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猫のように暮らしてみたい(その25)

脳の神経細胞が壊れてしまう程のストレスを経験して、
私はうつ病になった。

私を苦しめていたのは壊れた心ではなかった。
自分が弱いからでも何も出来ないからでもない。
他人や仕事や社会のせいでもなかった。

私はこんな自分が生きていてもいいのか、
意味があるのか、
何のためなのか、
まるで壊れたレコード盤のようにぐるぐる回っては
同じところでつっかえて繰り返す音楽のように
その場でループしていた。

私を苦しめていたのは脳が見せる幻覚や幻聴であって、
壊れていたのは脳の方だった。

私の心は壊れるどころか傷ひとつなく
ずっと私の中に在ったのだ。

物体として存在しない心は
私が認識さえすればそこになくても在るのだ。

物体ではないから傷などつかない。
心は不滅なのだ。

この世界のありとあらゆる生き物は皆、
生まれたら死ぬまで生きる、

それが自然の摂理だ。

生きていくことに意味など必要なかった。
死が訪れるその日まで生きることを止めない。
ただそれだけで良かった。

だから自ら死を選択することは阻止すべきだ。
死を選択させようとさえするのが
壊れた脳によるコントロールなのだ。

脳は自らの心身を操る司令塔であり
当然自分を守るように構成されている。

だからここが調子を崩すと心身に多大な影響を与えてしまう。
悪化させてしまうと外敵から身を守るはずの自己免疫が
自らを攻撃するという事態に陥ってしまう。

先ほど私は心で脳は治せないと言った。

脳は現実的な身体をつかさどる器官であるのに対し、
心はその脳が作り出し投影するイメージのようなものだ。

だから脳の状態によって心は大きく影響を受けてしまうのだ。


自分の病歴は12年、
身体的な不調から数えると14年になる。

自分がシングルになったばかりで仕事に奮闘していた頃に
拾ったひびきは15歳で逝った。


ひびき

最初こそ生死をさまよう程の怪我だったが、
その後病気ひとつせず、
まるで一家の大黒柱のように自分と娘たちを見守り
最後まで手を煩わせることなく静かに長い眠りについた。

その1年半後、
会社の倒産後に引き取った黒ラブのぶんが逝ってしまった。
13歳だった。


ぶんとしゅう

その頃の自分は自分の面倒すら
まともにみられないような状態だったから、
大型犬なのにあまり長い時間散歩に連れて行って
あげられなかった事が今でも心残りだ。

優しい性格の子だったから一番大きな体で
いつも端っこに身を寄せて寝ていた。

最後は階段を降りることも出来ず、
立ち上がることも出来なくなった。

ほとんど吠えなかったぶんは最後にこちらに向かって
「ウォン」と小さく声をあげて眠りについた。

その半年後にチワワのしゅうが13歳で亡くなった。
肺に水がたまり始め投薬していたが、
急に具合が悪くなり病院に駆け込んだ。

入院して様子を見ましょうと言われ、
家に戻って2時間後に電話で息を引き取ったと聞かされた。

こんな事なら家に居たままの方が良かったと泣いて後悔した。


まめとしゅう

しゅうはメスだったので
子猫だったまめの面倒をよく見てくれた。

ちょことも仲が良く冬はストーブの前にくっ付いて寝ていた。


しゅうとちょこ

ほとんど散歩にも連れて行かず最低な飼い主だったと思うが、
自分によく懐いてくれて嬉しそうに尻尾を振る姿が今でも愛おしい。

立て続けにみんな逝ってしまって悲しくて寂しくて
自分のメンタルが制御不能なところまで落ち込んでしまった。


                    つづく。。。


今日も読んでくださった方ありがとうございます。


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