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【目印を見つけるノート】517. 信長の『敦盛』と「小唄」考

すっかり寒く?なりました。
夏の暑さには手こずらされましたが、それでも冬より夏の方がやや好きだったりします。ああ、海にバシャバシャ入りたかったな。

さて、きのうはまた小説『16世紀のオデュッセイア』を更新しましたが、もうちょっとで1400000字のところまで来ました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/793313132/416136725
だいたい、桶狭間の戦いが全体の真ん中だろうと認識していますが、それも近くなってきました。
文字数でいえばそのようなことなのですが、時々うーん、と考えて自説を出すことがあります。織田信長のことを書くのに、私は『信長公記』を主に見ていますが時々うーん、と考え込むのです。
書き手の太田牛一は信長の家中の人で、本人を知っています。それは伝記を書くのに何よりも強いメリットです。ただ、記録を後にまとめたものであることと、専門の伝記書きではないので、曖昧になったりもします。時期不詳の話もけっこうあります。
今回は、そのようなエピソードのひとつに珍しく注釈を付けました。

「『死のふは一定、しのび草には何をしよぞ、一帖かたりおこすよの』と唄っておられます」と天沢はつぶやくように言う。

という一文についての注釈です。

※『信長公記』では信長の小唄の二番目の「いちじょう」は『一定』になっていますが、小唄は掛詞になっていると想定されますので、(『死のふ』と『しのび』のように)
「いちじょう」を「一帖」としました。語り起こすのはものがたりで、一帖とする方が適切だと判断したからです。

訳本にはこの唄の出典は出ていません。
その上で探してみても見つからないときは、自分で考えます。「死のふ」と「しのび」は掛けているなとハタと思いました。それならば、「いちじょう」も「一定」を繰り返したのではなく同じ音で違う言葉なのではないかと思ったのです。「かたりおこすよの」と続いていますので、「ものがたり」をかたりおこすと捉えるのなら、『源氏物語』などでも使われている「帖」という、もとは紙をくくる枚数の単位がすんなり落ちると思いました。

実際、信長の小唄をリアルに聞いたとしてもその違いまで追求する人はほぼいなかったでしょう。ですので些細なことではあります。些細なのですが、この小唄はいろいろな解釈ができる。信長の死生観がおぼろげにあらわれているとも見てとれる。
このエピソードに出ているもうひとつの舞の曲が、有名な「人生50年、下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」なのです。信長のドラマや映画ではかなりの確率で出てきます。

これは幸若舞の『敦盛』から来ていますが、引用させていただきますね。

かかる部分を宮沢りえさんが映画のシーンで舞われているもの。

そして『敦盛』の通し。

信長のお好みの部分は比較的静かですが(宮沢さん、凛として素敵)、その部分以降は特に動きも増え高揚感があります。これを見ると、信長も実は通しで好きだったのではないのかなと思ったりします。

『敦盛』は敦盛が主人公ではないのです。
平敦盛を手にかけた熊谷直実が主人公なのです。その中で信長の好きな部分は直実が諦観にとらわれるところです。そして直実は出家するのですが、もしかすると出家するところはあまり興味がなかったのかもしれません。その後の信長の行く道は出家とはどんどん離れていきましたからね。

熊谷直実の話は短編で去年書きました。
あれだけ古典にネタ本が多い方はもう本当に、書きづらかったです。『平家物語』や『吾妻鏡』や観阿弥世阿弥以降の謡曲、大きな壁でした。
(第一話です)
https://www.alphapolis.co.jp/novel/793313132/407276011/episode/2618577

さて、話が飛びました。
その『敦盛』とともに出されている信長の十八番の小唄はあまり注目されていないように思いますが、信長の心中を量るものとしても、中世の言葉の使い方にしても示唆に富むものだと思った次第です。

書くときはけっこう考えているというお話でした。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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