見出し画像

【目印を見つけるノート】124. どんとさんのバースディと、実はプラチナチケット

きょう明日(8月5、6日)、京都のライブハウス『磔磔』で『どんと20周年祭-2020 魂の誕生日ー』というライブがあります。

出演はDr.kyOnさん・永井利充さん・岡地曙裕さん(from BO GUMBOS)、下津光史さん(踊ってばかりの国)、吉田省念さん、ラキタさん、久富ナラさん、小嶋さちほさん他のみなさんです。

8月5日はどんとさん(2000年に逝去されました)のお誕生日です。

私もですが、京都まで行けなかったりチケットが取れなかったりする人には、有料配信があり(ツイキャス)、事後でも購入できます。配信は2週間とのこと。詳しくは磔磔のサイト
https://www.geisya.or.jp/~takutaku/
からツイキャスの購入画面を参照ください。

最近、磔磔さんの登場頻度が高いですね。
行ったことがないのにな(苦笑)。

今日はそのことにちなんで、私がどんとさんを初めて見た日のことを書きます。以前他のところにも出していましたので(今は非公開)、それを見た方はどうぞご了承ください。ちょっと変えています。

加えてきのう、一瞬フライング公開してしまいましたが、少し変えています。その点もご了承ください。


⚫プラチナチケットでした

高校生のとき、私の所属する放送部に『NHKヤングミュージックフェスティバル』のチケットが届きました。何年前かはご推察いただければ(苦笑)。
イベントの名称にも時代を感じますが、プロを目指すアマチュアのコンテストです。

チケットは視聴者参加ということでしょう。放送部は全国放送コンクールでお付き合いがあるから届いたようです。

チラシはありましたが、ゲストのプロと審査員以外に知っている人は出ていません。部員一同口を揃えて「行かない」というので、バンド全般に興味のある私(部長経験者ですし?)一人で行きました。
チケットは3枚あったんだけどな……。

ところは、NHKホール。

プログラムを見ていました。確か、写真とプロフィールのついた立派なものだったと記憶しています。
そして、決勝に残ったバンドの中、アンテナに思い切り引っ掛かるバンド名を見つけました。

「あの人の名前、まんま使っちゃうのか~。やってくれるなあ」が率直な感想でした。

ポーランドのザモシチで生まれて1919年に亡くなった女性思想家の名前でした。あまり知名度は高くなかったかもしれません。だから選んだのでしょうか。

さて、コンテストに戻ります。
やはり本選に残るだけあって、演奏力のあるバンドが多いなあと思って見ていました。プログラムは進みます。そして、名前だけで私のアンテナに引っ掛かったバンドの番になりました。

衝撃。

春節(中国のお正月)かと思いました。

個性も演奏もですが、こう言っては何ですがまったく次元が違っていました。
振り切っている。

他の記憶がすべてぶっ飛びました……審査員に細野晴臣さんがいらっしゃったような……ぐらいの。あ、渋谷陽一さんもいらっしゃいました。はい、覚えています。すみません。

ローザ・ルクセンブルグというバンドです。
曲は『在中国的少年』です。
メンバーはどんとさん、玉城宏志さん、永井利充 さん、三原重夫さんです。

ローザはやっぱり一等賞でしたが、審査員の渋谷陽一さんはコメントで、「ヴォーカルの人は京大だそうで……」とおっしゃっていました。



私は高校生でしたので、そうそうライブには行けなかったのですが……ローザはデビューして、オムニバスアルバム、自身のアルバムを出されて解散しました。

その後、ローザのヴォーカルのどんとさんとベースの永井さんに、Dr.kyOnさん、岡地さんが加わってボ・ガンボスというバンドを結成したので、そちらは見に行きました。本八幡のROUTE14というライブハウスの一夜をよく覚えています。えらい楽しかったな~。

そう、音楽は楽しいものだと思いました。

どんとさんは残念なことに、ボ・ガンボス解散(1995年)後の2000年1月、37歳の若さで急逝されました。

ボ・ガンボスのギターとキーボードをされていたDr. kyOnさんは本当にたまにですみませんが見に行きます。とても好きなキーボーディスト(ギタリスト)です。

もとい、
あのコンテストのことは今も思い出します。
どんとさん、ローザを初めて見た日。

放送部に来ていたご招待の、当時放送部の面々が誰も「行く」と言わなかったチケットは、とんでもない、本当にとんでもないプラチナ・チケットだったと思います。



『強烈な個性』とか、表現はいろいろありますが、とびきり飛び抜けた人(たち)というのはいるんだなというのを目の当たりにした初めての経験でした。

そして、今ごろになって思うのですが、そのような方々は自分たちが飛び抜けているとは思っていなくて、自分のやるべきことを一所懸命にやって、前に進もうとしていたのではないのかなとも思います。

2014年に、吉祥寺バウスシアターで『ボガンボローザ』を見たときは、もう泣きました。

ライブが終わって、どんとさんが友部正人さんの『待ち合わせ』のライブで『ぼくは君を探しに来たんだ』を一緒に歌っている映像が流れていて、また泣いていました。



ボ・ガンボスの『トンネル抜けて』という曲は私の大事な一曲です。特に2010年代は通して、途方に暮れたときの相棒のひとりでした。
歌詞は明るいのです。トンネルを抜けて車できみのうちにいくよ、ということなのですが、メロディが切なくて。

どこかに行ってしまいそうな夜に、
携帯で流してよく一緒に歌っていました。
携帯がなくても歌っていました。
誰もいない夜中の首都高の下で、
すっ飛ばすタクシーを斜めに見やって、
途切れ途切れの声で。

この歌があってくれてほんとうに、
よかったです。
ありがとうございます。



今日は長くなりましたので、他のコーナーはお休みします。

おがたさわ
(尾方佐羽)

この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?