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決まってゆくこと

画像は、20代にバイトしてた時の
仲良し達からのティーバッグ。
レトロなマッチ箱みたいで可愛い。


ジンジャーカモミールハーブティと
ダージリン。
丁寧に、飲みたいなと思った時に
大事に頂いた。


ほんとなら私も会うはずだった。
皆で会った翌日に、決して近くはないのに
私の自宅まで来てくれて
ポストインをしていってくれた。

美味しい焼き菓子も添えられて
お手紙まで書いてくれて。


私たち4人は、どういうわけか
すっごく仲良くなって
つかず離れずのお付き合いをしてる。


次回は私も、いや
全員で、
いつものように
馬鹿笑いして陽気に過ごせるといいな。

大なり小なり
私たちのお年頃って
何かを抱えているから。

星回りもあるんじゃないかなーって
他の友達が言っていたのを思い出す。
彼女は40代後半だけど、いつもどこかが
何かある人だけど
パートを始めたみたい。

「オデコどうしてるかなーって
 考えてたとこだったよ」

またしても!
ほんとに嬉しいな。


いわゆるうつの時期は
仕事を辞めるとか離婚するとかの
大きな決断をするのは良くない。

でも、決めたくなる気持ちが
湧き上がるのは良くわかる。

先が見えないマインドにやられるからだ。
ひとつでもいいから、結果を出したいのだ。

でも絶対にそれはダメだ
本来のマインドではないのだから。


思う位なら自分に許可を出していた。
うつが治ったら別れてやる!って
大泣きするとか。


「歪んでいたとしても
感情を吐き出せるのであれば
じゃんじゃんやるのがいい!」


という考えに則り、
どんな小さなイライラにも私は
感情を出していた。


若干ワザとじゃね?って
ほんの少し残ってるリアルマインドが
感じていたとしても、
泣きまくったし腹を立てたし


今となっては懐かしみを覚える(笑)


そんな、支離滅裂の時に考えた
回復後の人生、仕事、関係性について。


今も残っている(消去されていない)
考えがいくつかあって


それが今日のタイトル
「決まってゆくこと」だ。


55年間、直感のまま生きてきた。


初の試み、長期的プランだ。

そんなん無理に決まってるし、とか
きっと私また同じ動きするでしょ、とか
自分のことを信じなかった。
てか何も信じられない時期だった。
うつって、そうゆうモードだよねー

でも今は
それがどんな流れになるかは知らんけど
私はとっくに楽しみにし始めてる。


このマインドが私のエネルギーになる


多くはなかったが、顧客のいた仕事のうち
2つを手放す算段を取った。
やるべきことは少しあるけど。


残りの1つは
ライフワーク的なものなので
手放すとかそういうものではなく

しかも最終講座を延期にしている。
これはもちろんやり遂げる。

コンテンツを作れている事実は
まじ良かった。

このライフワーク的な仕事が
今後どんな流れになるかは、
自分の内側にしか答えはない。

オデコ的長期プランニングの
プランナー兼ディレクター兼作業員(私)。

ひとりで抱えたとしても、
長期プランの割には
ひとコマがほんのちょびっと、しかも
プランナーの気分でやれる。


そして、勝手にやる。
ここが最大の楽しみだ!!

誰のお伺いも立てないんだから。
それを刷り込まれてきた人生だったから。
怒られても、別にいいんだ。

メルマガの解約も、
素晴らしくタイミング良く出来たので
最後の記事を、
そろそろ書こうかと思ってる。

何も明かさない。
単なるお引越しに過ぎないもの。

8年目の終止符だなぁ。と
自分だけは
やはり感慨深かったりもするのだ。