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大事な人からのアドバイスだからこそ、邪魔になる時もある。



自分が信じて頑張っていることを身近にいる人が信じてくれなかったら、やっぱり辛い。人と違う人生を生きようとすると、「それは違うと思うよ」「あなたのためを思って言ってる」なんて言われることが爆増する。


その意見の中にはもちろん愛のこもったものもあれば、心の底からあなたのためを思って良かれと投げられた言葉もある。


ただ、そんな時のアドバイスは決まって「ありがた迷惑」なものだ。悪気がないだけ厄介。あなたは私が行こうとしている道を本当に知っているのですかと。あなたの言うことを信じて私が後悔をしたら、あなたは責任をとってくれますかと。


長いものや大きいものに巻かれるのではなく、自分の手で自分の人生を歩いていくなら、遅かれ早かれこのような『善意(のツラを被った)アドバイス』にどう対処するかで悩む日が来るだろう。


多くの人は、家族や大事な人に「そんなことをしていて大丈夫なのか」と言われると不安になって手が止まってしまう。せっかくいい方向に進み始めたのに、進むことよりも周りの人を説得することにエネルギーを使ってしまって、本当に大事なことに取り組む時間もエネルギーもなくなってしまう。


愛する人だから理解してほしい。親しい人だから応援してほしい。そう思う気持ちもわかる。だけどあなたも理解しないといけない。「愛する人だから理解できないことはしてほしくない」「親しい人だから応援できる範囲の場所で生きてほしい」と思われる事もあるのだ。


本来、あなたの人生はあなただけのものだ。ただ、あなたの周りには必ずあなたのことを大事に思っている人がいるし、今のあなたでいてくれることが都合のいい人たちがいる。


後者を跳ね除けるのは少し理性的になれば簡単かもしれないが、前者はそうはいかない。「あなたのやっていることはおかしいよ!」とパートナーに面と向かって言われたとして、正気を保てるほどのメンタルを持っている人は少ないだろう。


だからこそ、辛いのだ。無視できない距離感にいる人。大事な人。自分にとって影響力の強い人。そんな人たちに強く否定されたら。大事だから無視できない。愛しているから理解してほしい。


そんな『心ここに在らず』の状態で夢と現実の間を夢のほうに向かって漕ぎ続けるのは、至難の業だよ。


だからどうしろって話ではないのだけれど。その苦しい状況を今すぐどうにかする力は、ひょっとしたら今のあなたにはないのかもしれない。ないからこそどうにか理解して欲しくて、背中を押して欲しくなっているのかもしれない。


大事な人に応援してもらいたくなるのは、あなた自身があなたのことを信じきれてないからなのかもしれない。自分が信じてあげられないぶんを大事な人にも一緒に持ってほしい。「私ならうまくいく!」って胸を張って言えないから、「あなたならうまくいくよ」って言われたくなっているのかも。


でもね、あなたですら不安なことを、他人が大手を振って応援することは難しいよ。だってあなたのことが大切なんだもん。不安そうなあなたを見て、「あなたは不安そうだね、大丈夫?」って言いたくなってるのかもしれない。


もしあなたが自信に満ち溢れていて、「あんたが何を言おうと。あたしはやるよ。止めても無駄だね。あたしの人生なんだもん、好きにさせてもらうわな!!」と開き直っていたとする。それでもあなたの大事なパートナーはあなたのことを止めるだろうか。「うん、好きにすればいいんじゃない」って言ってくれるのではないだろうか。


「好きにする」時には人の意見を聞いたらダメなのだ。あなたが不安そうだから、意見が欲しそうだから、アドバイスして欲しそうな目でそっちを見ているから、「それじゃダメなんじゃない?あのね…」と言いたくなってしまう。そんな可能性はないだろうか。


いや、ある。断言する。少なくとも僕が今まで聞いてきた相談の中では、身内や親しい友達とのいざこざの原因は99%これだった。不安そうなあなたを見て、周りが不安になる。不安だからアドバイスが飛んでくる。アドバイスすれば聞くと思われてるから。『あいつには何言っても無駄』状態が作れたら、少なくても否定されることはなくなるはずだ。何を言っても無駄だからね。


もしあなたが今、誰にも理解されなくなって、たった1人になったとしても、あなたが孤立するのはせいぜい半年くらいのものだ。一度結果が出てしまえば「よくわからない」と指を刺していた人は「よくわからないけどすごい」と手のひらを叩き始める。人間の評価なんてそんなもんだ。


僕の両親はいまだに僕が7年間も何の仕事をしているか、聞いてくることすらない。親父は「お前の仕事内容なんてどうでもいい。親の俺に泣きつくことなく自力で子育てをしている。すごいことだ」と言う。


父は僕の稼いだお金や仕事内容ではなく、自立していることに対して信頼してくれている。それだけで十分だと心の底から思うし、もし親父が僕を理解してくれなくても僕は何も言わないだろう。言う必要もなければ、理解してもらう必要もないからだ。


妻もそうだ。起業する時に金まで借りたが、何をしているかは言わなかった。理解できると思わなかったし、「借りた金を返済できなければ今後の人生は真面目に働いて家庭に入る」と約束した。僕は約束を守って金を返した。


妻は僕を信頼してくれた。彼女もきっと僕が何をどうしてお金を稼いでいるのか詳しくは知らない。ただ「なおとは夫としての役割を果たす」と信頼してくれている。プロセスに口を出してくることはない。説得や議論は全くしない。相手を理解させるには結果を出すしかないからだ。


人を頷かせるには結果しかない。僕はスポーツ選手だからそのことをよく理解していた。だから人を説得させることにエネルギーを使った試しがない。他人に理解されないことなど当たり前だ。結果が出ない時に味方が減るのも当たり前だ。人は結果を見てものをいうし、「あなたのため」と言いながら自分の都合で口を挟む。


だからあなたが誰かに理解されなくても気を病む必要は全くないのだ。結果を出せば人の評価はいやでも変わる。結果を出し続ければ信頼になる。始めたばかりの人、生き方を変え始めたばかりの人に信頼がないのは当たり前だ。あなたに文句を言ってくる人が多いということは、あなたはそれだけ大事にされているということなのだ。


だからその気持ちだけありがたーくうけとって、あなたはあなたの思うようにやればいいのだ。「社会人として」なんて言葉は無意味だ。鬼の世界では。あなたがやりたいことをやり、あなたがやりたくないことをやらず、誰に理解されようとされなかろうと、あなたが信じているものを信じ抜け。


あなたが理想としている世界への道は、きっと平坦なものではないだろう。「本当にこれ目的地に近づいてんの?!」と思うような周り道もあるかもしれない。最短距離を大きく外れるような迂回路が目の前に続いている時、それを遠くから眺めている人はヤジを飛ばすかもしれない。


でもな、それでいいんだ。実際にはその回り道が最短ルートなんだから。そのことがわからないってことは、その道を歩いていない人だ。その人の意見は無視していい。『誰の意見を聞くか』は大事だけど、『誰の意見を聞かないか』はもっと大事だ。


お気持ちだけありがたく受け取って、聞いたふりをして、脳内会議で「あの人あんなこと言ってたネェ、やったことないから言えるんだねネェ〜!」なんて言っていればいい。


あなたはあなたの道をいくしかないのだ。そのプロセスでたとえ仲間がいなくなろうと、仲間だと思っていた人にヤジを飛ばされようと。最後まで辿り着けば黄色い歓声に変わるんだから。今報われてないことを嘆く必要はない。今理解してもらえないことを悲しむ必要はない。


今に見てろ。オセロの基本の勝ち方を教えてやれよ。序盤は相手に多く取らせるのさ。負けてはじまるここからが本当の勝負。最後は大胆に返してやろうぜ。な。






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