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じっくり時間を使うことを、悪いことだと思わないようにしたい。

私は学生時代から「生き急いでるね」とよく言われます。

昔から、やりたいことにはとりあえず手を出してみたいタイプの私。

どれをどの順番でどのルートを通れば、最短でかつ、一番多く自分のやりたいことに手を出すことができるか?

そればかり考えていました。

同じ物事を繰り返すのも苦手。
同じものに触れ続けたりじっくり時間を使うことは、時間を無駄にしているような感じがして、どこか背徳感が抱いていたのです。

読書、映画鑑賞、旅行先の観光でも。
できるだけ最短でモノが見たい、知りたい。
同じものをもう一度見るなら、新しいものを一つ見たい。
そうしたら必ず新しい発見がある。
そう思って、ずっと手を前へ伸ばし続けていました。

しかし最近思うのです。

同じ絵画を見た時、
5秒で見たのと5分かけて見たのでは、
抱く感想は違うのではないか?

同じ映画を家で観ていたとしても、
ずっと映画だけを観続けているか、何か別のことをしながら観ているかでは、作品の理解に差が出ます。

本当にその作品を理解したいなら「ながら観」ではなく、映画だけに集中したほうが良いのは明らか。

それなら一つの物事に、
もっとじっくり時間を使ったら、
もっと違うことに気づいたり
得られるものも増えたりするんじゃないかな?

そんな風に思うようになりました。

そして私は、
今年から「繰り返し」を恐れない、「繰り返し」を無駄だと思わないようにしようと、心に決めました。

これは先日私の中で決めた「2021年にやりたい・心がけたい10のこと」にも関係しています。

そこで私は、

「そつなく」やらない

というのを書きました。

最近、世の中の大抵の物事は、それぞれを熟知しなくても「そつなく」やることが出来ると思っています。

今はツールがたくさんあるので、やったことがなくてもレシピを見ればパンは焼けるし、映像編集だってそこそこできてしまいます。

そんなに意気込まなくても、さらっとできてしまうのです。

それは、必ず「6」が出るサイコロを使ってすごろくをする感覚に似ています。

どんどん前には進むけれど、間にあるイベントをほとんどスキップしてゴールしてしまう。
速くゴールできるし、そこそこの達成感も得られますが、それぞれのマス目にあるイベントで一喜一憂する楽しみは得られません。

私が行き急ぐことも、これと同じなのでは?と思ったのです。

私は、もう少し一つ一つの物事に丁寧に向き合いたい。
向き合うたびに変わる感覚や変わらない感覚も含めて、物事を楽しみたい。

そんな思いが、

「そつなく」やらない

この言葉に隠れています。

最大量生産・大量消費が加速しすぎて、おかしくなってると感じる今。
だからこそ私は、ものを作る人間として、丁寧にモノが作りたいし、作られたモノと丁寧に向き合っていきたいのです。

じっくり時間を使うことは悪いことじゃない。
一つ一つ丁寧に向き合おう。

2021年は、そんなことを心がけながら、暮らしていきたいと思います。

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