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新社会人がお金を持つことは幸せなのかについて考える
どうも、おさです。
今日も毎日投稿頑張っていこうと思います、よろしくお願いします!
さて、今日の内容ですが、果たしてお金を持つことで私たちは幸せになることが出来るのかについて書いていきたいと思います。
私自身の答えとしては、お金をどれだけ持ったところで人間そう簡単に幸せになることは難しいと思っています。
というのも、あくまでもお金というものは私たちの選択肢を増やしてくれる存在であり、決してお金=幸せ、とはなっていません。
確かにお金があれば、自分の思い描いた人生により近づけることは出来ますし、その分余裕も出てきます。
切羽詰まった人生とは真逆の、ゆとりのある落ち着いた人生を歩んでいけることでしょう。
現に、私は学生のことより圧倒的にお金を稼いでいますし、貯金額もあのころに比べて3倍に跳ね上がりました。
それでも、今とあの時どちらが幸せだったのかと言われれば、私は「あの時の方が幸せだった」と即答することでしょう。
それほどまでにお金というものは、私たちの生活になくてはならないものとされていますが、それよりも大切なことというのは五萬とあります。
お金では買えないものは無い、というのは嘘です。
買えないものなんていくらでもあります、ですがあまりに無さすぎる状態も幸せでは無いことでしょう。
お金が無い=選択肢が減るわけですから自ずと選べる範囲が少なくなりますし、その分余裕がなくなります。
ここで大切になってくるのは、そのお金を何に使うかだと思っています。
私個人としては、自分のために使うことがまず基本になってきます。
目先のことでは食費や家賃などの固定費、自己投資や娯楽費といった変動費がこれにあたります。
将来的なことでいえば、奨学金などの借金用に貯金、もし結婚した際の費用、養育費などの莫大な費用が掛かるもののために資産運用をしているといっても過言ではありません。
個人的に目先のことと将来的に使うお金の割合は、3:7くらいが妥当だと考えています。
決して今無理しているわけではなく(最近は無理しているかもしれないと思う項目がありますが…)、目先のことにお金を使うことが圧倒的に少なくなったことは上げられるかもしれません。
というのも、今年23になる私ですが、長期的に見て今資産運用をしておけば将来的にも数年先の未来としても安泰だと確信をしています。
それこそ目先のことにお金を使いたいのであれば、資産運用の利益で賄うことが出来れば正直生活は何倍も楽になる訳です。
そういったことに気を配らず、目先のお金に全集中していると思わぬ出費があった時に必ず痛い目にあいます。
これは割と本当で私であれば、急に手術しないといけないとなったり、車の免許を8割ほど自分持ちで受験したりと何かとお金には苦しめられました。
家系的にも決して裕福な家系ではなく、お金に苦しめられた期間がかなり長いです。
多分それが一種のトラウマになっているのかもしれませんが、今ではこんな状態だったからこそ今の私があると思っているので悪いことだけではなかったなと思います。
そう割り切って今は生きています、まぁ、もう貧乏はこりごりですが(笑)
とまぁ、自分の経験からもお金が無いのも考え物ですが、お金を手にしたからと言って必ず人が幸せになるという保証はどこにも無いのです。
それよりもこれから自分は何にどうお金を使いたいのか、どう生きていきたいのか、何をしたいのかなど自分のこれからについて考えを巡らせているかが問われてくるように思いますね。
お金は選択肢を増やしてくれるアイテム、そもそもの選択肢の無い人からすれば只の数字の羅列、ただの紙切れと金属の山に他なりません。
なので、お金よりも前に自分の心に正直に語りかけるべきです。
家庭を持ちたい、友人と年1で旅行がしたい、海外に行ってみたい、親孝行したい、自分の趣味に没頭したい、困っている人を助けたい、海外でせいかつをしてみたいetc…
人の夢や理想は十人十色です、私自身も自分の理想に近づくべく今必死に這いつくばっています。
あくまでも私の意見なので、今を楽しんでいる人からすれば不快極まりない内容だったかもしれません。
お金があればある程度のことは出来るので、それを幸せと呼べないのか?と言われるととても困惑しますし、決してその考え自体も間違いではないんですよね。
確かに齢22の若者がお金に関して色々と頭を悩ませているよりも、友人や家族、恋人と何気ない日常を歩んで悩みなく生きている方が幾分健全で健康的であると言えるでしょう。
その目線で見ると私はかなり不健全で不健康だと言えるでしょう。
年相応のものの考え方ではないと自分でも自覚している部分は確かにあります、ドライというか枯れているというか冷めているというかなんとも表現し辛いですね…。
家族とは離れ、友人もこちらではおらず、恋人もいた試しの無い人間ですがそれでも人並みには幸せになるものならばなりたいと願います。
度合いは人それぞれなので何とも言えませんが、最後に悔いなく死ねる、笑顔で死ぬことが出来るように生きていくのが私の理想です。
まだまだ未練がましく死ぬ未来しか見えませんが、この想いが「夢」ではなく「理想」として実現できるようにして行きたいものですね。
長くなりましたが、今回はこれくらいで、それではまた!
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