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『LAMB/ラム』めっちゃハッピーエンドじゃん アダも嫁いでんじゃん【考察※ネタバレ注意※】

※途中、流血しているシーンの画像を引用しています。ご了承ください。※

ラムマン、アダを嫁に貰うために来た説

①参照:ヴァルディマル・ヨハンソン監督『LAMB/ラム』:
夫を撃つ、ラムマン

 そもそもラストに出てきたラムマンはアダの父親だとみんな疑いなく思っているけども、そんな証拠はない。
 また、ラムマンが一匹だけであるという証拠もない
 序盤に出てきたラムマンが擬態しているであろう姿の羊(首元に穴が開いており、おそらく呼吸をするたびにその穴が見え隠れしている)も、後ろに何匹も羊がいるがその全部が擬態しているラムマンかもしれない。

①:擬態しているであろうラムマン

上の画像はラムマンの群れかもしれないのだ!
実際、アダがいることから繁殖可能であることも示されているしね!

(しかも、上の画像でセンターをはっている羊の角の形がラストのラムマンと一致していない。デザインの問題かもしれんけど)。

 以上のことから、ラムマンは複数いる可能性を考慮しなければならない
 そこで私は別解として

「ラストのラムマン、アダを嫁に貰いに来た説」

 を提唱する。

 アダが若すぎるんじゃないかという反論が浮かぶが、

■羊の繁殖について
山岳地方の生き物だったため、餌が豊富な春に子育てができるように、春に子供が生まれるような季節繁殖をおこなう家畜です。妊娠期間は5ヶ月。交配可能期間はオスが生後半年ぐらいから、メスは生後8ヶ月ぐらいからで、8〜9歳まで交配が可能です。(太字は本記事筆者による)

羊とは??羊の家畜としての基本。来歴、繁殖、サイズについて。, LAMBASSADOR of Aussie Lamb. 2020-5-26.
http://aussielamb.jp/lambassador/200526.html, (参照2023-2-27)

 とのことで、羊基準だとアダが若すぎることもなさそう。(ラムマンがいかつすぎるけども・・・)

①:けっこう大人なアダ

 このように考えるとラムマンが夫を殺したのは「お前なんかに娘は渡さん!」と言われて父親をぶん殴るヤンキー風の青年の比喩くらいに考えておけば差し障りないかと思う。

 しかしこれも確証を持たせる描写が無いので、ひとつの解釈としてどうでしょうか、というお話でした。

(まぁ、なんで銃の使い方知っとるん?そんな知能高いん?調べたん?計画性たっか!というツッコミをすることもできる。こんなことを勘繰れるというのはちょっと空白が多すぎやしないかと思ってしまった)。

 またこの説を提唱するにはもう一つの理由があり、それは妻視点から見たときのこの映画が実はハッピーエンドであるという説を後押しする説として「ラストのラムマン、アダを嫁に貰いに来た説」を考えた。
(まぁ、べつに「アダを自分の群れに連れ戻しに来た説」でもいいんだけどね。嫁に貰いに来たって考えた方が面白いかなって)。

 次は妻の本当の願望と最後の安堵の理由を解説する。

なぜ最後の最後で妻は安堵したのか

 なぜ妻はラスト、ほっとしたように息を吐いたのか。

①:夫とアダを失い、なぜか安堵しているような妻

 前述した「ラストのラムマン、アダを嫁に貰いに来た説」を用いるとある程度スッキリする解釈を示すことができる。

 それは自身の願望を叶えることができたからである。

 妻の願望(罪悪感の起源)とはずばり、

「子供を育て上げたかった」

 である。
 育て上げるとは即ち、

子供が独り立ちして家を出ていく姿を見送ること

 である。

 育て上げることができずに死んでしまった(死なせてしまった)娘。
 妻はその娘との日々を取り戻そうとしたのではなく、育てることそのものに価値を見出していた。だからこそ羊の畜産を選んだのであろう。
(推察するに、この夫婦は代々受け継いで畜産業をしているのではないと思われる。序盤、羊の子が生まれるのを手伝った二人が

妻「去年より順調ね」
夫「年々 よくなってる」

と畜産業にやっとなれ始めたかのようなセリフを言っていることからそう考えた)。
 また妻は夫の弟をも、ちゃんと見送っている。
 そしてラストには夫も見送ることになる。
 マリア(妻)は一貫して誰かを見送るキャラクターなのである。

 話を戻すが、アダはちゃんと巣立って行ったのである。
 形としては奇妙ではあるが、アダとしてはベストな巣立ちだ。だってアダが普通の社会になじめるはずはないのだから。
 じつはこのラストは最善の結果なのである。(夫死んじゃうけど)

 またアダが自分の手を離れてラムマンに連れられて行く様子を観ている夫の表情は死にかけているにもかかわらず泣きもせず、どこか安心しているように見える。この視線は巣立ちをねぎらう父の目であると私は思う。
(まぁ、娘持ってかれちゃったらお父さん生きてる価値無いもんね。分かるよ。うん。分かる)

①:アダを見送る夫

 いわばこの映画は、愛する娘を育て上げ、その娘との別れを受け入れるまでを描いた物語なのである。

 ちゃんと育て上げた妻はきっと過去をも見送れるようになっただろう。
 そして見送るのではなく将来を受け入れられるようになるだろう。

 そう、この映画はアダの巣立ちと同時にマリアの巣立ちも描いた映画なのである。

結論
男たちが不憫!


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