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第3回講座「協同の思想と地域」1/3

2022年3月2日(水)に開催した、沼津市民シンクタンクキックオフ連続講座「まちづくりってなんだっけ」の第三回目のテーマは「協同の思想と地域」。

ゲストには、大阪府箕面市で地域づくりに取り組む「暮らしづくりネットワーク北芝」の中村雄介さん、生協での勤務を経て、現在は、資本主義に挑戦する書物を出版する「アソシエーションだるま舎」を立ち上げた平山昇さんのお話を伺った。

中村さんのお話し

NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝で働いているほか、北芝で若者たちと一緒に一般社団法人YDPを立ち上げて働いたり、困難な状況にある若者たちとかかわる全国ネットワークJYCフォーラムに携わったり、沖縄にルーツがあるため、沖縄の基地問題にも個人的に取り組んでいる。

箕面市は大阪の北の端にある。北側3分の2は国定公園。人口は14万人。新大阪駅からも大阪空港からも15分くらいで交通の便はいい。60年代の写真をみると、田んぼに囲まれている。北芝という名前は、芝村(当時)の北側にあった集落なので、北芝という。

万博のときから開発が進んだ。今は、地下鉄の延伸が予定されていて、街の風景がどんどん変わっている。

被差別部落の地域で、わずか約200世帯500人が住んでいる。暮らしづくりネットワーク北芝では、もう少し広いエリアを目指した地域づくりをしている。

北芝のまちづくりのベースは部落問題にある。どう解消するかが課題。現在も、部落差別は、見えにくくなっているだけでなくなっていない。「家に近づくな」と言われたり、カメラを持ち込んでyoutubeに上げたりとか、若い世代に対しても行かない方がいいといううわさが流れたりする。

北芝では、知らないふりをするのは正しくないと考えている。きちんと、北芝が被差別部落の地域であることを伝えている。

北芝の部落解放運動は1960年代後半から始まった。水平社の人権宣言が1922年でちょうど今年で100年目。いろいろな報道がなされているが、北芝で運動体ができたのは、60年代後半。当時はいわゆるスラムで、住環境が整っていなかった。そこで、市営住宅(団地)を作ったり、ハード面の整備や交渉を行ってきた。

1980年代90年代が転換期。ニーズを吸い上げて、交渉しているうちに、運動の限界に気づいた。当時、教育の実態調査を行ったところ、運動を行ってきたにもかかわらず、子どもたちの自己肯定感や学力に改善が見られなかった。しんどい結果だった。

そこで、運動や行政に依存してしまった結果ではないかと自己反省し、要求型の運動から、自分たちのまちをつくっていこう、住民自治を取り戻そうという運動を始めた。

北芝の中をどうよくしていくという、自己完結型の運動に加えて、北芝の周りの人と一緒によくしていくというという、ボトムアップネットワーク型の運動に切り替え、NPO法人「暮らしづくりネットワーク北芝」をつくった。配食サービスを始めて、自分たちの働く場を創り、太鼓のチームをつくった

このプロセスは、つぶやき拾いから始まる。アイディアを出し合いながら実現していった。つぶやき拾いは、今でも大事なキーワード。小さいつぶやきをどう拾うかを大事にしている。そうやって、まちづくりが展開してきた。北芝には広場があり、両サイドにコンテナがあり、お店が入っている。今は、弁当屋と駄菓子屋。

暮らしづくりネットワーク北芝は、中間支援的機能を持つNPO。事業体として大きくなるというよりは、コンテナに持ち込まれたアイディアを実現していくことが大事。大きな施設の指定管理事業もしているが この広場は完全に民間で運営している。齋藤幸平さんが来られて、ここには、コモンのスペースのイメージがあると言っていた。

広場は、お店があるから買いに来たとか、生活圏を共有するところ。「地域の玄関」という言い方をしている。入口の機能を持つ。

地域通貨のまーぶの取組みも子ども向けに、夢をかなえるコンペをした。困窮家庭の子どもが気球に乗って学校を上から見たいというので、この夢を形にした。つぶやきを形に変えた。高校生を100人集めてライブイベントをしたりもした。大人はボランティア。

参加するいろんな人がかかわれるように工夫している。子どもの取り組みであっても、地域の人、保護者、OBが参加できるようにしている。参加の隙間を意識している。

高齢者の人たちの取り組みもある。読み書き教室のおばちゃんが、ソウルフードのレシピ本をつくったりした。教える―教えられる関係ではなく、居場所と役割を大事にしている。

「食」は、まちづくりの一つのベースとして大事にしている。地域にどんな食の場があったらよいのかを考えている。子ども食堂もあり、そこに地域のおばちゃんが集ってくる。

お祭りも、地域の伝統行事として大事にしている。いろんな世代がかかわることができる。
たいまつの写真があるが、いろいろな困難を抱えている若者などが手伝いに集ってくる。
支援を受ける側から、まちづくり/取組みの担い手になっていくことを大事にしている。
朝からピザを焼いたり、麦わらを取りに行ったり 地域の活動に自然に参加していく。

YDPは月一回のボランティアから始まった。「何かやりたいね」というつぶやきから始まり、今は、一回お手伝いしたら・・・30分500円のサービスになった 高齢者から大型家具の処分や荷物を動かしてほしいという依頼が入ってきて、若者たちの仕事の場になっている。

小学校区の4分の1くらいの地域で、いろんな取り組みがまちの中に生まれてきた。今は、地域通貨まーぶは、子どもだけでなく全世代が、200店舗くらいで使える。

解放運動の中でサービスをなくしていくまちづくりをしていこうとして、いろんな取り組みを増やしてきて、今は、会社、NPO、福祉系のNPO法人、運動体、会社、まちづくり協議会ができた。こうした団体がネットワークでまちを運営している。CMO(コミュニティマネジメントオーガニゼーション)という。

最後に、刺激をもらった言葉を紹介したい。「マウルを必要とした若者はマウルが必要とする若者になる」。「怒りの組織化から喜びの組織化へ」。北芝はどこが解放運動なのかとも言われるが、食などの楽しい場を共有して地域外の人も巻き込んでいくことで、差別をなくしていくことにつながっていく。「煩わしさで地域を豊かに 煩わしさを取り戻す地域づくり」。ベースはつぶやき拾い。参加の隙間を用意すると自然に参加してくれる。

中間支援ということは、みんなで解決する、解決したい人を繋いでいくということ。「出会い、つながり、元気」がキーワード。孤立、貧困などにアプローチしながら、誰もが安心して暮らせる町を目指している。今は、コレクティブタウン北芝という言い方をしている みんなで生活を共有している。


第3回講座「協同の思想と地域」2/3につづく