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満足が贅沢

今では享楽者とか快楽主義者という誤解された意味でのみ使われている”エピキュリアン”という言葉だが、その語源となったギリシャの哲学者エピキュロスは、生きていく上での快楽を追求した。
そしてたどり着いた頂点が、満足という名の贅沢だった。その贅沢に必要なものは、しかし多くはなかった。すなわち、小さな庭、そこに植わっている数本のイチジクの木。少しばかりのチーズ、三人か四人の友達。
これだけで、
彼は十分に贅沢に暮らすことができた。

#ニーチェの言葉
#026
#漂泊者とその影


何をもって贅沢ととらえるか、
何をもってお金持ちととらえるか、
何をもって不幸ととらえるか、
それは、主観であって、
全ては自分の心が決めることだと思う。

40歳を過ぎると、
お金を持っていることが=幸せではないことに少し気づいてくる。
成功してそうに見えて、全然幸せではない人もいる。
そんなに成功してなさそうなのに、幸せそうな人がいる。

何をもって幸せと思うか、
何をもって贅沢ととらえるかは
その人の主観である。

常に、どんな出来事にでも感謝をもって生きていきたい。
全ての出来事に意味はあるし、その出来事を前向きにとらえていきたい。

そうやって、自分の人生を自分で操縦して
自分が幸せと思える人生を送りたい。

そうやって、周りにも幸せのおすそ分けができている
そんな人生を送れたらいいな。

エピキュロスの贅沢と同じように
自分だけの質素だけれどもとっても贅沢なひと時をたくさん作っていこう。

おやすみなさい。


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