者だった。
「君達はすごく印象的だから、話したいと思ってた。二人ともいつも笑顔だったからな」
彼はそう言った。そうか、僕ら、そんなにいつも笑っていたのか。喧嘩したり疲れていたときもたくさんあったから、あまり自覚はなかった。ただ、そう見てくれていた人がいることは、凄く嬉しかった。
「サンティアゴには、明日着くのかい?」
スティーブは続けて聞いた。
「うん。今日イラーネまで歩いて、明日ゴールする予定だよ。」と答える。
「そうか、俺は明後日の予定なんだ。」
そう言ったあと、咥えていたタバコの火を消したあと、続けて言った。
「明後日の19時に、サンティアゴの大聖堂の前で会おう。そこで、ビールで乾杯だ。」
旅人同士の粋な約束だった。インターネットやSNS隆盛の時代に、まさか口約束を交わすとは。
「もちろん!」
即答した。答えに迷うことなどあろうはずがなかった。人との出会いや関係の始まりは、いつだって突然訪れる。そう言うきっかけがたくさん訪れるのがカミーノだと改めて感じた朝だった。
■試練は続くよどこまでも
歩き出した僕達の足取りは重かった。
無理もない。ガリシア州に入ってからいくつも山を越えて、休むことなく歩いてきたのだから。ここ数日は30kmを連発しているし、そもそも、僕達はもう700km以上歩いてきたのだから。「疲れていない」と言う方が無理があった。日々楽しかったけれど、それと足が痛いのは別の話だ。
空を覆った灰色の雲も、僕達の足取りを一層遅くさせた。今日に限っては、いつもの様にのんびり歩くと言う訳にはいかなかった。ただただ足が進まない。僕達は何度も何度も立ち止まり、バルで休憩をとった。
5月に入って少し暖かくはなったが、それでも日が出ていない今日は肌寒さもあった。少し歩くと汗ばみ、足を止めれば風が体を冷やした。そんな煮え切らなさも、歩みの遅さに拍車をかけた。
「あとどれくらい歩けばいいの?」
「あとどのくらい頑張れば着く?」
気付けば妻も、巡礼の最初の頃によく漏らしていた弱音を吐いていた。その弱音に対して上手く返せる言葉を持たず、どう励ましたらいいのかもわからなかったこの区間は、お互いに本当にしんどかったと思う。
■イレーネの宿にて、新たな出会い
いつもよりペースは遅く、何度も休みながらイレーネのアルベルゲに着いたのは17時を回っていた。
いつも通りのシャワーと洗濯。【いつも通り】だけど、明日サンティアゴに着いてしまったら、こんなルーティンもしなくなるのかな。
そんなセンチメンタルな気持ちで洗濯を終えて宿に戻ると、受け付け帳簿に日本人の名前があるのを見つけた。どうやら今晩この宿に泊まっている日本人は、僕達以外にもいるようだった。
そして、その日本人を見つけるのにそう時間はかからなかった。彼はなんと、僕の寝ていた二段ベッドの、下の段にいたのだった。村上さんと言う方だった。
■村上さんとの夕食
村上さんと妻と三人で、近くのバルで夕食を取りながら、話をした。
聞けば村上さんは僕達よりも一週間遅くスタートしたのに追い付いてきた健脚派。日本では丹沢が好きと言うこともあって、僕と意気投合した。
元々歩く旅が好きな村上さんは、特に下調べもせずに来たそうだ。必要以上の情報は、旅の魅力を減らしてしまうからだと。
本当に、旅の楽しみかたは人それぞれだ。
彼が「退屈だった」と言ったメセタ(中盤の盆地区間)も、僕にとっては最高に充実した時間だった。
そうやって最高だと思えたのは、妻がいて、仲間がいて、コミュニティディナーを用意してくれたホスピタレロがいたからだ。どの旅が良いとか恵まれていたとかいないとか言う気はないけれど、僕達は僕達の旅が出来て幸せだったと思う。
村上さんはひとしきり話してくれた後、ご飯を奢ってくれた。
「あなた方は次に出会う若い人たちに飯を奢ってやってください。」と言って。
男前な、いかにも山屋というような気持ちのいい男性だった。
■思わぬ形でつながるご縁
村上さんから聞いた話で驚いたことがある。
それは何と、僕達が旅に出るきっかけになった本のひとつを書いた著者が、今まさにこの道を歩いていると言う情報だった。
戸谷さんと言うご夫婦が、僕達のすぐ後ろ、およそ3日違いの行程で歩いていると言うから驚いた。まさか、そんな偶然があるのか?
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※戸谷さんについては少し前にブログでも紹介させてもらいました。僕達は戸谷美津子さんと、小野美由紀さんの著籍を参考に旅を思い描きました。
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連絡がとりたかった。「あなたの本に影響を受けて、道を歩いているんですよ」と直接伝えようと思った。
しかし、村上さんは戸谷さんご夫妻とは連絡先を交換したわけではなく、連絡できる手段は無いんだ。と言われ、僕達は肩を落とした。こんなにすぐ近くにいるのに、会えないまま終わってしまうのだろうか。明日ゴールだと言うところで、最後にやり残した事が出てきてしまうとは…
しかし、カミーノのなんと素敵なことか。
日本にいてもこんな偶然はなかなか無いのに、それが世界で起こりうるなんて!本当にこの道は素敵なことがたくさん起こる。「カミーノの奇跡だ!」と叫びたくなる人達の気持ちも理解できるくらい、その出会いはいつにもまして神秘的で、感動的なものだった。
■最後の夜
僕達のカミーノにおける最後の夜は、普段と変わらずとても穏やかで静かだった。イビキの大合唱が始まるまでは。
いつものように暗闇の中、僕は考えていた。
明日、僕達はおそらくサンティアゴに辿り着くだろう。明日の今ごろはひとしきり感動して、疲れはてて眠っているんだろうか。明日訪れる旅の終わりに、全く想像がつかない。いつだって旅の終わりは寂しさが勝るけれど、今はまだなんの実感も湧かない。
この巡礼がまだ終わって欲しくない気持ちと、ようやくひとつの旅が終わる安堵の気持ちの間をフワフワとしている感覚だ。
ライアンと連絡を取る。
「明日は予定通り到着できそうだ。」
「分かった!じゃまた明日、気を付けて!」
これで明日の手筈は整った。妻を驚かせる、感動のフィナーレのシナリオが。
問題は口の軽い僕が、明日一日黙っていられるだろうか。それだけが心配の種だな。そう思いながら僕は目を閉じ、最後の夜を終えることにした。
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メリデ(Melide) ~ サンタ・イレーネ(Santa Irene)
歩いた距離 29.5km
サンティアゴまで残り 23.5km
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