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9月24日 こういう時間を愛してます。

現在、生まれて初め小説なるものを書いている。
賞に出す。
現在原稿用紙七十枚程書いた所で、足がパンパンになっている。
僕の身体は重力に従順なようで、気を抜くとすぐに横になってしまうので、横になることを許されない場所、つまりは人目がある場所に向かわなくてはならないのだ。母親がマナーに厳しい人間で良かったと初めて感謝をした。
でなければ、喫茶店でも横になっていたであろう。
この喫茶店の椅子はon、つまり僕と接する意識はあるようだが、一般的な解釈で使われるようなonの意識に欠ける。乗せる気が無いのである。
そのせいであるかどうかは分からないが、ここ数日で足がむくんでむくんで仕方がない。血が止まっているのが分かる。
小説を書くというのは驚きの連続であった。自分の中の本音のようなまだ言葉になっていないグツグツと奥底で煮立っているようなものが、すぐそこまで湧き上がってくる。
どう隠そうとしても、隠す気も更々ないのだが、人間が丸々出てしまう。
物語の根底にあるものと書き手の生き方が直結しているように見えた。
落選したら製本するので、皆読んでくれよな!!!


余興はここまでとして、最近は腹の立つことが終始起こる。勃発勃発の嵐なのである。どうせならこのまま、一人で怒り狂いながら生活しようと思っていたのだが、そうもいかないような事も多々ある。
先日バイトが終わったと同時に突然のゲリラ豪雨に見舞われ、傘持たずの僕は、ただ屋根の下で突っ立っていたのだが、一向に雨が止まない。目の前が透明な線で真っ白なのである。
「ゲリラ」という言葉には終わりの意が含まれているか否か、そうゆうことを考えているとものすごく不安になってくる。バキバキと地面を叩く雨の音を聞くと、大人達は突然識者のような顔になり口を揃え「ゲリラだな。」なんてことを言うのである。大人の言うことはひたすらに鵜呑みにしなさい、さもないとあなたはガキよ、という教育を母親から受けてきた僕は、まだ下の毛も生えていない無垢な少年のような瞳をして「ゲリラなんですね!」なんて言っていたのだが、甲高く鳴り響く雨の音を聞くと少し冷静になり、カタカナを多用する大人に程向けてはいけないもの、つまり「疑問」が浮かんでしまったのである。

「ゲリラだからなんなのだ。」

である。突然降り出した豪雨を見て、ゲリラだから何なのだろうか。
「ああ、ゲリラだな。」という台詞には「心配ない。」というニュアンスが含まれていると私はこれまで思っていた。
大人達は突然降り出した強い雨を見て「ゲリラ」という言葉をこれみよがしに使うのである。
大人達の中での「ゲリラ」or「notゲリラ」の判断軸が、「突然」か「天気予報通りだわ。」でしかなかったとしたら。
つまり今私の目の前で降りしきっているこの豪雨が大人達の言うところの「ゲリラ豪雨」だとしても、すぐに止むとは限らないのではないかということに、私は気がついてしまったのである。
急いで病院の中に戻り、売店の鍵を開け事務所に向かうも傘はそこにあらず。警備のおっちゃんの所に行き、傘はないか?と問うと、首を横に振る。
おっちゃんは警備室の奥の方へと消えていき、バッグの中から小さな折りたたみ傘を取り出し、僕に差し出した。
いや、大丈夫です!と言うも、おっちゃんは頑なに僕に傘を向ける。
あなたの分はあるのですか?と問うと、ゲリラ豪雨だから僕が帰る頃には止んでいるだろうと言うのだ。

傘を断り、次は清掃のおばちゃん達の休憩室に向かう。
ガラッとドアを開けると、業務を終えたおばちゃん達二人が、テーブルの上にパーティー開けされたポテチを頬張りながら、雑談しているのである。
傘ない?と聞くと、あら、降ってるの?と言う。
あるわ。と傘を差し出してくれた。誰の?と聞くと誰のものでもないというので、お借りすることにした。明後日返しますと言うと、物凄い剣幕で返すな!!と言う。そして、そのままの怖い顔で今ここで傘を開けという指示が飛んできた。嫌ですと言うと、穴が空いているかもしれないから開けと言う。穴が空いててもいいんです!ダメだ!の攻防が続き、開いた所穴は空いていなかった。それを見たおばちゃん達は仏のような顔になり、ポテチの残りと小さな羊羹を二つくれた。

今日受付のお姉さんが、娘さんと一緒に作ったというケーキを僕にくれた。
「毒味はしたから!」という彼女の言葉を、否定するのには時間がなくて、ただ「ありがとう!」という事しか出来なかった。
本当に心からありがたいと思う。涙が出そうになるくらいに。
お家に帰ったら食べる。

こういった全ての時間を俺は愛してます。


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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。