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断捨離しなかったもの 〜親の移住と、家族の記録#16〜

前回、引っ越し前の実家の断捨離について書きましたが、
後から少し反省しました。
潔くモノを減らしたのは事実ですが、
「この先使わないモノはなんでもかんでも捨てた」とも読めることに気づき、
それはちょっと違ったなと。。。

ということで、断捨離しなかったモノについても少し書いてみます。

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両親の断捨離の基準は、「これからの自分たちにとって必要かどうか」であって、それは「実用的かどうか」という意味とは違った。
これからもそばに置いておきたいと思うモノ、愛着があって捨てられないモノももちろんあり、それらは「必要なモノ」として残すことにした。

いくつか紹介します。

●絵本
私たちきょうだいは幼い頃から本が好きで、家には絵本がたくさんあった。誕生日プレゼントにリクエストするのも、人形やおもちゃではなく本だった。おかげで周囲の子よりも字を覚えるのが早かったし、日常的に新聞や小説を読む習慣も自然と身についた。
小さい頃お世話になった大量の絵本をまずは押し入れからすべて出し、眺めてみた。王道の名作、きょうだいそれぞれのお気に入り、電車移動中に退屈しないようにと買ってもらったポケットサイズ絵本、内容は少し怖いけれどなぜか印象に残って好きだった絵本・・・一時期みんなではまった迷路絵本も懐かしい。何度も読み返したので装丁がだいぶ痛んでいる本もあるが、それもまた味わい深い。
次々と思い出がよみがえってくる中、特に思い入れのある本を20冊ほど選び、私の手元に残すことにした。

・とりかえっこ
・どろんこハリー
・はらぺこあおむし
・ふしぎなえ
・いるいる おばけがすんでいる
・はじめてのおつかい
・三びきのやぎのがらがらどん
・ちびゴリラのちびちび
・しずかなふしぎな王女さま
・はやくあいたいな
・そして、トンキーもしんだ
・ちいさいおうち
・ぴかくんめをまわす
・しょうぼうじどうしゃ じぷた

などなど・・・
たくさんの本を与えてくれた両親に改めて感謝した。いろいろな物語に触れた時間は間違いなく私の中身になっていて、しかもだいぶ芯のほうにしっかりと根付いている気がする。父よ、母よ、ありがとう。大事にします。


●乳歯
フィルムケースに入れて保管されていた、子どもたちの抜けた歯。決して美しくないし、残してあるからどうというものでもないのだが、両親は当たり前のように引っ越し荷物に入れた。少し驚いた。これほど実用性のないものもないだろうに。親心は不思議だ。


●ファーストシューズ
子どもたちが歩き始めた時の靴。小さくてかわいくて、これは取っておきたくなる気持ちもわかる。ホコリをかぶらないようラッピングしてあったのをいったん外し、母がきれいに包み直している。以前、「成長した子どもを本気で憎たらしいと思う瞬間があっても、赤ちゃんだったかわいい時の記憶があるから我慢できる」と話していたのを思い出した。この靴たちに助けられた時が、きっと何度も、母にはあったのだろう。


●おそろいのTシャツ
両親が新婚旅行先で買ったおそろいのTシャツ。私が幼い頃は時々着ていた記憶があるが、もうすっかり色あせて、サイズも少し厳しくなっていて、これぞザ・思い出という品。もう着られないと諦めをつけた母は、なんと枕カバーにリメイクした。元の形で保管しておけばいいのにと言う私に、「しまいこんじゃうなら持っていないのと一緒」ときっぱり言い返し、迷いなくハサミを入れた。本当に後悔しないのか少しドキドキしている娘を横目に、またおそろいで使えることに喜んでいる母。父は「おや懐かしいね」と一言。
想い入れのあるものをどう大切にするかは人それぞれだが、やはり私はまだ「元の形」にこだわってしまう気がする。こういった執着心は年を重ねていくうちに薄れていくのだろうか、自分も母のような境地に達する時が来るのだろうか・・・などと両親を見ながら考えてしまった。

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このように、意思を持って残したモノもあったという話でした。
「乱暴にすべてを処分した親」と思われるとさすがに両親が少し気の毒なので。。。とはいえ、潔く断捨離をやり切ったことは事実。本当に見事でした。

脱線してしまったので、次回から本編に戻ります。


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