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【目印を見つけるノート】1573. パリのランドマークを見て謎に出くわす

オリンピックの入場クルーズとフジロックの会場写真を交互に見ては、
「パリの雨に濡れたい」とか、
「やっぱり完全防備でないとな」などと
暑い部屋でつぶやいている一日です。
今日は隅田川の花火大会もありました。
天気も何とかもってよかったです。

炎天下は洗濯物が乾くのでつい回してしまいましたが私も炙ったイカになってしまいそう。

といいつつ、『オデュッセイア』だけは仕上げて出せました。あとふたつ、書く予定があります。とっとかやってしまいたい😤
夏休みの小学生状態です。

あ、『オデュッセイア』というのは、足かけ7年書いている『16世紀のオデュッセイア』というお話のことです。16世紀の百年記というところでしょうか。実際は140年ぐらいになると思いますが……ウェストファーレン条約っていつ……1648年か……そのちょっと前までかなと思います。
イタリア戦争の始めから、ですね。

センター試験世界史も試しに解いたらこの時期だけは◯が多かったので苦笑。

オリンピックです。
開会式の舞台だったシャイヨー宮・トロカデロ庭園の一帯は、エッフェル塔を望むパリのランドマークですが、シャイヨー宮の建造を初めに手掛けたのは16世紀のカトリーヌ・ド・メディシスでした。結局完成する前にカトリーヌは他界したのですが、確認していて「あれ?」と思ったのは、カトリーヌがここの土地にあった大邸宅をイッポーリト・デステ枢機卿から購入したというwikipediaのくだりでした。

「へ?何で?」

イッポーリト・デステはイタリア・フェラーラ出身です。お母さんはルクレツィア・ボルジア。ルクレツィアの兄、チェーザレ・ボルジアからすれば甥っ子です。そこらへんは分かるのですが、なぜイタリア半島出身の枢機卿がパリに邸宅を持っていたのかが謎。あと、建造を始めたのが1582年ということでしたが、イッポーリトが亡くなったのはその10年前ですのでまた謎……いろいろな可能性を考えているところです。側近のギーズ公夫妻が関わっているのかもしれません。話すと長くなります。
あれ?その頃ギーズ公ってどうなっていたっけ😑

まだね、『オデュッセイア』をそこまで書いていないので、ゆっくり調べます。相当先ですね。でも、こういう謎があるから先に進めるというのもあります。

まあ、16世紀のことばかり書いてしまいましたけれど、太陽王ルイ14世の時代も皇帝になっちゃったナポレオンの時代も、シャイヨー宮は重要な場所だったのです。

そうだ。
私は10歳ごろからだと思うのですが、アメリカとヨーロッパにたいへん興味がありました。
前者は建国200年のときに旅行した祖母に話を聞いたから。その後で建国200年の記念グラフ誌を穴が空くほど見ました。その時はニューヨークよりも、お祭りのニューオリンズ、延々と続く真っ直ぐな道路、荒涼とした巨大な岩山とセコイアの木に見とれていました。今はニューヨークにたいへん憧れていますけれど。
今もマルディグラ・イン・ニューオリンズ(曲)とかDead Man(映画)とか大好きだなあ。
『Dead Man』のトレーラー映像

さて、後者はユーレイルパスを利用してのヨーロッパ紀行の本。図書室の本でタイトル忘れました。あれも1年ぐらいずっと借りて、穴が空くほど繰り返し読みました。
ヨーロッパの名所を「地続き」で覚えられたというのはなかなか新鮮でした。駅もいくらか覚えられたような気もします。

それ以降ですね。
行ってもいないのに、行った人にあれやこれや質問するようになったのは。今日のオデュッセイアではフィレンツェを出しましたが、
フィレンツェに行った方に、「ウフィッツィ美術館、どうでした?」と聞きまくっていたのを思い出しました。その方はヴァザーリの回廊も見られたそうで(現時点では見学できない)、それも聞きました。

行ってもいないのに書いてしまうというのは、そのような好奇心に依るところが多いのかなと思います。

翻って、
観光ガイドで見慣れた風景にもまた、いろいろな側面があるというのが楽しいのだろうと思います。欧州は正負を問わず歴史をそのまま遺しているところが多いので、視点も重層的になるように思います。

シャイヨー宮の始まりの謎についてのお話でした。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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