読書1000本ノック

今年は読書をしよう。そう決めた。
年始早々つらいニュースばかりで、
テレビを見ると私の心は疲弊した。

普段テレビ自体見ないのだが、正月で帰省していたので家族がテレビを点けていた。元旦に10分震災関連の報道を見ただけで心が限界になった。

何故か同日に旧Twitterのアプリも壊れた。スマホで開くと、あのダサいXのロゴが出たまま固まるのだ。

これは神が私に「メディアを見るな、己を見よ」と仰っているのではないか。そう思った。

(一応補足で私はクリスチャンではなく普通の鎌倉仏教徒であり、若干強めに神道も信じてるタイプの人間である)

旧Twitterのアプリを消し、居間のテレビをニュースからYouTubeのクラシックチャンネルに変えた。

親にはニュースをなるべく見たくないと伝えて了承してもらった。

クラシック好きな母は「こんなゆっくりクラシックを聴くのはいつぶりだろうねえ」と言っていた。

母は私達姉妹が幼い頃、目覚ましにチャイコフスキーのバイオリン協奏曲のビデオを流してくれていた。

その影響なのかクラシックを聴くと凄くリラックスする。バイオリン協奏曲は日曜の朝に実家の二階で目が覚めるシーンを思い出す。


そんなクラシックと読書の相性はすこぶる良かった。
あれ、読書ってこんなに楽しかったっけ。

久々に一日中集中して本を読んだ。結局正月休みは出掛ける予定以外の時間は本を読み続けた。
Kindle Unlimitedにも入った。

そこまで本の虫ではなかったが、
改めて読書って良いなと思った。

母が読書家だったことと、小学生の頃読売新聞を毎日読んでいたので文を読むことにはまあまあ慣れ親しんでいた。
それでも自分がこんなに夢中で本を読めると思っていなかった。

読書はその作者と文字を通して会話し、己と向き合う良いきっかけになる。

無職の時も読書チャレンジしようと試みたが、あの時は注意散漫でダメだった。

あの時の私はどうしようも無いニートだったので、自分と向き合いたくなかったのかもしれない。

地震で辛い事が沢山あったが、募金以外何もできない自分を辛く思ったりもどかしく思っても仕方がない。

必要以上に辛いニュースを吸収して、自分が病んでしまうのは自傷行為である。

私が今できることは、ニュースを見続けて心を疲弊させることではない。

この世に溢れる雑多な情報を一度シャットダウンして読書すること、それによって知見を深めて広げていくことだ。

読書を通じて自分の心を豊かにすることで考える余裕を生み出すことができる。それがいつか、少しでも家族や社会のためになると信じている。

辛いニュースや、自分自身のマイナス面にばかりフォーカスして視野を狭めるのは非常に勿体無い。

ちょうど4月に転職も決まったので、3月までに己を高めるべく100冊読もうと思った。

とりあえず、クラシックな文学だけでなく漫画も実学書も詩も自己啓発本も一冊ずつ読んだら別のnoteに記してカウントしていこうと思う。

https://note.com/nyankio0409/n/ndcdfe42a35ae

なかなか難しいかもしれないが、
一年間で1000冊は読みたいな。

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