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自分を奪われすぎない、ということ。

先日、10年近く付き合いのある同業の先輩であり友人である人と久々に食事をしてきました。直接会うのは約1年ぶり。
ここ2年ほど私が仕事に奮闘していたことを知っているその友人から、こんなことを言われました。


「 あなたは自分を奪われすぎていると思う 」



「 自分を奪われる 」って、どういうこと?
仕事に自分の時間を奪われているという意味なのかな…。
ポカンとしていると、友人が丁寧に説明をしてくれました。


「 自分を奪われる 」とは、時間や気力・体力だけでなく自分が培ってきた経験やスキルを仕事相手や仲間などに渡しすぎる(貸しすぎる)ということ。渡した分の報酬が少なく、その見返りがあまりないことを奪われているのと同じ、ということでした。


自分が持っている経験やスキルは、自分が努力して手に入れた大切な財産。
それを貸したのだから報酬をちゃんと貰うように、と注意をされたのです。


「 見返り 」は金銭の報酬に限らず、新しい仕事をする時に声をかけてもらうという約束や、今後自分のやりたいことをサポートしてもらうなど、自分の望むことならなんでもOK。
自分が頑張る分の要求はしっかりして「 奪われた分は奪い返す 」ようにしたほうがいいよと教えてくれました。


私はこの言葉に結構驚いてしまって。


仕事だとお給料などの金銭的な報酬がもらえるので、ちょっと面倒なことを任されても「これも仕事だからな」と自分を納得させることって結構ありませんか?


部署やプロジェクトなどの中で、ほとんど変わらない報酬をもらっている人が複数人いますよね。でも経験値やスキルが高いからとか、なんなら頼りやすいなどという理由で仕事量に差が出ることって結構あると思うのです。

また、その人たちと同じ量に見えていても、実は神経を使わないといけない人の相手という手間がプラスされるとか、そういう量として測りにくいところに差が出ることもあるんですよね。


頼りやすいなどの人柄や嫌がらせなどの点は今回おいておくとして、
人による仕事量や手間の差は、依頼する人が各々にどれだけ期待しているかの差とも言えます。

この「 期待 」はどこにされているかというと、その人が持つスキルや経験値です。
依頼する人が依頼する先の人がどのようなスキルと経験を持っているかを把握して、それぞれの仕事の成功確率を見極めて、全体の成功率がより上がるようにそれぞれ持つスキルや経験に頼る形で依頼をしていくのが、一般的な仕事の振り分け方だと思うのです。


この「 期待 」や「 頼る 」の仕組みは仕事に限った話ではありません。


もし初めて降りた駅で誰かに道を聞きたい場合、誰に聞きますか?
例えば、リュックを背負いスマホでマップを開いている青年と、駅前に店を構える八百屋のおじいさんがいるとしたら、どちらに道を尋ねるでしょうか。

大抵の人は、八百屋のおじいさんに尋ねるドラマ思います。
なぜそうなるかというと、八百屋のおじいさんの方が道が知っていそうに見えるからです。駅前に八百屋を構えていて、しかも歳を重ねているということは長くこの地域に住んでいる可能性が高く、道にもくわしいのではないかと「 期待 」できるからです。

「無事に行きたい場所にたどり着きたい」というのは「仕事を円滑に進めたい」というのと同じ、尋ねる側や依頼する側の願望です。その願望を叶えたい以上、その願望が叶うように相手の経験値やスキルを見極めます。
つまり相手には自分の願望達成のために、経験値やスキルを使ってもらう前提で人は相手に何かを依頼するということになります。


そして依頼を一方的にし続けたり依存したりするということが、この友人にとっては自分の培った経験やスキルを期待という言葉で一方的に使い込まれるように見え、「自分が奪われる」という話になるようなのです。


私がまさにそうなのですが、
人って大抵の場合「期待している」と言われるとちょっと頑張りたくなってしまいませんか?(笑)

同じ報酬を得ている人よりも多少仕事が多くても、「頼られてるなら仕方がない」と奮起してバリバリこなす人って結構いると思うのです。

しかしその人が持っている経験やスキルを使って問題をクリアしてくれることを期待しているのなら、その人が持っている経験やスキルに感謝し、それを使ってくれたことへの感謝と見返りがあってもいいはずなんですよね。

私の中にその観点がすっぽりと抜けていたことに気づきました。
「 期待してもらえた 」というところに喜んでばかりで「 期待に応えた料 」みたいなものを貰えることはありませんでした。当たり前です、求めていないのですから。

はっとしていると、友人は更に言葉を続けます。


「奪われた分は取り返さないと
フェアじゃないよ」



いやもう、本当にそのとおりだと思います。(笑)
そして使われるだけじゃ終わらないぞという気概が本当に素晴らしい。

以前この記事にも出てきた友人なのですが、いつもパワフルで毎度いろいろな気づきを与えてくれる素晴らしい人です。


たとえ今奪われっぱなしに見えるくらい一方的に使われる立場だとしても、そんな中の私の努力や頑張りを見てくれている人はきっといると思うのです。それは私だけに限らず、日々頑張っているすべての人の周りにいると信じています。

しかしそういう人たちに期待して何かを待っているだけでなく、自分でも自分が報われるように動くことって大事ですよね。
そのための技も覚えていかなければ。



最近本当に思うのですが、
人生って覚えることが多すぎると思いませんか?(笑)



さて、最後までお読みいただきありがとうございました!

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