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【目印を見つけるノート】175. 車輪が回るように目指す方へーー詩を書き始めた頃

雨もよいですね。

⚫詩を書き始めた頃

私のプロフィールにも書いていますが、20世紀は詩を書いていました。今はきまぐれにしか書かないです。

私が詩を書いて同人誌やらに出すようになったのは、いきがかり上という感じでした。別のところに書いたものを、ちょっと引っ張ってきます。手直し済み。

⚫押韻定型詩の同人誌

昔の職場の、かなり年上の先輩Mさんは、ずっと詩を書いていました。いや、もっと総合的な、文化人という感じでしたね。元はカメラ会社にお勤めだったのでカメラや写真にお詳しいし、文芸同人誌も作っていたし、音楽もやっていた。鍵盤も弾けるので作曲もして。人脈も広かった。マルチですね。

文化的なものと社会的なものが一体化する時代を経てきた方なので、私たち世代とは異なる感覚、フィールドで活動されているなと思っていました。それに影響を受ける人もいるし、受けない人もいました。

いま思うと、私たちの世代は割とそのように上の世代の方と向かい合うことが多かったように思いますけれど、どうでしょう。

私は今よりずっと若くて、違う世界を学ばせていただくつもりで、いろいろ関わらせていただきました。ええ、本当にぐいぐいこじ開けられるような感じでしたね。押しが強いわぁ。

とはいえ、自分のバックグラウンドもありますから、いったん丸ごと飲み込んで取捨選択するようにしてきました。

大学の頃からなにげに詩を書いていましたが、ティーンエイジャーが手すさびにするような感じで人前に出す気はまったくなかったです。でもMさんはそのようなことをまったく知らないのに、「何でもいいから出せ」と言って下さったのでした。創作をしろということですね。

Mさんはその頃、詩人の飯島耕一さんや梅本健三さんと、「押韻定型詩」を再評価する目的で同人誌を立ち上げようとされていました。その立ち上げのきっかけになった座談会のテープ起こしを頼まれたのですが、分からない単語がいっぱい出てきました。岩野泡鳴とか九鬼周造の名前がポンポンと出ていたのを覚えています。

あとは、とにかく皆さん知識が広くて深いのみならず、西洋も東洋も縦横無尽に行き来する。その引っ張りかたの自由さに感嘆しました。座談会は3時間ぐらいでしたが、倍ぐらいは喋れたのではないでしょうか。

Mさんは私に関わらせようとして、テープ起こしを頼んだのだと思います。確信犯ですね。許しましょう。いえ、感謝しています。

そのおぼろげな記憶を参考に少し説明します。

もともと、日本語の詩は和歌や俳句、川柳、短歌など音数に決まりのある「定型」詩でした。日本人に多大な影響を与えた中国の漢詩も決まりがありました。ついでに言えば、外国語の詩にもソネットやバラッドなどの形があります。

明治、大正期になって言文一致が新しい表記方法として躍り出て、詩の分野でも定型ではない自由詩が現れて主流になっていきました。それが、言い方はどうかと思いますが、定型詩を旧態としてアーカイブに放り込もうとしているーーということで、もうちょっと見直してみたらという方もいらしゃったんですね。それが、マチネ・ポエティック(昼下がりの詩)という活動になりました。ウィキペディアで検索すると、以下のようなことです。

ーーマチネ・ポエティクとは、太平洋戦争中の1942年に、日本語によるソネットなどの定型押韻詩を試みるために始まった文学運動。加藤周一、中村真一郎、福永武彦、窪田啓作、原條あき子らが中心となった。ーー

Mさんと飯島さんがやろうとしていたのは、このマチネ・ポエティックの平成版でした。Mさんは音楽もやられていたので、歌詞の文字数とかリズム、韻などに興味を持っていました。
飯島さんは詩人というだけではなく、シュルレアリズムを日本に紹介した方の一人で、フランス文学者です。マチネの福永武彦さんもフランス文学者でしたが、フランス詩の音の美しさなどを十分に知った方が日本語でもそのようにできないのかと思われたのだと想像します。

そのような視点から実作を発表する場として、『中庭』という同人誌が立ち上がりました。

それに参加のお呼びがかかったというわけです。
そして、手探りで書き始めました。

押韻詩も自由詩もそれぞれいい点がありますので、どちらがいいという風には考えていませんが、試みとしてはとても面白いと思いました。
言葉のイメージを最大限に引き出そう、という意味ではどちらも目指すところは同じです。

ーーーーーー

その通り、どちらがいい、悪いということではないのです。「何を目指すか」という方向があれば、かたちは容れものに過ぎません。

私の場合、詩は書くより読む方が好きでした。暗唱できるぐらい読んだものもありましたし、原文で読んだものもそこそこありました。どこの国の詩でも、いつの詩でもとにかく好きで読みました。

そのようなところに、素敵な特上の容れものを用意していただいたという感じです。

詩については他にもラッキーがありました。

その頃目指していたのは、この歌の歌詞のような詩だったと思います。

Bob Dylan 『Disolation row』(1965)

詩はおそろしく長いので訳しませんが、カラフルな叙事詩で、T.S. エリオットの『荒地』に通ずるものがあると思いました。その時間軸をずらした感じ、と言ったらいいでしょうか。

このような詩がたくさんあるのです。

ボブ・ディランはとにかく、回りに何と言われようと、変わり続ける人だと思っていますが、とにかく書き続けています。先人が遺した偉大な作品を忘れずに、質の高い作品を創り続けています。

車輪が回り続けるように。

海外の詩人ならば、私の好きな人を挙げるだけでも、ホメーロス、杜甫、ミルトン、ワーズワース、ブレイク、シェイクスピア、ダンテ、キーツ、ジョイス、ロセッティ、ディラン・トマス、エリオット、ラングストン・ヒューズ、ロバート・クリーリー、ランボー、ブルトン、エリュアール、トリスタン・ツァラ、ボヌフォア、タゴール、サロージニー・ナイドゥ、ガルシア・ロルカ、パブロ・ネルーダ、ハイネ、ブレヒト……などなどいくらでも出てきますが、音楽と一体化した形で残っている詩は思いのほか少ないです。

ハイネとブレヒトとたぶんロルカと、ラングストン・ヒューズもそうかな。

ボブ・ディランは2016年にノーベル文学賞を受賞しましたが、審査員の方々はエリオットやタゴールやネルーダなど先人の受賞者とじっくり較べたと思います。それで十分条件を満たしているということで決めたのでしょう。
私も同感です。

私は詩でないものを書くことにしましたが、「車輪が回るように質の高いものを目指して書き続ける」という目標は変わっていないように思います。

続けること、質の高いものを目指すこと。
そういうことかと思います。

きょうは長くなりましたので、この辺りで。
この話はまた載せます。

あ、ライブを見に行くのです✨
楽しみです。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

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