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「愛」とは何か考えてみた。

はじめに

 「愛」は様々な形で存在している。そして、愛をテーマとする物語が、今日も世界中の人々を魅了して止まない。

 愛は、人類の最も美しい感情とも言えるかもしれない。

 では、愛とは一体何なのだろうか?
 その定義を試みるべく、本記事では、愛について3ステップに分けて考察していく。

〈ステップ1〉愛とは「相手を幸せにしようとすること」なのか?

 まず、愛するということは、自分への見返り(つまり自分にとっての+)を求めずに、もしくは自分を犠牲にしてでも(つまり自分にとっての-)、愛する相手の幸福のために言動を起こすことであると考えることができる。 

 つまり、相手への「奉仕」を愛と捉えるものである。

 これは、一般的に想像しやすい定義ではないだろうか。有名な映画で言えば、『タイタニック』のラストシーンでは、ジャックが自分を顧みずに恋人ローズの命を救う愛情が描かれている。

 しかし、この定義には落とし穴がある。それは多くの場合、「相手の幸せ」が何か、知ることができないことだ。(『タイタニック』では、相手の幸せのために「沈没する船から命を救う」という明確な手段があるが、私たちの日常生活はそうハッキリとはいかない。)

 相手のためを思った言動が、逆に相手にとって迷惑な結果を招くことすらある。また、「相手のために」という枕詞が、押しつけがましい、重たい、と相手に思われる場合も往々にしてある。そもそも、ほんとうに相手のためなのか、それとも自己満足なのか、次第にそれすらもよくわからなくなってしまう時もあるだろう。

 たとえ相手に好意的に受け止められなくても、奉仕=「愛」であると考えることは可能だろう。しかし、相手への奉仕がどこまで「愛」と呼べるのか、線引きが難しいのも事実だ。

 こうした落とし穴があることを考えると、愛は「相手を幸せにしようとすること」だけではないように思う。
 他には愛の定義はないか、と考えてステップ2へ進む。

〈ステップ2〉愛とは「相手に寄り添い、受け入れること」なのか?

 次に考える愛の定義は、「相手に寄り添い、受け入れること」である。

 相手に欠点や弱さがあっても、丸ごと受け入れ、相手の苦しみに寄り添うという形の愛である。

 有名な映画で当てはめると、『アナと雪の女王』が思い出される。
 エルサは特殊能力(触れたものを凍らせてしまう能力)のために、周囲に迷惑をかけないよう常に自分を抑制するストレスで心を閉ざす。しかし、妹のアナがエルサの苦しみに寄り添い、エルサを能力ごと受け入れることによって、エルサは救われる。
 ここに描かれているのは、エルサのありのままを受け入れるアナの愛情だ。

 しかしこれは、かなりの至難の業だ。
 相手と自分には必ず価値観や性格の違いがある。相手に「こうしてくれたらいいのに!」と、思う瞬間は大なり小なりあるはずだ。
 愛が継続するためには、こうした不和が起こるたびに、自分と相手とで互いに心地よい妥協点を見つけていくという調整作業が必要になるわけだ。特別な感情を持たない相手ならば、投げ出したくなる面倒な手続きである。

 そんな幾多もの不和と調整を繰り返すだけの「耐久性」は、どうして手に入るというのだろう。相手との違いに愛想を尽かすことなく、受け入れ、時に妥協しながら愛する。
 そうできるだけの、強さはどこにあるのだろうか。その答えを求めてステップ3へ進む。

〈ステップ3〉愛とは「相手の存在に感謝していること」なのか?

 愛の耐久性がどのように決まるのか。それは様々なファクターが絡み合うことで、明確なことは言えない。しかし、1つ思いつくことは、愛は「相手の存在に感謝している、恩義を感じている」ほどに耐久性を増すのではないかということだ。

 違う人間同士だから、相手にイライラする瞬間は避けられないだろう。それでも、相手を愛し傍に寄り添いたいと思えるのは、相手の存在がそれだけ自分にとって必要不可欠であるということだ。それはすなわち「相手のお陰で自分が幸せでいられる」と、どれだけ思えるかである。

 言い換えれば、「相手の存在が自分と切り離せない」という感覚、それが愛とも考えられる。相手の存在の否定しようものなら、自分の人生の一部の否定につながるくらい、その人が自分の人生に組み込まれているのだ。
 だから大切だし、失い難い存在となる。

 先ほど例に挙げた『アナと雪の女王』でも、アナとエルサが互いの存在に感謝しているという前提があるからこそ、彼女たちの姉妹愛に納得感がある。アナとエルサは幼少期ともに遊んだ記憶があり、さらには両親を失った悲しみをドア越しでも共有してきた。互いに支えられてきたという感謝の念が描かれているからこそ、嘘くさくない愛情を描き出すことができているのではないだろうか。

まとめ

 今回の考察で、愛とは「相手の存在に感謝している」からこそ「相手に寄り添い、受け入れる」ことができる感情だと整理した。
 つまりは感謝されること、感謝することから、愛は始まるのだろう。

 感謝されるかどうか、それは相手の気持ち次第である。しかし、自分が相手に感謝をすることはできる。
 小さいことでもいい、感謝の気持ちを大切にすることから、愛は育まれていくのかもしれない。

あとがき

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