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【目印を見つけるノート】884. 山を見ているようで見ていない、という認識

私がいない間に咲いてくれたバラも盛りを過ぎたので切りました。今は一鉢に蕾があって、もう少しで開くようです。水を毎朝あげてくれていたLouさんに感謝です😆

もう10日ぐらい咲いていますm(_ _)m
つぼみ❤️

あ、ベランダにムラサキシジミ?が。珍しい。
旅の間はトンボとアゲハチョウを本当によく見ました。トンボはおそらくシオカラトンボとアカトンボが多くて、アゲハチョウはキアゲハが多かったです。クロアゲハやアオスジアゲハもいましたね。あまり上手く撮れなかったのですが。

これだけだったな、まあまあだったのは。

帰ってきて、小さなヤマトシジミをよく見るようになりました。おかえりなさいと言われているような錯覚が😅

出先が自然の豊かな場所でしたので、昆虫もたくさんいたのでしょう。

旅に行ってきた、と言ってもいろいろな感じかたができると思います。コンプリートできたかというと、まだまだだなと感じます。山城に登りたかったなとか、美術館や博物館ももう一回ずつ行きたかったなとか、いろいろあります。

ヴェルヌではないですが、今は80日で世界を一周するのもお金と体力があれば簡単です。ただ、じっくり見るのは不可能だろうと思います。ヴェルヌの描いた主人公は冒険もたくさんありましたので、それはそれで滅多にない視点だったろうと思いますが。

「見ているようで、見ていない」というのは常に感じますし、それを念頭に置いて見なければいけないなと肝に命じています。そうでなければ、ものの見方が皮相になると思うのです。平たくいえば「うわっつら」ということです。

100分かっていて10を語ることと、9分かっていて10を語るのは、同じ10でも天と地ほど違います。また、10年見たものを1分語るのと、見ていないものを1分語るのもまたかなりの違いだろうと思います。

どちらかといえば後者になりがちな自分には、それを踏まえて、できる限り踏み込んでいくことがどうしても必要になると思っています。

吉備津神社に行く途中で知り合った福井の女性と話していて、
「都会の人は山が新鮮だろうけど、私は山を見ても何とも」とおっしゃっていました。日本有数の山脈の側にお住まいですから、大いに頷けます。
「山には、どんなに小さくても名前がついていたりします。それがすごいなって思って。そして、あの山だよって教わっても、ぐるりと一周見回すともうどの山だったか分からなくなっていたりして、自分にはそれが残念」と自分の思うところを言ってみました。
その女性には「ああ、分からなくなるよね」と慰めて?いただきました。

吉備の山。
井原の山。
成羽の山。
しまなみ海道沿いの山。

大した話ではないのですが、ちょっと象徴的だったなと思って。
見たものをどう認識するかということになるのでしょうか。

山を認識する要がなければ、それ以上深入りしないでしょう。私は少し変わっているのか、ひとつの山を教わると、いろいろな角度から見たくなるし、回りの山も知りたくなるし、まあ、深掘りしたくなるのです。それで、自分がぐるっと見回しただけで、もう認識できないと知り、しかも下りに難があって、ガッカリの助🙍

ですので、記録以外はネットの情報検索で終わることもないですし、お一人の見解に依ることもないです。

そして、一番面白いのは、
ひとつの何気ないやり取りからでも、こういった展開が無尽蔵にできるということです。
メタ認知という言葉をいっときよく聞きましたが、それとも違うかなあと思います。

今日の東京はまだ夏だなあということで。
Bob Marley and The Wailers『Small Axe』

この曲は旅の間、頭の中でよく流れました。パワープレイです。

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 よい夜を✨

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