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お願いだから目を背けないで。

上手く纏まっていなかったらごめんなさい。
変な日本語になっていたらごめんなさい。

2020年7月18日。
実の母親に鋏を振り回され殺されかけ、私はその時の恨みが極度に強い。
スクールカウンセラーにも呼び出されたが、それは祖母が亡くなった時なので2020年より前の話。虐待の事は気付かれなかった。

学校側では「家で殴られていたりしてますか」などの質問はされやしない。

私が「もう限界、助けて欲しい。」と高校三年生の時に訴えて初めて学校側が動くという悲惨な状態だった。

私みたいに自分から助けを求められるのは周りの虐待児から聞けば少数派。
多くの虐待児は親から否定をされ続け自己肯定感が低く内向的。更には「警察や学校に言うと大事になるから…」と怯える子もいる。


そんなことも悟れず、受け身の姿勢である大人達がどのような活動を虐待児にしているのか気になった。


それもあってか、昨日虐待に関する施設を廻った。私は最近心に余裕が出てきたのでこれができたのである。


しかし

1件目、政府関連
受付「土日祝休みなのでこちら(警察本部の電話番号)に電話してください」

2件目、子どもセンター
インターホンを押しても応答無し
「不在です」の張り紙や看板もなければ、人なんて誰もいない。

3件目、認定NPO法人
マンションのセキュリティ上、用意に入れないのはまだ良いとして。
インターホンも番号が分からなく押せない。
電話もかけても出ない。
留守電のアナウンスもなく放置状態。

私は正直絶望した。

今回は私だったから良い。
私は殺されかけはしたが、高校三年生の時に学校や公共機関の職員の力を借りて毒親を抑圧した。

但し、その為には私が「毒親に圧をかけたら本当に殺されかねない」という理由で色々と対談をし、更にSOSを出した時期が子どもの権利条約が適していない年齢(18才)だったので、全て終わらせる為に慎重に進めていた為に1ヶ月かかり、その間私は副校長・スクールカウンセラー・保健室の先生・担任・児童施設の職員という5人と面談を昼休みにする事になった。

私は人と話すのが他の虐待児よりも苦手ではない方なのでその面談は楽だったが、人が怖いかもしれない虐待児にとってはその重圧に耐えられるか不明ぐらいのものだったと言える。

しかし他の子はそんなに強くはない。後から色々な人から聞いたが私はかなり度胸のある虐待児だったらしい。

「警察に電話をするのはハードルが高い」と思っている子もいる。何故なら「警察=逮捕=大事」と考える子どももいるからだ。

もしも「助けて、お願い…!!!」と必死に走ってきて涙ぐみながら勇気を出して、親からの追っ手が無いか怯えながら家出先を探し廻ってた子供たちが今日の私のような仕打ちをされたら?

私も1度あったが、虐待してきた人達から目を盗みやっとのことで学校から配られた小さい紙切れに書いてある電話番号に電話出来て、それが繋がらなかったら?
(過去に本当に繋がらなかったことがあり『電話番号を間違えてないか』という思いで、何度も何度もかけ直した記憶が私には残っている)

私もそうだったが、もしも公共機関が虐待児にとっての「切り札」だと考えていたら?

その他にも
「人弟妹連れて児相に行っても追い返されたし、コールセンターは機械だし、そこで諦めて大人を頼るのをやめた。」
「前に電話で相談しようかな…と考えたことがあったけれど、かけたよと言ってた友達に聞いたらろくな答えくれなかったと言われてかけるのをやめた」
「スクールカウンセラーに相談したけれど大した答え帰ってこなかった」

虐待児にとって、公共機関は切り札ではあるがいざ頼った時の絶望感が酷いというエピソードは結構転がっている。

私としては、せめて土日祝でも電話が繋がらなくても留守電機能は付けてほしかった。交代制で人を配置してほしかった。土日祝働きたくないのなら働いたら「温泉券」などの報酬を与えるような形にしてほしかった。

大人になるにつれて、大人でも完璧じゃないと思うからこそせめて「SOS」を残せる工夫。

埋もれたサケビを聞き受ける工夫はしてほしいと昨日、痛感した。

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