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エッセイ

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物故

 音楽を仕事にしていると、さまざまな出逢いがある。その巡り合わせの妙は時として感動的ですらあるが、強い結びつきを感じてしまうと、ゆく末はいつか死に別れることになるのであろう。そこに行き着く手前には、悪いことに、関係が疎遠になる機会がいくらでも予見できてしまう。特段悪いことが起こらなくても、お互いネガティブな感情を抱いていなくても、その関係を大切に維持しようとするあまり、カビが生えてくるまで仕舞い込

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懇望

 僕はものすごく利口に思われたい。
 頭の回転が早く、広い分野に対応できる深い見識を持ち、さまざまな文化や芸術への造詣も深い。そんな風に思われたい。
 髪を金色に脱色し結べるほど伸ばして、オーバーサイズの服にナイキのハイカットスニーカーを履いて、J.S.バッハを毎日さらっていた。その頃に比べれば、今はほとんどそういう虚栄や理想のために、自分の美徳や道を曲げるようなことはしなくなったと思う。しかし常

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教訓

 電球とチェロの弦は、一か八かで買ってはいけない。
 今の家に引っ越してすぐの頃、玄関の電球を感知センサー付きの、しかもLEDの物に取り替えてやろうと、大方の買い足しを終えた帰りに家電量販店へ寄った。そしていかにも輝かしい新生活に心躍る足取りで、店内でも一際明るく奥に陣取っている照明のコーナーに向かった。
 光輝く輪が何段にも連なったアートスレスレの照明や、よく見る「団地用」みたいな円盤型の照明は

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餅の数

餅の数

 新年の区切りがはっきりとあるところが、日本を好きだと思う大きな理由の一つである。
 朝起きて、一応家族四人膝を突き合わせて、三つ指を揃えて新年の挨拶をする。儀式めいた「教養」や「マナー」を僕たちに教え込むのが好きだった父からのドメスティックバイオレンスで、物心ついた頃からお猪口に舐める程度のお屠蘇をいただかなければ、その後本命のお年玉をいただけない決まりだった。妹はお屠蘇が苦くて泣いていることも

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隔絶

 わざわざ孤独を確認するために、音楽に取り組んでいるわけではないのに。薄く長く、のんべんだらりと孤独な僕の音が、空しく響き渡っている。昔の先生は、試験だろうとおさらい会だろうと、机の前に座らせればコツコツとそれは耳障りな音を立てたそうだ。ペンや鉛筆、手頃な物が見当たらないとなると、小銭まで使って、目の前の未熟な演奏とは無縁のテンポで。
 そういう伝説のようなパワーハラスメントからは一線を画し、今ほ

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