『教師』を志した少年時代(序文)


僕が5月に携わる作品が今日、公演中止を発表した。


とても残念だし悔しい。
けど、命あればこそ。

主宰の滝井さんは人と演劇への愛情と情熱がたっぷりの方。
饒舌な関西弁を駆使して、時折下ネタを織り交ぜつつ、ツイートをなぜか短歌でつぶやいている。公演中止になって相当なショックなはずなのに、今回も律儀に短歌でつぶやいている。

滝井さんについてたっぷり語ろうかなとも思ったが、後日、ちゃんと時間をかけて書きたい。なんせ僕が出会った先輩の中でついていきたいと思えたお方だ。ちゃんと時間をかけたい。

ん。そうか……。

なるほど。その手があったか。

▼「出会ってきた人たち」について書く。


僕が今まで出会ってきた方に書く。いいなぁ。
できれば大人になる前に出会った人たちについて書きたいな。うんうん。とても良いな。それも先生たちについて。いやもっと。恩師について書く。

先日結婚式をした時(新婚です)、高校の恩師にスピーチを頼んだ。恩師はそのスピーチの中で「大部は『先生になる』と言って大学に行きましたが、彼は役者になってました」と言っていて思い出した。

そうだ。

僕は高校生の頃まで、『教師』を志していた。


▼恩師について書いてみる。

『教師』を志した理由についてもまた後日ゆっくり書くとして、これまで出会った恩師について書いてみるのはとても良いな。

少年時代の「夢」と、大人になっての「夢」、これが一緒な人ってとってもカッコいい。僕は違った。だから、憧れとコンプレックスがある。
子供の頃と大人になっての夢が一緒な人は、インタビューかなんかされてもきっとこんな風な感じなんだろう。


「いつからお芝居やっているんですか?」
「親の影響で子供の頃からやっていました」


「ダンサーを志した理由はなんですか?」
「3才の頃からずっとやっているので、志すというより当たり前のようにそこにあった、って感じですかね」


「音楽の道以外にやるとしたら、何をやりたいですか?」
「生まれてこのかた、これ以外に興味がないので思いつかないですねぇ」


かっこいい……。
こんな風に言いたかったな。いいなぁ。。。
他方、僕がもし聞かれたらこうなる。

「いつからお芝居やっているんですか?」
「19才の秋頃からです。それまでは野球をやってました」

「役者を志した理由はなんですか?」
「18才の頃の文化祭が楽しくて目立てて楽しかったので、志すというより目立ちたかったから、ですかね」

「役者の道以外にやるとしたら、何をやりたいですか?」
「正直言うと、これ以外にも興味たくさんあったから色々思い浮かんじゃいますねぇ」


かっこよくない……。
実にかっこ悪い。恥ずかしいなぁ。。。

今は今で胸を張って「この仕事が好きです!」と言えるが、やっぱりそういう人生には憧れる。ただの無い物ねだりなのかもしれない。


▼『教師』を志した少年時代(序文)

なので、そんなコンプレックスに折り合いをつけるためにも(?)、少年時代の自分を、その時々で出会った恩師、その出会いを経て『教師』を志すに至った経緯を書いてみたいと思った。

これまでの自分なら、

「いやいやそんなこと誰も知りたいと思ってないし寒いからやめておけよ。お前は芝居をするためにSNSをやってるんだから関係ないことは発信しとけよ」

と歯止めがかかってしまっていた。
でも今は違う。

いいじゃないか。ここは自分のnoteだ。誰が見ているとかじゃない。
noteに記してみて、本当に嫌になった時に消せばいい。書きたいと少しでも思ったなら書けばいい。

不幸にも今は演劇を自由にできる環境ではない。いつもであれば半日以上を過ごす稽古場に行けず、ろくに居ない自宅にずっと居るんだ。今は無心になって書けるだけ書くんだ。


「書くのはやめておけ」「まずは書いてみる」の脳内戦争(自問自答)。


脳内戦争(自問自答)を繰り返した結果、
「まずは書いてみる」が勝利した。


書くのに疲れてしまうと元も子もないので、何回かに分けて書いてみようと思う。


少年時代。
僕は、『教師』を志していた。科目は「国語」だ。
そのきっかけになった恩師が2人いる。

そしてある時、
『国語の教師』を志すのをやめ、役者を始めた。
心の隅にはほんの少し『教師を志すのをやめた』ことが引っかかっていた。
でも、役者の道に進むことを決めた。
その背中を押してくれた恩師が1人いる。



つづく。







よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターの活動費に使わせていただきます!