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【目印を見つけるノート】73. 赤い靴を履いてしまいました

きのうは救急車の音が2回聞こえました。
さっきから上空でヘリコプターが飛んでいます。

⚫かちかち山です

今日と明日がどうも自分の山場のようで、書く合間に他のことをしている感じです。頭はすべてそこに行っています。きのうの夜は、今書いている人の子孫の方がテレビにドンと出ていらっしゃって、「これは巻けという何気ないプレッシャー?」と思いつつ拝見しておりました。

歴史を書いていると、そのようなことが割とあります。
「とっとと書きなさい」
「もう巻かないとまずいでしょう」
「ここはそうじゃないよね」
これはなかなか、創作小説のときには得られない感覚です。そうですね、管理進行は私ではなく、ここにはいない誰かがしている感じです。

ちょっと変ですか。

前にどこかに書いたのですが、その感覚を持っていていいのだと思えた本があります。万葉集の研究者、伊藤博さんの『愚者の賦 萬葉閑談』(集英社)です。ご自身が万葉集を研究するいきさつや「態度」などについて書かれているのですが、読めば読むほどうなずくことばかりでした。
自分の書き方でもいいのだと思わせてくれました。ありがとうございます。

ただ、ある種の定言命令といいましょうか、それに応えるに足るスキルはまだまだだと思っています。何事もどこかに繋がっていると考えますので、自分の知見を備えるために、考え続けるためにどんなことでも学び続けなければならない。
そのような意味ではもの書きより研究者のスタンスなのかもしれません。

以前は誰彼ともなく言っていましたけれど、國學院大学のように史料が山ほどあるところでどっぷり学びに浸りたいというのがひとつの夢です。
ああ、国会図書館に籠りたいというのもありますね。鎌倉市の中央図書館もいいです。それは夢ではないです。じきに。

「赤い靴」を履いてしまったようなものかもしれません。今のところ、脱ぎたいとはまったく思わないようです。

ちょっとカタイ内容でしたでしょうか。
ごめんなさい。

⚫お籠りクラフトとばら

そんなカチカチ山のさなか、ガーネットがメインのネックレスを作りました。これはちょっと豪華です。売ろうかな。このガーネットはおそらく染色的な加工をされていないので、人工光の下ではほとんど黒にしか見えません。でも自然光に当てると本当にきれいな赤になるのです。そのようなところが、角度を変えてじっと見ないと真価が分からない感じがとても好きです。

ばらの葉はきのうより元気に見えます。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

追伸 遅すぎるということはないのではないでしょうか。手をつけなかったときは見えなかったり、分からなかったのかもしれません。まだそのときではなかった。時間を置いてはっきり見えたり、分かることもあると私は思うのです。その方がもしかしたら、前よりずっと愛おしくて大切なものになるような気がします。

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