note ひとつきめの感謝

数日前に、noteをはじめて一か月が過ぎた。
まだ一か月という気持ちともう一か月という気持ち、どちらもある。
文字を書く場所を探して辿り着いただけだけど、この一か月で自分の中にあるモノが少し見えてきた気もする。

プロフィールにも書いたけど、今までネット上に載せるためにいくつか文章を書いたことはある。日記的なものから、ヒトサマに読んで貰うためのものまで。ある日、それら全部を捨てて、しばらくネットとは距離を置いてきた。また、同じようにはなりたくなかったから…。
でも、この一か月で捨ててきたモノの中にも、大事なモノがあったことを思い出せた。キーを叩いてエンター押して、ここにこうして文字にしなければ、きっと気付かずに忘れたままになっていたこと。

忘れるってことは、一度は覚えたってことだから…。
もう一回覚えなおせばいい。それでも忘れたら、また覚えればいい。

昔々、叔父が兄に掛けた言葉。私にも言って欲しい…と、横でぼんやり見つめていた記憶がある。

カケラだけでも思い出すってことは、それが自分にとっては大事だったってことだと。

ここに来た時、プロフになんて書けばいいのか、好きなものは何なのかさえハッキリしてなかったけど…。
そういえば…と思い出して、やっぱり今も好きだよなと、思えるものをごそごそ出してきて、確認したりしてる。
本も開けば、その時の自身の心持ちが蘇ってくるんだな…と。

三十一文字を好きになったのは、いつだったのかははっきり覚えてない。
源氏物語が好きで、口語訳はほぼ全部読んだ。訳者によって、物語中に書かれている和歌が違うことに、気付いて読み比べしてたこともある。ただ、瀬戸内さん以降は読んでいないし、他の物も既に手元にはない。原文の本は、高価すぎてなかなか揃えられない。まだ4巻まで。これはさすがに処分してない。(『新潮日本古典集成』が良いと、教えてもらってそれを)

万葉集を読んでた時もあった。全くの素人で(源氏もそうだけど)注釈と辞典がないと先に進めなかったけど、細かく解釈が書かれたものは嫌だった。
こう読みなさいと押し付けられてる気がして…。
随分前、その筋の方(?)とお話する機会があった時に、この話を打ち明けると、それでいいと言われた記憶がある。定訓や解釈は人や時代によって変わることがあるし、そもそも分からないから研究されてるわけだし…みたいな。
万葉集は、2013年に発行が開始された岩波文庫のものが面白い。特に巻末に書かれた解説が。あと、絶対に買わない著者はいるけど、「苦手」はあえて書く必要はないかと。(笑)

現代短歌には、まったくもって縁がない。
ここに来てから、唯一覚えてる一節を検索してみた。
…いきができないこのよのいきが…
つい最近、その方の名前を知った。今、その方の歌を、本を読んでみたいと思ってる。

ツイッターかよっ!
と、思うような投稿の仕方をしていると思うこともある。
タグをどう付ければいいのかさえもよくわからない。
ヒトサマに読んで欲しいような、放っておいてほしいような、承認欲求があるんだかないんだか(いや、スキを貰えると飛び上がらんばかりに喜んでますが…)。

とまぁ、こんな感じで、思い込みだけの三十一文字と支離滅裂な文章を投稿するだけのやつだけど、これからのnoteの片隅で息をしていけたらと。

この一か月間、ここを訪れて下さった皆さんに感謝。



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