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【目印を見つけるノート】436. 変容がくることもあるのかなと

2021年6月12日(土)晴れときどき曇り
先勝(辛卯)月齢1.7
📚きのうのことを書いています

7時起床。お休みの土曜日は朝から洗濯です。そして(noteでつぶやきましたが)小説の詰めの作業が続いています。書いてる自慢ではなくて、まるまる自分をそこに突っ込んでいますので、それしか書くことがなくなってしまうのです。お許しを。

朝、おかかおにぎりをたくさん作っておいたのですが、どこの穴に落ちたのか……空のお皿だけが残っていました。ごてあらポークのウィンナーも一袋分炒めてあったはずなのですが。食いっぱぐれました。
しかたなく昼はインドカレー屋さんでお弁当買ってきました。おまけで大盛りにしてくれました。しかも、お弁当メニューにはないダル(豆)チキンで。
歓喜。

こう、詰めの作業をしていると息抜き(サボり)をしたくなるのですが、これまで見ていたYouTubeや各種SNSを眺める気力が減退していることに、今日気がつきました。あれ、あれ、と思いました。必ず見るほんのわずかのほかは全く見る気がしないのです。

そんな自分のちょっとした変化がとても興味深いと思いました。
サルトルの小説『嘔吐』のような在るという認識への懐疑(合っていますか)とか、ゲシュタルト崩壊といったものとは少し違うのかなと思いますが、変容するといったらいいのでしょうか。化けるわけではありませんので。

最近蝶をよく見ると書いていますが、蝶は変容するものの典型ですね。あおむしがサナギになってパアッと。どの容器(姿)も前の段階、次の段階とはまるきり変わります。当事者に「変わろうと思ってるわけじゃないよ」と言われそうですけれど。ふふ。

そうですね。変わろうと思って変わる場合もあるでしょうが、気がついたら変わっていたというパターン、実は多いのかもしれません。その変化が何をもたらすのかは分からない。分からないならいいように考えるのが無難です。小説を書いているからというわけではありませんが、結びは必ずひとつしかないわけではないと考えています。
判断選択ということかもしれません。

この詰めの作業が終わったら、また少し変わるのかな。
ちょっと楽しみです。
さあ、今日も取りかかりますか。↓イメージ。

そういえば、この前会社の愛知の事業所の方に、「あなたが言っていた刈谷出身の武将、知らなかったけど検索してみるね~」と言われました。ニヤリ。今年の後半は愛知県にフォーカスするつもりですので、幸先がいいなあと思っています。

愛知県および岐阜県は行ったところがなぜか偏っています。名古屋だとクアトロ(パルコ)に松坂屋、病院、小豆トーストのモーニング。愛知全域でも豊川、蒲郡、三河安城、知立、あとは長良川ロードです。
城にひとつも、熱田神宮にも行っていないのです。
木曽三川と輪中だけはガッチリ見ましたが。
行けるようになったら再訪したいです。



きょうは珍しく、ヴィジュアル系といっていいのか?の2曲です。好きなのですよね。この2曲。

BUCK―TICK『悪の華』

GLAY『Marmaid』

ギターの、ハーモニクス(倍音)になりかけたような音。サビのところで予想外の音に行くところ。あれ、こういうと何のことか分かりづらいですね。
ざっくりいうと、それぞれのバンドとして、ひとつの完成形であるようにも思えます。

変わらないものはないですので、ひとつの到達点といったほうがいいかな。

さて、また戻りますか。
ひとつの到達点をめざして。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽


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