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【企画書】「六山の送り火」

行事題目:「六山の送り火」
日時:2024年8月16日 20時ごろから
場所:京都市内各地

京都の伝統的文化
古くから日本の中心であった京都という町には、さまざまな伝統的な文化が残っている。まずは毎年多くの人を集める祇園祭や葵祭、御霊祭りをはじめとした各神社の祭り。気が遠くなるほど長い間に渡って続いているこれらの祭りの長所と短所をとりあえずまとめてみた。

○長所
・古くからの伝統を絶やすことなく次世代に語り継ぐことができる。
・京都府内だけでなく、全国、世界中からの観光客を集めるイベントであるため、観光都市である京都にとっては欠かすことのできない収入源となる。

○短所
・京都市内の主要な大通りを通行止めにすることで、インフラが麻痺し、生活者が大迷惑を被ってしまう。
・ゴミのポイ捨てや騒音問題など、街の治安が低下する恐れがある。

こういったところであろうか。もちろん他にもたくさんあるだろうけれど、止め処なく上げ始めると際限がないし、本企画書では諸々の祭りについて述べたいわけではないので割愛させていただくことにする。

他にも、夏になると先斗町に並ぶ高級飲食店では納涼床が行われたり、1年の最後には清水寺で「今年の一文字」が発表されたり、冬には京都マラソンがあったりと、京都らしい伝統文化は非常にたくさんある。そして、その中のひとつ、「五山の送り火」を忘れてはならない。


そもそも「五山の送り火」とは、毎年8月16日の20時より約1時間、京都市内を囲む山の中腹に巨大な「大」(大文字山・左大文字山の2つ)、「妙」「法」の文字、「船」「鳥居」の形が相前後して点火される。


これらは総称して「五山の送り火」と呼ばれているのである。京都では8月に入ると個々の家で精霊(先祖)迎えの行事が行われる。16日に行われる「五山の送り火」は、この精霊を再び冥土に送り帰すという意味をもっているのである。
(参考:京都市ホームページ)


この「五山の送り火」の起源を辿れば、戦国時代にまで遡ると言われている。これは紛れもなく、京都の伝統的文化と言っても過言ではないだろう。


五山の送り火の新しい可能性
さて、この「五山の送り火」についてだが、私は最近もうひとつ増やせるのではないかと思い立った。それは先の6月14日の夜、自宅の屋上でたばこを吸っていたときのことである。6月23日に控えた競馬「宝塚記念」の宣伝として、岡崎公園上空でドローンショーがおこなれているのを見かけたのである。それらは自由自在に動きながら「宝塚記念 2024.6.23」や「今年は京都競馬場」という文字の羅列を浮かび上がらせたり、あるいは馬の顔になったり、はたまたQRコードになったりする。このドローンの技術を用いて自由自在になにかしらの文字をつくることができないだろうか。8月16日の夜は「五山の送り火」だけでなく、6つ目の文字を作り、「六山の送り火」にすることが可能なのではないかと思ったのである。


6つ目の文字
ここで問題になるのは、6つ目の文字になにを選ぶのか、ということである。例えば「もうひとつ増やしたいのはわかったけど、じゃあなにを増やすの?」と旧市長の門川大作氏に問われた際に、答えに窮しては元も子もない。それに備えて、この場を借りて6つ目の文字に相応しい一字を考えることにする。

6つ目の文字を考える際に必要になるのは、今現在存在している文字や記号がどのような起源を持って生まれ、どんな意味を持って灯されているか、ということである。図書館に行って文献に当たるのは少しだけ面倒がくさいため、インターネットで調べることにしたぼくは、京都新聞の記事を見つけ出した。その記事のによると、それぞれの文字や記号の起源は以下の通りである。

・「大」:弘法大師が大の字型に護摩壇を組んでいたことに由来する。
・「妙」「法」:鎌倉時代末期に日蓮聖人の孫弟子である日像上人が、村人に法華経を説き、一村をあげて日蓮宗に入った。そのとき日像上人が西山に「妙」の字を書いた。「法」の字は、それより遅れ江戸時代に日良上人(ひらしょうにん)が書いた。
・「舟形」:847年、西方寺開祖の慈覚大師円仁が唐留学の帰路に暴風雨にあったが「南無阿弥陀仏」を唱え、無事帰国できたことから。
・「左大文字」:1662年刊行の「案内者」に記述はないことから、「大文字」「妙」「法」「船形」より遅れて登場したと考えられる。大の字に一画加えて「天」とした時代もあった。
・「鳥居」:弘法大師が石仏千体を刻み、その開眼供養を行ったときに点火された。
(参考:京都新聞のweb記事)

とまあ、よくわからないし、適当である。例えば、ライト兄弟が少しばかり早く生まれ、847年の時点で飛行機が発明されていたとしたら、ボーイング757の像が北西の山に灯されていたかもしれない。また、もし仮に日像上人がキリシタンだったら、「法」ではなく「十字架」の形がメラメラと燃えていたかもしれない。あるいは、大に一画加えて「天」にしていた時代があったのなら、徳川綱吉の時代は「大」が「犬」になっていたかもしれない。

もし仮に6つ目の文字に「屁」を選んだ暁には、京都府民や観光客は「屁」の文字をありがたそうに拝んでいたかもしれないのだ。そして京都市のどこかでは「六山の送り火実行委員会」の長が「早くしろぅ! 他の山の点火時間に間に合わんぞ!」と怒鳴り、実行委員たちが「へー、へー」と返事をしながらドローンをせっせと用意しているかもしれない。なんちゃって。

以上のように、6つ目の文字を何に決めるかという問題については、旧京都市長の門川大作氏、「五山の送り火実行委員会委員長」の岡田さんや、地元住民代表の小池さん、ドローンの用意にご協力いただく株式会社LANDSCAPEの東山さんらに貴重なご意見をいただきながら、慎重に協議を進めて行きたいと思う。


※この記事はフィクションです。

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