自分で自分の作品を語る🌱 ⑨〜①⓪
こんにちは、ぬまです!
今回も、過去に投稿した詩のセルフライナーノーツを書いていこうと思います!
詩を書くときは本当に色んなことをぐるぐるぐるぐる考えているのですが、最終的に文字になるのはそのほんの一部です。それは作品を作るときに捨ててしまう部分、言ってみれば創作における食品ロスのようなもの。
もったいない!!!創作に捨てる部分なんてない!そんな気持ちで、今回も余すことなく書き記していきます!!
それでは行ってみましょう🌵
⑨『死星観』
こちらの詩はタイトル通り、私の死生観を星に例えて書いたものです(出たな常套手段👻)。
私の死生観といいましたが、実のところこれは私の大好きなとあるアーティストの影響がとても大きいです。
そう、みんな大好き、BUMP OF CHICKENです🌍
彼らがOrbital Periodというアルバムを出した際、ボーカル藤原基央が曲の解説するというラジオ企画がありました。そこで紹介されていたのが、「Supernova」という楽曲です。
Supernovaとは直訳で超新星爆発のこと。星が死ぬときに起こる爆発現象を指す言葉ですが、それは同時に、星が生涯で最も強い光を出す瞬間でもあります。
死ぬ瞬間が、一番輝く。
星によっては、最期の光を放つことでやっと地球に光が届くものもあります。しかしその光が地球に届くころには、星はもうとっくに。。。
これを人間に重ねてみると、失う間際になってはじめて誰かの大切さに気づけるということなのか。なんと切ないことでしょう。。
生きているうちに、その光に気づきたい、大切さを噛み締めたい、そんな思いで書かれた曲だそうです。
僕はラジオでこの話を聞いた後、なんともいえない切ない気持ちと、そして大切な人の有り難みに気づかなければ!という強い気持ちになりました。この考え方は僕に大きな影響をくれて、今でも僕の死生観の中核を担っています🪐
生きているだけで、ただそこにいるだけで、みんな光ってるんだ!いつかくる死のその瞬間になってからじゃ遅い!一緒にいられる今をもっと噛み締めて噛み締めて生きねば。。
そんな想いを表現した、個人的にとても大事にしている作品です😌
詩的表現のこだわりとしては、人の一生を「時間をかけた自殺」「遅効性の爆発現象」と言い換えている所ですね!いつか来る死を忘れない、という意志が混ぜ込まれています。
皆さんもぜひ、大切な人にもいつかは死が訪れるということを、改めて感じていただきたいです。
そしてそこに居てくれる有り難みを、強く強く、噛み締めましょう🌹
①⓪『東京』
こちらは、夜景の美しさと残酷さを人間に重ねた詩になっています。
みなさんは夜景を眺めていると、どんな気持ちになりますか?
都会の夜景は摩天楼とも呼ばれ、夜景が綺麗に見える場所は絶好の観光スポットであり、カップルたちの集まるデートスポットですよね!
しかし、その美しい夜景を作っているのは夜遅くまで働いている人たちが出している光。素直に綺麗だと思えないような、思っちゃいけないような、ちょっと複雑な気持ちになります。。
でも夜景が綺麗なのは事実です。そこにどんな苦しみが隠れていようと、見れば自然と美しいと感じます。この矛盾を、どう受け止めれば良いのでしょうか。
結局、その皮肉さ、アンバランスさ、残酷な美しさ、そのすべてを含めてその街なのです。例えば東京という街を好きになれたとき、それは良いも悪いも全部飲み込んで、愛するということになるのです。
これは人間にも言えることです。誰かを好きになったとしても、その人の全てが好きというわけではないでしょう。きっとどんな素敵な人にも、真っ黒な部分があります。
誰かを愛するというのは、その部分ごと全部抱きしめてあげることなのです。
私は夜景を見ると、その裏に何があっても綺麗と言えるかと問われているような気持ちになります。みなさんはどうでしょうか。
人生における学びは、意外なところに隠れているかもしれませんよ🌝
詩的表現としては、「パシャリ」という擬音を目立つように配置して、聴覚をつつくフックになっているのがポイントになります☝️
今回は長くなっちゃったので、ここまでにします!
またお会いしましょう🌱
ぬま
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