見出し画像

就活の面談から思い出された元彼との過去の思い出

皆さん、こんにちは!

ウガンダ在住のamiです。


「君のドルチェ&ガッバーナのその香水のせいだよ~♪」

皆さんおなじみ、瑛人さんの「香水」です。

少し前、この歌を聴いたり、口ずさんだりした人は多いかもしれませんね。

最近、私はこの歌をどうしても聞きたくなるできごとがありました。

以前書いたんですが、私、4月からずっと、ウガンダから日本企業に就職したいと思って就職活動をしています。

でもいくら応募してもなかなかうまくいかず、心が折れながらも就職活動は継続中です。

そんな中、ある団体の生活困窮家庭のお子さんたちと面談をするメンターのお仕事募集があり、説明会に参加しました。10人ぐらいの募集だったにも関わらず恐らく何百人もの方々が説明会に参加されていて、あまりの人数の多さに驚き、こんな中で応募しても絶対に採用されないだろうなぁと半ば応募をあきらめかけましたが、

「やらずに砕けるなんてだめだ! 不採用でもいい、選ぶのは相手だ、私じゃない!」

そんなことを思いながら、とりあえず私の気持ちをぶつけて書類審査に応募しました。

すると、なんと次の面談に進んでくださいとの返信。ほぼほぼあきらめてた中での一次審査通過に安堵して面談の日を迎えました。

ウガンダに住んでいることの雑談から始まり、メンターのお仕事の質疑応答などがあり、いよいよ本格的な私の考え方などを試す質問に移っていきました。

面接官から出た質問は、

「もし子ども達と面談をしている時に子どもが「死にたい」と言ってきたら、あなたはどんな話をしますか?」

というもの。

なんとも重たい質問に私は、「相手の気持ちに立ち、まずは共感をします。」というような答えを長々と答えましたが、「絶対に死んではだめだとは言わないってことですね。」などと面接官の方に言われ、「そんなこと言ったら相手の気持ちを尊重してないことになり、もっとその子は傷ついてしまうんじゃないのかなぁ。」などと思いながら面接官の方とのやり取りをしました。

その後もいくつかの質問をされ、面談は終わり、約1週間後に不採用のメールをいただきました。

不採用になる覚悟は説明会の時に十分ついていたので、とても残念ではありますが、不採用になること自体は問題ありません。でも、この「死」についての質問については、私に過去の「死」にまつわる様々な思い出を呼び起こさせるきっかけになってしまいました。

私は小学校3年生の時に父親を交通事故で亡くし、高校、短大は奨学金を借りて通学をしていました。それをきっかけに、私は短大時代に同じ奨学金を借りている同い年の彼、あきちゃんと知り合い、付き合いました。

あきちゃんはいかにもクラスの人気者というような性格で、その上とてもイケメン!。 お世辞でもかわいいとは言えないようなこけし顔の私とは縁のない人だと思って接していました。
そんな中、たまたま同じ奨学金を借りている名古屋仲間数人と東京に行って100kmを歩くというイベントに参加し、そこにあきちゃんと私は加わっていました。
特に歩く練習も運動もしていない私が100kmを歩くことはそんなに簡単ではありませんでしたが、仲間と一緒に歩く100kmは楽しく、とにかく絶対ゴールするぞと気合が入っていました。

たまたま同学年での参加はあきちゃんと私だけだったので、100kmの道のりは終始あきちゃんと二人で歩き、お互いいろんな話をしながらゴールを目指しました。

そして、間もなくゴール!という時、あきちゃんが私に細長い箱を渡してきました。

中身は当時流行っていたティファニーのオープンハートのペンダントネックレス

でも、私はかなりそれを渡された意味を考えました。

これは何か、私へのプレゼントという意味か、それにしては彼女でもない私にこれを渡すのは高価なんじゃないか、意味は何だ!!! と考えに考え頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされました。

「お前、この意味わかるだろう、誕生日おめでとう!」

あきちゃんからこの言葉を聞き、めちゃくちゃ嬉しいのと同時に、確かに誕生日だけどあきちゃんからティファニーをもらうような関係じゃないじゃんってまだ呆然とする私にあきちゃんは、

「俺と付き合ってくれよ。」


「えっっっっ!!!」

と、私は驚きすぎてどんな顔をしていいのかわからないというような間が開いた後に、

「うん、ありがとう。」

と恥ずかしげに答えました。

私の頭の中はクエスチョンマークからハートマークへと変わり、私があきちゃんと付き合うことになるとは!と、もう夢のような出来事で、嬉しい以上のビックリがありました。

あきちゃんはティファニーを目の前にして何も驚かない私を見て、

「コイツ、ティファニー知らないのかよ。」

と思ったそうです(笑) あきちゃん、ごめんなさい・・・。

無事にイケメンで人気者のあきちゃんと付き合うことになったこけし顔の私は、毎週デートを重ね、大学の授業をさぼって遊園地に行ったり、クリスマスを一緒に過ごしたり、何気ない日常を一緒に過ごすことにとても幸せを感じていました。

ずっとずっと一緒に過ごすことで、お互いの慣れあいもあり、少しずつ言い争いをすることも珍しくなくなってきました。そして、それほどひどくはあまりせんでしたが、あきちゃんは私と言い争いをすると私に手を出すようになりました。まあ、暴力というほどでもないからと我慢をしていましたが、二人であきちゃんの岡山の実家に行った時のことでした。あきちゃんのお母さんとお姉さんと四人で話をしていたところ、あきちゃんのお姉さんが昔、あきちゃんとの喧嘩でお姉さんがあばら骨を骨折したことがあると聞きました。それを聞いて、あきちゃんと結婚するようなことがあったとしても、あきちゃんは私に暴力をふるうようになるのでは、殺されるかもしれないなどと考えるようになりました。

でも、あきちゃんのことはまだまだ大好きです。本当に本当に大好きで別れたいとは思わないけど、あきちゃんが暴力をふるうようになったらどうしようとの思いもありました。

結局二人で話し合いの末、約2年の交際の後、あきちゃんと別れました。

しかし、嫌いでお互い別れたわけでもないため、二週間に一度のペースぐらいでは会ったりしていました。

そのうち、お互い別の人と付き合うようになり、お互い会うのをやめましたが、その約1年後、同じ奨学金仲間の後輩から連絡をもらい、

「○○先輩(あきちゃん)の実家にたまたま連絡したら、先輩が亡くなったって言ってた。気が動転してなぜ亡くなったかよく分からなかった。ami先輩、〇〇先輩の実家に電話して聞いてくれませんか。」

と、大泣きしながら電話で話をしていました。

私もあきちゃんが亡くなったと聞いて、本当に信じられず、号泣し、とにかくなぜ亡くなったか聞かないとと、あきちゃんのお母さんに電話をすることにしました。

亡くなった原因は自殺でした。

実は、私、あきちゃんが亡くなる一カ月ぐらい前にあきちゃんから一緒にご飯を食べようと誘われて会ってたんですよね。あきちゃんから会おうと言われた理由は、私が就職した時の最初のお給料でご飯をご馳走してもらったから、僕も就職したのでそのお返しをしたいと。

そんな律儀なことをするのはおかしいなと思いながらも、再会すると、前に会ってた当時とあまり変わらず、楽しいおしゃべりと、そして相変わらずの言い争いもしながら過ごしました。でも、お互い別の人と付き合っていることもあり、当時ほどの盛り上がりもなく、それでも私の家まで車で送ってもらい、その日は別れました。

あきちゃんはその時にはもう自ら命を絶つことを決めていたのかもしれませんね。

あるいは、私と会うことで何か気持ちの変化を求めていたのか。

もしも後者であった場合は、私は彼の人生を変えることができなかった殺人者なのかもしれない、そんな思いもよぎりましたが、まぁ、あきちゃんはそんな大それた役目を私に押し付けたりはしていないでしょうが。

あきちゃんは私の学生時代の青春の思い出すべてだったように思います。

あきちゃんは自らの遺書は残していなかったようですが、ただ、村上春樹さんの「ノルウェイの森」という本のあるページが開かれて机の上に置いてあったそうです。

はっきりと書かれていた文章そのものは覚えていませんが、

「人生は生きている間だけではなく、死んでからも存在する。」

というようなニュアンスが書いてあるページだったそうです。

私と付き合っていた時にあきちゃんが、

「僕は生まれてまだ数カ月しか経っていない時にお父さんが亡くなっている。だから、僕が結婚して子どもを育てたとしても家でお父さんとしてどんな風にふるまったらいいのか、家の中のお父さんというものを知らないからわからない。」

と言って悩んでいたのをよく覚えています。

就職先での悩みがあったのか、それとも精神的に何か辛いことがあったのか、あきちゃんが死を選んだ理由は分かりませんが、あきちゃんのいろいろな感情が死を選択させたのかと思うと、本当に涙が止まらない日々がつづきました。

それでも、少しずつ時間とともに私の心の整理がついていき、精神的にも落ち着きのある日常の生活を送っていたある日、もうあきちゃんが亡くなって2年ほど経過していたと思いますが、私が朝の通勤電車に乗っていた時、どこからか、あきちゃんがつけていた香水の匂いがしてきました。私はあきちゃんがいるような気持ちがして、辺りを見回しました。しかし、その匂いがどこからするのかもわからず、やがて消えてしまいました。実はこの現象は約3日間朝の通勤電車の中で続き、そしてその匂いはしなくなっていきました。

たまたま同じ人が同じ香水をつけて同じ時間の同じ電車に乗っていただけかもしれません。でも私はあきちゃんが会いに来てくれたようで、嬉しくて涙がこぼれそうになりました。

そんな私とあきちゃんとの青春時代を過ごした思い出を再び思い出させてくれた瑛人さんの「香水」という曲。

たまたま、面談の場で「死」について聞かれ、それをきっかけにあきちゃんとの思い出がよみがえり、そしてまた今日も瑛人さんの「香水」とともに、あきちゃんとの思い出にふけって涙しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?